第17話 テスト明けの解放感と、それぞれの答案用紙
キンコンカンコーン……。
長かった中間テスト期間の終わりを告げるチャイムが、校舎に響き渡った。
その瞬間、まるでダムが決壊したかのように、それまで静まり返っていた各教室から、わあっ、という歓声と、椅子の引かれる音が一斉に響き渡った。
鉛のように重かった空気は一変し、生徒たちは堰を切ったように廊下へ飛び出し、互いの健闘(?)を称え合ったり、あるいは疲労困憊の表情でぐったりしたりしている。
ようやく訪れた解放の時だ。
外は、相変わらずの真夏日。
じりじりと照りつける太陽は、テストからの解放感をさらに増幅させるようでもあり、同時に、これから始まる本格的な夏休みへの期待感を煽るようでもあった。
そんな浮かれた空気の中、俺、水澄 透は、一人、旧校舎の三階へと足を運んでいた。
別に、今日くらいはまっすぐ帰ってもよかったのだが、なんとなく、相談部の部室の様子が気になったのだ。
あのテスト期間中の奇妙な連帯感(?)の後、部室の空気はどうなっているのだろうか、と。
部室のドアを開けると、予想通り、いつものメンバーがすでに集まっていた。
しかし、その雰囲気は、テスト期間中のピリピリとしたものとは全く違う。
窓は全開にされ、蒸し暑い風が通り抜けていく中、どこかだらけたような、それでいて晴れやかなような、不思議な空気が漂っていた。
「あ! 先輩! お疲れ様でしたー!」
俺が入るなり、陽奈が椅子から飛び上がらんばかりの勢いで声をかけてきた。
その顔は、満面の笑みだ。
机の上には、参考書ではなく、ファッション雑誌が広げられている。
「おお、お疲れさん。陽奈もな」
俺が返すと、彼女は「はいっ!」と元気よく頷いた。
窓際の栞は、珍しく本を読んでいなかった。
ただ、ぼんやりと窓の外を眺めている。
テストが終わって、気が抜けているのだろうか。
その横顔は、いつもより少しだけ、柔らかく見える。
そして、正面の玲奈先輩。
彼女は、足を組んで椅子に座り、優雅にペットボトルのお茶を飲んでいた。
その表情は、いつも通り自信に満ち溢れているが、どこか機嫌が良さそうだ。
「あら、水澄くん。あなたも来たのね。まあ、当然の結果だったでしょうけど」
俺を見るなり、彼女はそう言った。
どうやら、自分のテスト結果には相当な自信があるらしい。
「俺はまあ、いつも通りですよ。可もなく不可もなく」
俺が肩を竦めて答えると、玲奈先輩は「ふん、あなたらしいわね」と鼻で笑った。
「それより先輩! 見てください!」
陽奈が、興奮した様子で、返却されたばかりであろう答案用紙の束を俺に見せてきた。
「数学、すっごく点数上がったんですよ! あと、英語も! これ、絶対、先輩に教えてもらったおかげです!」
彼女が指さす箇所を見ると、確かに、以前彼女が苦手だと言っていた科目の点数が、目覚ましく向上していた。
「すごいじゃないか! 陽奈が頑張ったからだろ」
俺が素直に褒めると、陽奈は「えへへ……」と嬉しそうに照れた。
その笑顔は、夏の太陽のように眩しい。
「月見里さんは、どうだった?」
俺は、窓際の栞にも声をかけてみた。
彼女は、ゆっくりとこちらに視線を向けると、自分の答案用紙の束を手に取り、淡々とした口調で言った。
「……全体的には、問題なかった。……でも、現代文の記述問題で、採点基準に少し疑問が残る箇所が……」
手元の答案用紙には、ほぼ満点に近い点数が並んでいる。
それなのに、わずかな減点に納得がいかないらしい。
彼女の完璧主義的な一面が、ここでも顔を出していた。
「さすがだな……。俺には、そのレベルの悩みは分からないや」
俺が苦笑いすると、栞は少しだけむっとしたような表情を見せたが、何も言い返さなかった。
「ふふん。まあ、あなたたちのレベルはその程度ということね」
玲奈先輩が、得意げに割り込んできた。
「この私にかかれば、テストなんて、満点を取って当然よ」
彼女は、自分の答案用紙の束をひらひらさせながら、自信満々に言い放つ。
実際に点数を確認したわけではないが、おそらく、本当に高得点を取っているのだろう。
「……あ、でも」
と、彼女は付け加えるように言った。
「……例の物理の問題……。まあ、少しだけ考えさせられたけど、当然、解けていたわよ。……べ、別に、誰かさんのヒントが役に立ったわけじゃないんだからねっ!」
最後の部分は、やはり少し声が上ずっている。
俺は、「そうですか、よかったです」とだけ返しておいた。素直じゃない先輩だ。
それぞれのテスト結果報告が一段落し、部室には、テストからの解放感と、夏休みへの期待感が満ちていた。
テスト勉強会という、ある意味での共同作業を経たことで、以前よりも少しだけ、メンバー間の壁が低くなったような気がする。
もちろん、根本的な関係性が劇的に変わったわけではないだろうが。
「ねえ、先輩!」
陽奈が、ふと思いついたように言った。
「正式な結果が出たら、みんなで見せ合いませんか? 誰が一番良かったか、競争です!」
無邪気な提案だが、即座に玲奈先輩が反応した。
「くだらないわね。結果なんて、分かりきっているでしょう? この私が一番に決まっているわ」
栞は、「……興味ない」と静かに呟いた。
結局、この提案も、うやむやのうちに立ち消えになった。
窓の外では、蝉の声が、夏本番を告げるように、力強く鳴り響いている。
厳しいテスト期間は終わった。
そして、長い夏休みが始まろうとしている。
この相談部で、このメンバーで、どんな夏が待っているのだろうか。
平穏無事に過ぎてほしい、と願う一方で、何か面白いことが起こるかもしれない、という、ほんの少しの期待感も、胸の中に芽生え始めていた。
俺は、そんな予感を抱きながら、夏の強い日差しが差し込む窓の外を、ぼんやりと眺めていた。