第28話 波紋と、歪められた言葉と、友の警告
玲奈先輩が涙を見せたあの日から、数日が過ぎた。
夏休みも中盤に差し掛かり、照りつける太陽の勢いは衰えることを知らない。
学校は相変わらず静かだが、相談部の部室には、ちらほらとメンバーが顔を出す日々が続いていた。
あの後、玲奈先輩は少しだけ態度が軟化したような……気もするが、基本的にはいつもの調子を取り戻していた。ただ、以前よりも少しだけ、俺に対して素直に(?)話しかけてくる回数が増えたような気がしないでもない。
陽奈は相変わらず元気に宿題の質問に来たり、差し入れを持ってきたりしている。以前相談していた友達との関係も、どうやら無事に修復できたようだ。
栞は、読書から少し距離を置いているのか、部室ではスケッチブックを広げていることが多い。相変わらず口数は少ないが、時折見せる穏やかな表情に、少しずつ変化が起きているのかもしれないと感じさせる。
夏休みの相談部は、特にこれといった活動をするわけでもなく、それぞれが持ち込んだ課題をやったり、本を読んだり、他愛ない話をしたりして、穏やかに時間が過ぎていく……はずだった。
その静かな水面下で、不穏な波紋が広がり始めていることなど、俺は知る由もなかったのだ。
その異変に最初に気づいたのは、友人である高坂 拓也だった。
ある日の午後、俺が一人で部室で本を読んでいると、珍しく拓也が旧校舎まで顔を出した。生徒会の仕事のついでか何かだろう。
「よお、透。……ちょっといいか?」
いつものお調子者の雰囲気とは違い、拓也の声は少し硬かった。その表情も、どこか険しい。
「どうしたんだよ、改まって」
俺が尋ねると、拓也は部室のドアを閉め、俺の隣に腰を下ろした。そして、声を潜めて言った。
「……お前のとこの相談部、なんか変な噂、立ってんぞ」
「噂? なんのだよ、それ」
俺は、きょとんとして聞き返した。
「なんか……相談に行った生徒の、恋愛関係に無理やり口出ししてるとか、特定の生徒を悪者にしてるとか……。結構、悪い内容の噂だ」
拓也は、苦々しい顔で言った。
「はあ!? なんだよそれ! 俺たち、そんなことした覚え、全くないぞ!」
俺は、思わず声を荒らげた。心外にもほどがある。
「だろうな。俺もお前のことだから、そんなことするわけないとは思ってるけどよ」
拓也は肩を竦めた。
「でも、結構広まってるんだよ、これが。特に、一年生とか女子の間でな。夏休みに入ってから、SNSとかでも囁かれてるみたいで……」
SNS……。それは厄介だ。尾ひれがついて、あっという間に広まってしまう。
しかし、一体なぜそんな噂が……。
「……心当たりは、ないのか?」
拓也が、探るような目で俺を見た。
俺は、頭の中で最近の出来事を反芻した。
相談に来た生徒……。
そうだ、夏休みに入る直前、あのテニス部の後輩と、その前に来た、友達と同じ人を好きになったかもしれないという女子生徒。
特に後者の相談は、恋愛が絡む複雑な内容だった。あの時の俺たちの対応が、何か誤解を招いたのだろうか?
「……いや、でも……。あの時だって、別に誰かを悪者にしたつもりは……」
俺は、自信なさげに呟いた。
玲奈先輩の言い方は少し厳しかったかもしれないが、悪意があったわけではないはずだ。
「まあ、噂なんて、そんなもんだろ。どこかで話が捻じ曲げられて、悪意が加わって、勝手に一人歩きしていくんだよ」
拓也は、ため息をついた。
「問題は、この噂が生徒会や先生たちの耳にも入り始めてるってことだ」
「え……!?」
それは、まずい。非常にまずい。
俺たちの活動は、そもそも非公認なのだ。
学校側に目をつけられたら、活動停止どころか、即刻廃部……いや、元々部じゃないから、場所の利用禁止を言い渡されてもおかしくない。
「……どうやら、生徒指導の先生あたりが、少し調査に乗り出す、みたいな話も聞こえてきてる」
拓也は、さらに深刻な顔で続けた。
「このままだと、ちょっとまずいことになるかもしれないぞ、透。お前、一応部長なんだろ?」
「部長って言っても、名ばかりの……」
俺は、言葉を失った。
ただ静かに過ごしたかっただけなのに。
いつの間にか、こんな厄介な事態に巻き込まれている。
「……どうすればいいんだよ……」
俺は、弱々しく呟いた。
「まずは、他のメンバーにも状況を伝えて、どうするか相談だな。それから、噂の出所とか、事実関係をはっきりさせる必要がある。……まあ、面倒だろうけどな」
拓也は、俺の肩をポンと叩いた。その表情には、同情の色が浮かんでいる。
穏やかだったはずの夏休みの日常に、突如として暗い影が差した。
悪意のある噂、学校側の調査……。
俺たちの、あのささやかで、だけど大切な場所が、失われてしまうかもしれない。
そんな不安が、じわじわと胸の中に広がっていく。
風鈴の音も、蝉の声も、今はただ、空虚に響くだけだった。
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