第9話 友人の来訪と、甘い香りのカオス
シトシトと降り続く雨音だけが響く、旧校舎の三階。
お悩み相談部の部室は、かつてないほどの人口密度と、奇妙な緊張感に包まれていた。
俺の目の前の長机には、手作りクッキー、手作りフルーツサンド、そして高級マカロンという、統一感のない三種類の差し入れが並んでいる。
左隣には後輩の朝霧 陽奈が縮こまっており、右隣には同級生の月見里 栞が静かに(しかし警戒するように?)座っている。
そして正面には、先輩である姫宮 玲奈が、女王様のようにふんぞり返りながらも、他の二人を牽制するような視線を送っていた。
……なんだ、この状況は。
俺は心の中で、何度目かになるため息をついた。
鈍感な俺でも、さすがにこの場の異常な雰囲気は感じ取れる。
三者三様の好意……いや、まさかな。
考えすぎだ。
これは、あくまで『相談部』の活動の一環であり、差し入れは、その……日頃の感謝の印、みたいなものだろう。
うん、そうに違いない。
俺が必死に自己完結しようと努めていた、その時だった。
ガラガラッ!
今日何度目かになる、勢いの良い引き戸の開く音。
もう、誰が来たか、見なくても分かる。
このデリカシーのない登場の仕方は、あいつしかいない。
「よお、透! ちゃんと部活やってるかー?」
案の定、そこに立っていたのは、このお悩み相談部設立の元凶、俺の友人である高坂 拓也だった。
濡れた傘をバサバサと振りながら、呑気な声で入ってくる。
「たくや……。お前、なんでここに?」
俺は、若干うんざりした声で尋ねた。
ただでさえカオスな状況に、これ以上厄介な奴を呼び込みたくなかったのだが。
「ん? いやー、生徒会の仕事で旧校舎に来る用事があってな。ついでにお前の様子でも見ていこうかと思ってさ」
拓也はそう言うと、部室の中を見渡し……そして、固まった。
無理もない。
そこには、タイプが違う美少女が三人、それぞれの席で微妙な表情を浮かべ、真ん中にはお菓子の山。
そして、その中心にいるのは、何とも言えない顔をした俺だ。
「………………は?」
拓也は、間の抜けた声を漏らした。
数秒間、彼は目の前の光景が信じられない、といった様子で、俺と彼女たちを交互に見比べている。
「……おい、透。なんだよ、これ……」
やがて、状況を飲み込んだらしい拓也が、俺の肩を小突きながら、ひそひそ声で尋ねてきた。
その目は、好奇心と、からかいの色で爛々と輝いている。
「なんだよって……見ての通りだよ」
俺は、ため息混じりに答えた。
「いやいや、見ての通りって……。お前、いつの間にこんなハーレム築いてたんだよ!?」
「ハーレムじゃねえよ! 彼女たちは、その……相談があってだな……」
俺が慌てて否定すると、拓也はニヤニヤしながら、机の上のお菓子を指さした。
「へえー、相談ねぇ。ずいぶんと『貢物』が多い相談だなあ?」
「貢物って言うな!」
「だってよぉ、手作りクッキーに手作りフルーツサンド、おまけに高級マカロンだろ? どう見ても本命チョコ……いや、時期的に違うか。なんだこれ、餌付けか?」
拓也のデリカシーのない言葉に、ヒロインたちがピクリと反応した。
陽奈は顔を真っ赤にして俯いてしまい、栞は冷たい視線で拓也を睨みつけている。
玲奈先輩に至っては、露骨に不快そうな表情を浮かべ、拓也を睨みつけた。
「……あなた、誰かしら? 随分と馴れ馴れしいのね」
玲奈先輩の冷たい声が飛ぶ。
さすがの拓也も、姫宮 玲奈の存在には気づいていなかったようで、一瞬、虚を突かれたような顔をした。
「あ、これはこれは、姫宮先輩。どうも、生徒会の高坂です。……え? なんで姫宮先輩がこんなところに?」
拓也は、驚きと混乱を隠せない様子だ。
まあ、そうだろう。
学園のアイドル的存在である玲奈先輩が、こんな旧校舎の怪しい部室にいるのだから。
「別に、あなたに説明する義務はないわ。それより、部外者はさっさと出て行ってくれないかしら? 私たち、大事な話をしているのよ」
玲奈先輩は、冷たく言い放った。
暗に、「透と二人きりの時間を邪魔するな」と言っているようにも聞こえる。
「は、はあ……それは失礼しました……」
拓也は、さすがに玲奈先輩には強く出られないのか、少し萎縮している。
しかし、すぐに持ち前の図太さを発揮して、俺に向き直った。
「……おい、透。そういうわけらしいから、俺はこれで退散するけどよ……」
拓也は、俺の耳元に顔を寄せ、ニヤニヤしながら囁いた。
「……お前、いつの間にこんなリア充みたいなことになってんだよ。この『お悩み相談部』、思った以上に繁盛してるじゃねえか」
「だから、違うって……!」
俺は、小声で反論するが、拓也は全く聞く耳を持たない。
「まあ、せいぜい頑張れや、部長。……お菓子には困らなそうで、何よりだけどな!」
最後に、もう一度からかうような言葉を残すと、拓也はヒロインたちに軽く会釈し、そそくさと部室を出て行った。
嵐のような来訪だった。
拓也が去った後、部室には再び、重苦しい沈黙が戻ってきた。
拓也の言葉が、微妙な空気感をさらに悪化させたような気がする。
特に、「貢物」とか「餌付け」とか、そのあたりは完全に地雷だっただろう。
「……ふん、失礼な男ね」
玲奈先輩が、吐き捨てるように言った。
「……あの……先輩、お知り合い、ですか?」
陽奈が、おずおずと俺に尋ねてきた。
「ああ、まあ……クラスメイトで、友人、かな……。あいつが、この部を作るきっかけになったというか……」
俺が説明すると、陽奈は「そうなんですね……」と呟き、栞は無言で俺と拓也が出て行ったドアを交互に見ている。
何か、考えているのだろうか。
「……まったく。あんな下世話な男が出入りするなんて、この部の品位が疑われるわ」
玲奈先輩は、なおも不機嫌そうに言っている。
品位も何も、元々、物置同然の空き教室なのだが。
「……それより、水澄くん」
玲奈先輩は、俺に向き直った。
「さっきの話の続き、しましょうか?」
「え? 話って……何かありましたっけ?」
俺が聞き返すと、玲奈先輩は一瞬、言葉に詰まったような顔をしたが、すぐに気を取り直して言った。
「と、当然でしょう!? わ、私が、わざわざこんな雨の中、足を運んであげたのよ? 相談したいことが山ほどあるに決まってるじゃない!」
……さっきまで、「見学に来ただけ」とか「喉が渇いたから」とか言っていたような気がするのだが。
まあ、いいか。
ここで追及しても、面倒なことになるだけだ。
「はあ、そうですか……。それで、どんなご相談で?」
俺が尋ねると、玲奈先輩は、チラリと陽奈と栞に視線を送った。
そして、わざとらしく咳払いをする。
「……まあ、その……内容は、少しデリケートなことだから……。また、日を改めて、二人きりの時にでも、ゆっくり話しましょうか」
明らかに、他の二人に聞かれたくない、という意思表示だ。
陽奈は、その言葉を聞いて、びくりと肩を震わせ、栞は、少しだけ眉をひそめたように見えた。
……ああ、もう、面倒くさい!
俺は、心の中で叫んだ。
なんで、ただ静かに本を読んで過ごしたいだけなのに、こんな複雑な人間関係(?)の中心にいなければならないんだ。
目の前には、三人の美少女。
そして、三種類の甘い差し入れ。
傍から見れば、羨ましい状況なのかもしれない。
拓也がハーレムだとかリア充だとか言っていたが、とんでもない。
これは、ハーレムなんかじゃない。
ただの、甘くて重たい、カオスだ。
雨音は、依然として止む気配がない。
俺の憂鬱な気分を、さらに深めるかのように。
この奇妙で甘ったるい嵐は、いつになったら過ぎ去ってくれるのだろうか。
俺は、ただただ、平穏な日常が戻ってくることを、切に願うばかりだった。
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