29. 自己肯定感ゴリ高令嬢
「は?」
怒りもせず、また毅然ともせず。まったく動じていないレティに、カリーム皇子は戸惑った。
カリーム皇子は優秀な男だった。勉学や剣術、全てにおいて優れていた。しかし、彼がいくら頑張っても王にはなれなかった。
西は代々女性が王になる国だった。男が王になった事例もあるが、それは女兄弟が皆死んでしまった時のみの例外であり、女の王族が生まれればすぐに退位させられていた。現在王家には王位継承者の女が十二人おり、皇子が王位を継ぐ可能性は絶望的だった。帝王学すら受けさせてもらえず、彼は貴族になるか、臣下に下賜されるか、はたまた他国に婿入りする未来しかなかった。
そんな中、次期女王候補の姉に、隣国の第一王子が婿入りしてきた。皇子は戸惑った。第一王子なのにどうして、と。そうして調べるうちに、クロヴィス殿下の存在を知った。
「聞こえなかったのか? 発音は完璧なはずだが」
カリーム皇子は腹が立っていた。慣習によって能力が評価されない理不尽さに。他国の自由さに。何より、地位だけの馬鹿に。
そんな鬱屈を十三年間抱えた末に、この怒涛の補習ラッシュを聞いてしまい、ついに色々溢れたのだった。
「ばっちり聞こえましたわよ。だから訂正したのです。私はこんなのではなく、レティシア・オベールですわ」
「……馬鹿すぎて会話が通じないのか。まったくもって嘆かわしいな。王位継承権を無理やり奪ってまでして、欲したのがこれとは」
侯爵令嬢だからと、皇子の理性の歯止めが効かない。実際は王族よりも敵に回してはいけないのだが、皇子がよく調べたのはクロヴィス殿下のみだった。
一方、そんな煽りなど全く効かないレティは、王位継承権の方が引っかかっていた。
「無理やり奪う?」
「知らなかったのか? お前の元の婚約者は、義兄上……第一王子殿下だ」
レティは知らなかった。というよりも、未来の国母として育てられてきたため、大事なのは相手ではなく継承権の方だった。
殿下が恋心ゆえに継承権を奪ったことなどこれっぽっちも気づいていなかった。
「皆様は知っていたの?」
学友たちが目を逸らす。親衛隊員たちの目ですら泳いでいた。
クロヴィス殿下の冷酷無慈悲さと執着は、周知の事実である。
「もう、隠すことないじゃない。殿下ったら」
ここで重さにきゅんとしたり引いたりしないのがレティだった。ただ、そんなに愛さなくてもいいのに、くらいに思っていた。
「ああ、そうだ。カリーム殿下、我が国では馬鹿は汚い言葉ですの。王族や貴族は人前で使いませんわ!」
ドゥベシッ!
無垢に、無邪気に。レティ相手に油断してはいけない。突然、カリーム皇子は精神的に殴られた。悪意無く、馬鹿に馬鹿扱いされたのだ。たった一言でプライドはズタズタだ。
……しかし、ここでめげるような弟体質ではない。
「っ! は、恥ずかしくないのか。臣下に勉学を教えてもらうなんて!」
「ええ、まったく! 学友……未来の臣下たちが優秀で嬉しい限りですわ!」
ギャンと嚙みついたものの、聖なる光で跡形もなく消された。
レティのまっすぐで温かい尊敬の言葉に親衛隊員たちが酔いしれる。毎日頑張ってきてよかったと思う瞬間だ。その雰囲気を感じ取ったのか、カリーム皇子の焦りが募る。
「じ、自分を恥じろ!」
「? どこに恥じる要素があるので?」
レティは皆を愛し、愛されて生きてきたため、自己肯定感が異様に高かった。もうそれは天を突き抜けていた。多少の欠点を欠点と思わず、長所を最高だと思っていた。
「人は助け合いながら生きていくものですのよ?」
馬鹿に正論を語られた。
カリーム皇子は全能感に浸っていた。人を助けたことがなければ、助けられたことに気づいていなかった。器が違う。皇子が後ずさったところで、背の高い人にぶつかった。
「……カリーム皇子、なぜここに? 一学年の教室は一階ですが」
水晶玉で見ていた殿下が、来ないはずもなかった。
「き、貴殿を探していたのだ。クロヴィス殿下」
その威圧感に気圧されながらも、皇子はクロヴィス殿下と相対する。その紫水の瞳は禍々しく、少しでも気を抜けばどうなるかわからなかった……のだが。
「殿下! 私補習が入りましたから、今日は一緒に帰れませんわ!」
空気を読まないレティによって、死を免れた。殿下の意識がレティの方に向く。あのまま瞳に囚われていたら、きっと精神操作魔法を使われていただろう。
「……覚えておくといい」
去り際に殿下が囁く。感情に左右され、弱みを見せてしまったのだと気づいたときには、もう遅い。




