第24話 夕暮れの誓いと、それぞれの決意と
テニス部の後輩女子生徒が、少しだけ前向きな表情で帰っていった後。
お悩み相談部の部室には、心地よい疲労感と、やり遂げたような、それでいて少し考えさせられるような、複雑な空気が漂っていた。
窓の外は、すでに茜色に染まり始めている。
夏休み前、最後の放課後が終わろうとしていた。
「……ふぅ」
陽奈が、椅子に深く座り直しながら、大きなため息をついた。
今日の彼女は、相談者の気持ちに寄り添うだけでなく、自分の経験を踏まえた言葉もかけていて、少しだけ成長を感じさせた。
「まあ、人の悩みを聞くというのは、エネルギーを使うものよ」
玲奈先輩が、どこか達観したような口調で言う。彼女の厳しいながらも的確な指摘は、今日の相談者にとって、良い刺激になったのかもしれない。
栞は、黙って、空になったお茶の紙コップを片付けていた。彼女の冷静な問いかけも、相談者が自分の状況を見つめ直すきっかけを与えていたはずだ。
俺は、そんな三人の様子を見ながら、今日の出来事を反芻していた。
最初はバラバラだった意見も、最終的には、相談者の背中をそっと押すような、不思議な一体感があったような気がする。
俺が間に入ってまとめた、というよりは、それぞれのやり方で、自然と役割分担ができていたような……。
「でも、なんだか……少しだけ、役に立てたのかなって思うと、嬉しいですね」
陽奈が、今度は少し誇らしげな顔で言った。
「ここがなかったら、私、今頃どうなってたか……。本当に、先輩や、皆さんには感謝してます」
彼女は、深々と頭を下げた。
「……私も」
栞が、片付けの手を止め、小さな声で言った。
「……ここは、大事な場所」
短い言葉だが、その響きには、確かな実感がこもっていた。彼女にとっても、この場所は、ただ静かに過ごせるだけでなく、何か特別な意味を持つようになっているのだろう。
「ふん。まあ、暇つぶしにはなるわね」
玲奈先輩は、そっぽを向きながら言った。素直じゃない。
「……でも、続けるなら、もっと本格的にやるべきじゃないかしら? いつまでも、こんな得体の知れない非公認の活動じゃ、外聞も悪いし、第一、私の美学に反するわ」
彼女らしい言い方だが、その言葉には、この相談部を「続ける」という前提と、それをより良いものにしたい、という意志が感じられた。
三人の言葉を聞いて、俺は改めて驚き、そして、少しだけ胸が熱くなるのを感じていた。
陽奈も、栞も、玲奈先輩も。
それぞれが、この場所に、俺が思っていた以上の想いを寄せている。
単なる相談者としてではなく、この場所を構成する一員として。
仲間として。
「もっとちゃんと活動したいです!」
陽奈が、目を輝かせて言う。
「同好会とか……無理なら、せめて、もう少し活動内容をはっきりさせるとか!」
「そうね。目的意識の曖昧な集団は、いずれ瓦解するものよ。活動方針を明確にし、責任の所在をはっきりさせるべきだわ」
玲奈先輩が、いつになく真剣な表情で頷く。
栞も、黙って頷き、同意を示している。
彼女たちの、その真剣な眼差しと、相談部への熱意。
それは、俺自身の心にも、小さな波紋を広げていた。
最初は、不本意で、面倒で、ただの隠れ蓑くらいにしか思っていなかったこの場所。
でも、いつの間にか、俺にとっても、失いたくない、大切な場所になっていたのかもしれない。
彼女たちが、ここで少しでも安心できるなら、前を向けるなら……。
(……まあ、悪くないか)
以前、一人で考えた時と同じ言葉が、今度はもっと確かな実感を持って、胸の中に響いた。
しかし。
同時に、現実的な問題も頭をもたげる。
非公認であることのリスク。
活動内容を明確にする面倒さ。
もし、同好会として申請するとなれば、顧問の先生を探したり、書類を作成したり、やるべきことは山積みだ。
それに、俺は、そんな中心的な役割を担えるような器じゃない。
「……まあ、夏休み明けにでも、また考えようか」
俺は、彼女たちの熱意に水を差さないように、しかし少しだけ問題を先送りにするように、そう答えるのが精一杯だった。
俺の言葉に、陽奈は少しだけ不満そうな顔をしたが、「……はい!」と素直に頷いた。
玲奈先輩は、「まったく、煮え切らないわね」とため息をつき、栞は、静かに俺を見つめていた。
夕暮れの光が、部室を赤く染めている。
夏休み前、最後の放課後。
俺たちは、それぞれの胸の中に、この場所への新たな想いと、そして、これからへの漠然とした期待と不安を抱きながら、静かに片付けを終えた。
「自分たちの場所」という意識の芽生え。
それは、俺たちの関係を、そしてこの相談部の未来を、大きく変えていくことになるのかもしれない。
そんな予感を胸に、俺は、夏の長い休みの始まりを迎えようとしていた。