18. 三キロ圏内は庭
「葡萄祭りの打ち合わせに来たわ!」
レティがある民家のドアをノックする。ドアはミシミシと悲鳴をこぼした。
それを聞きつけて家の中から出てきた庶民の少女……サラに、レティはうれしそうに顔を輝かせる。常識人のサラは遠い目をした。
「今年も……参加するの?」
「ええ、もちろん!」
「侯爵令嬢って一体なんなんだか」
葡萄祭り……それは収穫を祝う秋の風物詩であり、王国の中央から東に位置するオベール侯爵領の一大行事であった。民は葡萄を食べ、ワインを仕込み、後に来るワイン祭りを心待ちにする。しかし子供からすれば酔っ払いの大人が増えるだけのお祭りであり……やはり葡萄祭りが本命だ。何より、強くカッコいい憧れの領主様や大人たちが狩りをして、炊き出しが振舞われるのがいい。
「侯爵令嬢は私よ?」
「うん、知ってる」
レティにとっての一番の楽しみは、裏で行われている非公式の腕相撲大会だった。レティが参加するとどうなるかというと、騎士団長こと長兄が釣れ、英雄こと父が釣れ……村のじいさんたちが密かに賭けているとは知るまい。
「今日も徒歩?」
「それ以外のなにでくるの?」
「……またレティのお母さんに怒られても知らないからね」
「庭に出るくらいの距離よ?」
「常人にとっての三キロは長めのお散歩なんだよ、レティ」
相変わらず人ならざる脚力を持ったレティに、サラは初めて会った日のことを思い出す。まだ井戸を覗けないくらい小さかった頃、サラの家の前に同い年くらいの女の子が落ちていた。その頃花を育てていたのもあって、サラはしなびたものには全部水をかければ治ると思っており、そこにあったバケツの水をかけた。その女の子が、家出してきたレティ……侯爵令嬢だった。つまるところ、レティとサラは幼馴染の大親友だった。レティには珍しく、救った人ではなく救ってくれた友達である。
「あとね、新しく飼った犬を見せにきたのよ」
「そんなに大きければ、見せられる前に分かるよ。ま、とりあえず入れば?」
犬にしては大きすぎる銀狼は、玄関先からもよく見える。ちゃんとお座りしていて偉い。サラはあとで水をあげようと思った。
レティは田舎寄りな民家のダイニングテーブルに慣れたように座る。なんならサラが淹れてくれたお茶もグビグビ飲む。家で飲んでいる銘柄とグレードが天と地ほど違うが、レティは馬鹿舌だった。山に生えている果実やら野草をそのまま食べるタイプだった。
「で、殿下とはどうなの? 進展はなさそうだけど」
「進展?」
お茶を飲んで一息ついて世間話のように聞いても、レティは首を傾げるだけ。
「その返しで全部察した。殿下、ご愁傷さまです」
サラはレティと距離が近いことを一番許されている存在であり、殿下とはよくレティ観察録の手紙を送りあっている。このじゃじゃ馬娘と結婚するには国王陛下くらいの地位を持つ人ではないと、と考えており、レティ過激派でありながら、珍しく殿下応援派でもあるのだ。
「まぁ、いいや。それで葡萄祭りだっけ? いつもと時間は変わらないんだけど……」
「ふむふむ」
どうせ忘れるレティのために紙にしたためながら話す。レティの母は止めるであろうが、どうせ今年も狩りに参加することを見越した時間割を。
「ざっとこんなもんかな」
「ありがとう、サラ! 今年はね、お友達も呼びたいの」
「うーん、レティは別として、お貴族様の子女が楽しめるかな……いやレティがいればそれだけで楽しい人々だろうし、大丈夫か」
サラは自己完結する。
お茶の二杯目を淹れ、今度は日常のよもやま話が始まった。レティは犬を飼ったり、中間テストを乗り越えた話。サラは町の行政書士として、嫌な客や珍事件があった話。月に一回は会うはずなのに話題は尽きない。
とりあえず一通り話し終えたレティが、窓越しに秋空を眺める。サラの家は小高い丘の上にあり、王城と領地が良く見えた。
「……ねぇ、サラ。良き国母に、なりたいわ」
「もうなろうとしてるじゃん」
「いいえ、全ての民を守れるくらい、強くありたいの」
レティは悩んだりしない。思った時にはもう行動している。それなのにどれだけ努力しても、この思いだけは消えなかった。
「……レティ」
「なぁに?」
「レティが人を愛した分、人々はレティを愛してるんだってこと、忘れないでね」
サラはこの無邪気で馬鹿で優しい親友に幸せになってほしいと願っていた。
「私を誰だと思っているの? 当然でしょう!」
レティの自信満々な笑みに、サラは嫌な予感がした。
伝わっていないとかそういうわけではない。まったく別のはずの、葡萄祭りの方に、だ。親友の勘というのは当たる。




