23. 殴られなさい
艶のある青髪は美しく結われており、細身の眼鏡が良く似合う、ロラ・シュヴァリエ。彼女には家同士で決められた、十一歳年上の宰相補佐の婚約者がいた。
ロラは真面目だった。年下な分、卒業したら即力になれるように、お荷物にならないようにと必死だった。幼い頃から法を学び、厳しい淑女教育にも耐えてきた。
優秀な彼女は、王宮に呼ばれることもしばしばあった。彼女はその日も法務省で手伝いをし、帰り際に婚約者を探していた。
そんな時、猫の鳴いた声がした。振り向くとカギしっぽの猫がとことこ歩いていた。侵入禁止区域は頭に入っていて、間違うことはない。いざとなったら引き返せばいい。存外可愛いもの好きだった彼女はついていき、王城の裏側につく。
『っ!』
……そこにいたのは、同僚の女性と睦み合う婚約者だった。
自分を慈しむように優しく笑う婚約者は、いなかった。
婚約者が焦り、女性は騒ぐ。あまりのことに、ロラは自分がどこにいるのかわからなくなった。まるで事例を読むときのように、傍観者でいる感覚だった。
『恋した人が、同じ気持ちだった。それなのに、家のせいで結ばれない。堂々と恋し合うこともできない。その気持ちが、貴女に分かるの!?』
もうどうすればいいのかわからなくて、途方に暮れていた時、茂みからレティが転がってきた。
『っ私には恋がわからないわ!』
綺麗に着地したレティは髪に葉っぱをつけたまま、ドーンと構えてそう宣言する。
……クロヴィス王太子殿下は?
と修羅場を超えて、その場にいた者が同じことを考えた。
『でも、貴女たちは間違っている。悪いことをしているのは分かるわ』
その大きな声に、毛づくろいをしていた猫がぴゃっと飛び上がる。十中八九、猫はレティから逃げていたのだ。
『貴女達は、ロラのことを考えていない。自分の傷ばかり見て、ロラを傷つけて。そんなのは、許されることではないわ!』
ロラを庇うように、レティが二人を睨みつける。
『っだから!』
肩に置かれた手の温かさに、ロラは自分がどこにいるのかを思い出す。レティは二人をビシッと指さした。
『ロラ、貴女にはこの人たちを殴る権利があるわ。彼らは殴られても仕方のないことをした』
ロラは戸惑った。婚約状態において貞操義務は存在しない。どちらにせよ、現時点で証拠はない。逆に自分が傷害罪で訴えられる可能性もあるのだ。
『大丈夫よ、私がなんとかするわ!』
しかし、この国の最高権力ともいえるお方が、そう言っているのだ。自分のために、動いてくれると。
レティの真摯な瞳に勇気づけられ、ロラは強く拳を握った。
『だ、だが俺は君のことも考え……ガハッ』
『きゃっ! だいじょ……ブフォッ』
背の高い元婚約者様には腹に、浮気相手には頬に張り手を。尻もちをついた二人を、涙で歪んだ視界で見下ろす。今までの努力を思い出し、ロラは腹から叫んだ。
『……ふざけないでっ!!』
その後、レティのおかげで婚約はスムーズに破棄され、宰相補佐たちは役職を降ろされた。目撃者がいなかったからとはいえ、本当に傷害罪で訴えられず、ロラは少し戸惑ったが、『悪いことをしたら、それ相応の罰を受けるべきなのよ』とレティに言われて気にしないことにした。この国では、法よりもレティの方が強いのだ。
こうして、ロラはレティ様親衛隊員となった。自分の知識を正しく活用してくれるこの人の力になりたいと願った。
しかし、貴族の令嬢は家のために生きなければならない。ロラは卒業後の自分の道を探していた。
「ですが……」
「貴女には類まれな才覚と努力した結果がある。もうそろそろ、宰相から連絡が来ると思うわ。優秀な補佐が欲しいと言っていたから、紹介したのよ」
ちょうどよかったわ、と笑うレティに、ロラの目が点になる。まさに寝耳に水な話だった。
「貴女が素敵な人と出会うその日まで、その力を民のために使ってほしいの」
もしさっき美意識のためだと言ったならば、レティは止めなかった。が、家のために痩せるのだと言われれば、レティは我慢できなかった。友人を愛して何が悪いのだろう。
ロラが深く頷く。叶うなら、もとよりずっとそのつもりだった。
「もちろんです」
……レティは知っている。実は、ロラに想いを寄せている二学年の子爵令息がいることを。必死に勉学や鍛錬に励み、ロラに見合う人になるのだと努力していることを。




