14. どっちが魔物なのか
レティは国境付近まで走っていた。
本来は馬を走らせるべき距離なのだが、レティは走った方が早かった。足に身体強化魔法を付与し、迂回するような山道をも飛び跳ねるように軽々と越えていた。魔法は魔力だけでなく、体力も使う。だから魔法をかじっている人間は生命保持のため、無意識下のうちに使う魔力を制限してしまう。しかし、レティにそんな頭はなかった。体力の底もなかった。
「ええと、辺境伯領はどっちだったかしら……? あ、あの旗ね!」
地図も何も持っていなかったが、山頂を通ったために迷わずに済んだ。またぴょんぴょんと降りて、辺境伯領の関所は顔だけで通り、そのまま国外へと出る。
山脈の頂近くで地面の雪が舞い上がっている。レティは銀狼の群れを認識した。
レティは群れの進む方向の真ん中に立つ。正面から、構えて……。
「どぉっせい!」
────襲ってきた一番前の銀狼を受け止め、そのまま投げ飛ばした。
北の山頂の覇者、銀狼。銀の毛を持つ彼らの体長は1mほどで、ボス個体であればゆうに3mを超す。魔物の中でも圧倒的な強さを誇り、その難易度はドラゴンの一種であるワイバーンと変わらない。
群れが止まる。山は静かだ。睨み合いの末、レティの眼光に二、三歩後ずさった。
「あなた達……」
ゆらり、ゆらりと近づいてくるレティに、同じくらい下がる銀狼たち。どっちが魔物なのだか、もうわからない。
「とっても可愛いわね! 撫でくり回してあげたいけれど……野生の動物は人の匂いがつくとダメって殿下が仰っていたわ。だから、早く山へお帰りなさい」
パァァァと笑い、残念がるレティに銀狼たちは敗北を悟った。そもそも、一番手であったボスの息子が軽く投げ飛ばされている。
これが本来敵討ちであったことなど、レティは知らない。なんなら未だに銀狼という種類の犬だと思っていた。
「アォォォォーーーーン!」
「「アォォォォーーーーン!」」
山の下の方に転がっているボスの息子の遠吠えにより、一斉に撤退。ドタドタと逃げていく銀狼たちに、レティは呑気に手を振った。「もう来ないのよー」だの「秋とはいえ、山の上の雪には気を付けなさーい」だの。なんて恐ろしい。
レティはしばらく手を振り続けていたが、背中も見えなくなり、さて帰ろうかというところでふと気づく。
「貴方、帰らないの?」
一番手の襲いかかってきた銀狼が、そこに残っていた。耳と尻尾を下げ、おずおずと近づいてくる。
「ああ……私が、考えなしに投げ飛ばしてしまったからね」
人の匂いが染み付いた動物……特に銀狼というのはもう野生では生きていけない。銀狼は群れで生活するが、他の種族とは関わらず孤高の存在であり、獲物を狩るときも爪先しか使わない。人の匂いが染み付いた者は、それだけで弱さを意味する。彼は、もう長にはなれない。彼にできるのは、死を待つのみだ。
レティはその足らない頭で悩んだ。トドメを刺す、このまま捨て置くという選択肢は無論ない。
「貴方さえよければ、私に仕えない?」
「くぅぅん」
「美味しいご飯も、暖かい寝床も用意するわ。……私がボスは、嫌?」
犬だと勘違いしたままのレティは、ごく普通に魔物を飼うことに決めた。
レティの背丈の半分くらいしかない、まだ子供の銀狼に少しかがんで目を合わせる。銀狼がレティの頬をぺろりと舐めた。レティは銀狼の顎の下からもふもふとした頭を撫でる。
「決まりね! 銀狼だから、シルだなんてどう?」
「ワフ!」
「いいお返事ね! じゃあ行きましょう、シル」
……今度こそ帰ろうと、した時だった。
「なっ!!」
氷の矢がシルを襲う。レティは咄嗟にシルを庇った。しかし痛くない。キン、という音ともに矢は二つに割れ、地面に刺さっていた。
レティとシルの前には、見覚えのある大きな背があった。
「レティ様、ご無事でしたか?」
「ヴァネッサ!」
レティ様親衛隊第一群、辺境伯令嬢のヴァネッサが、そこにいた。
ヴァネッサは矢の主……国境壁の上にいる殿下と視線を交わす。殿下が諦めたのを確認し、大剣を鞘に納め、レティに傅いた。
「ありがとう。やっぱり貴女はかっこいいわね!」
レティの言葉に、ヴァネッサは照れくさそうに自分の顔の古傷をなぞる。ヴァネッサにとって、かっこいいのはレティの方だった。




