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30.話はすべて終わった

 サンドレット達が辞すのを見送るしかできないくらい思考停止していたイオリティは、我に返って慌てて立ち上がった。

 長時間水中にいた後のように、体全体が重い。

(なんだっけ、この、全身が床に引き寄せられそうな力……そう、重力!)

 疲れきって体力がなくなると、重力に抗うことが難しくなると思い出すのは、こういう時だ。

 脳自体もあまり働いていないので、思考が浅いままぐるぐると回っている。 

 ぼんやり目に写るのは、王太子。

(サンドレット様がいなくなって、とうとう婚約者候補は私一人……)

 はじめは5人だったはずが、今は自分だけ。なのに、王太子は悲しそうでも残念そうでもない。むしろ、にこやかだ。

(いつでも笑えないといけないって、すごい演技力よね)

 多分今、自分の顔も笑みが浮かんでいるはずだ。婚約者候補として、公爵令嬢として、きちんと教育されている。

 妖精の影響下にあったサンドレットがおかしかっただけで、表に出す感情をコントロールするのは貴族の常識だ。もう候補ではないとはいえ、貴族なのだから……。

「────は?」

 思わず漏れた声に、母の視線が鋭く刺さった。慌てて取り繕う。──が。

(婚約者候補、……私……一人?!)


 どくどくどく……


 顔が心臓になったのかと思うくらい、耳の奥で鼓動が鳴り響いた。


 ──気付いてしまった、この事実。


 思わず彷徨った視線をどう受け止めたのか、国王が頷いた。

「そうだな、王妃のことも話しておこう」

(いや、そうじゃない!……って、気になるっちゃあ気になる……妖精がいなくなってしまったし、あの王妃サマどうなったんだろ)

「座りなさい、長くなるだろう。茶を用意させる」

 そういった国王がソファにすわり、ベルを鳴らした。

 流石に体力の限界が近かったので、イオリティは有り難く座った。両側に公爵夫妻がすわる。

 国王と王太子は正面に並んで座った。


 




 絨毯の上にうつぶせで倒れていた王妃は、漸く目を覚ました。

「──そうか。良く耐えてくれた。妖精はもう消えたので、これ以上の負担はないだろう。休んでくれ」

 扉のむこうから聞こえたのは、夫の──国王の声だ。

(妖精……消え、た?……エン、どこに……なんで)

 体を動かそうにも、全身が重くてだるくて動かせない。声も出せなかった。

 扉が開く音がして、少しだけ風が入ってきた。

「母上?」

 王太子のやや焦った声が聞こえる。

(珍しい……いつも、冷静な子なのに)

 理想の王子様である長男は、穏やかで優しくて優秀だ。

(時々醒めたような目をしてたっけ……)

 そんなことを思い出した。

 自慢の息子、という以外の感想を持ったのは久しぶりだ。

「妖精に力も魔力も奪われたか」

 国王は妻を見下ろした。出会いから婚約、結婚……イオリティが妖精の力を払うまでぬるま湯に浸かっていたような、揺蕩う感覚の中で生きてきた。

 治世に関しては影響があまりなかったのは幸いだった。妖精が愛の力しか持たないからとはいえ、被害は甚大である。

(だが、外交での有利な状況をもたらしたのも、事実)

 王妃を巧く乗せた宰相と外務大臣が妖精の力を利用したのだ。あの二人は元々王妃を嫌っていたので、妖精の力が及ばなかった。

 いや、若かりし王妃を可愛らしいと、恋情という若い欲を持って見た己が悪いのだ。

「妖精は討ち取った。最早存在しない」

 国王の言葉に王妃は反論しようとしたが、声を出すことは叶わなかった。

「そなたの力はもうないだろう。だが、神々へそなたとの生涯を誓い、婚姻契約に王妃たるそなたを支えると記した」

 結婚式での誓いで、死が二人を別つまで、と。仕事ができないと不安がる王妃を己がどうにかする、と。

 そう誓い、記した。

 それを破れば国王は神に裁かれる。その代償は命だ。

「だから、離縁はしない。そなたには、離宮へ移ってもらう。そなたの生活はきちんと成り立つように支えよう」

 それならば、契約違反とはならない。その間に王太子が王妃の築いた独自の人脈や財源を潰すのだ。

 今までは潰しては、また新たに築かれるといういたちごっこの繰り返し。だが、妖精の居なくなった今なら完全潰せるかもしれない。妖精とは関係なく利益で繋がる縁も潰したいところだ。

(離宮……そんなところへ行ったら、なかなか皆が会いにこれないじゃない。好きなことだって、あんな田舎じゃできない……ひどいわ!)

 じろり、と国王を睨んだ王妃は再び心で妖精を呼んだ。

(エン……早く来て!エン!エンってば!)

 何度呼び掛けても、気配がない。

(嘘、でしょ)

 妖精は討ち取った、という夫の言葉が蘇る。

(そんな、エンが……)

 もう願いが叶えられない、という事実が王妃に突きつけられた。

 そして思い出した。

 力を失ったエンに襲われて、力をごっそり持っていかれたことを。

(─────あ……)

 エンは味方ではなかった。

 そしてどうやら、夫も。

「余が死した後は、ユアンがそなたの処遇を決めるだろう」

「父上?」

 不穏な言葉に気付き、王太子が父を呼んだ。

「妖精殺しの咎を若者に着せるほど、人でなしでは無いつもりだ」

 妖精をいつか倒せる日が来るかも知れないと色々調べた。妖精殺しの咎についても明らかになった。妖精は世界の流れを整えるシステムの1つ。まれに暴走したり、壊れたりすることがあるが、人がそれに手を掛けることは許されない。

 もしそれを成すならば、代償は必要だ。

 国王はその権限を以て神々に妖精を殺すことを告げた。

 告げられたのは、


 ──妖精を手に掛けるならば、長くて10年短くて5年しか生きられぬ。


 命を代償に差し出すことだった。

 全ては自分が王妃を選んだことから始まったのだ。妖精の力があったとはいえ、国王の選択は国を動かす。

 機会があれば、いつでも殺せるように妖精を国王の名のもとに弑す、と誓ったのは数年前。

 そして、イオリティのおかげで光の魔石を大量に手に入れられたことで、可能性が跳ね上がったのだ。

 まさか今日それが叶うとは予想だにしてはいなかった。

「神々に誓ってある。妖精殺しは国王たる余の名のもとに行い、その咎は余が受ける、と」

 国王は外の騎士を呼んだ。

「このまま、離宮へ送るように」

 暫くして、騎士が数人担架を持って入室してきた。

「荷は、後から送ってやる」

 運ばれて行く妻への別れの言葉は冷たいものだった。






 応接室で話終えた国王は、ほっと息を吐き茶を口にした。

「イオリティ嬢には、あらゆる迷惑をかけたことを詫びさせて欲しい」

「いえ……」

 イオリティは短く答えるのが、精一杯だった。

(妖精殺しの咎って、なに?私、知らなかったら代償を払ってたかもしれなかったってこと?せめて、事前に知らせといて欲しかった)

「本日を以って、イオリティ・カスリットーレ公爵令嬢が正式な王太子の婚約者となる。今後とも、ユアンを支えて欲しい」

 国王の言葉に、公爵家の三人は立ち上がって、礼を執った。

「謹んで承ります」

 父公爵の言葉に国王は安堵の表示を浮かべ、座るように促す。

「宰相には、学生時代から迷惑を掛けっぱなしだな」

 王妃が学生の時に国王へ近づいたのを最初に咎めたのも、王妃を選んだ国王に苦言を呈したのも宰相だった。

「今更ですな」

 本気で権力を取り上げようかと思ったこともある。が、基本的に賢王である。王妃という債権くらい背負ってもいいかもしれない、と飲み込んできた。

「娘が不幸にならないように、お願いいたします」

 父として宰相として言える最低限のお願いだ。

「イオリティ嬢」

 自分の運命が決まったのだと感慨深く思う間もなく、王太子に呼ばれた。

「少し、話をさせてほしい」

 どきり、としたのは不安だろうか。期待だろうか。

 頷いたイオリティは、王太子に差し出された手を取った。





 連れて来られたのは、すぐ近くのこじんまりとした応接室だった。

(密談用の部屋ね)

 扉も壁も分厚く、三人掛けのソファが二つとテーブルがあるだけだ。窓ガラスは三重で一番手前はすりガラスになっている。

 座るように促され、深く沈み込んでいるうちにテーブルに紅茶が用意された。

 ぎしり、とソファが沈み込む感覚に違和感を覚えて横を見ると、すぐそばに王太子が座っていた。

(え、何で?隣?)

 普通は正面ではないのか。

 ちらりと見ると部屋には他に誰もおらず二人きり。

(え?何で?)

 疑問しか湧かない。

 王太子は天井のあちこちを睨みつけていた。

(護衛が隠れているのか、覗かれているのか)

 ぼんやりとそう思ってイオリティも天井を見つめた。ほんの一瞬、焦ったように気配が動いた気がした。

「これでようやく、二人だけで話ができる」

 そういった王太子に手を取られ、口をつけられた。

「────っ」

 確実に全身が真っ赤に染まった。

「あなたが、イオが残ってくれて本当に良かった。俺と一生、ともに過ごしてほしい」

 きゅっと握られた手に汗をかいている気がする。

「あ、あ、あの」

「イオが初めて王宮に来た時からずっともう何年も想い続けてきた。愛情を感じたことも、……距離を感じたこともあるが、俺はずっとイオだけを想ってきた。婚約者として、王太子妃として、王妃として、なにより妻として俺に愛されてほしい。そして、愛して欲しい」

 その言葉とともにぎゅっと抱きしめられ、頭やこめかみにかるい口づけが落とされる。

「もう、離してあげられない。イオだけを、ずっと愛するから、どうか──俺を愛して欲しい」

 抱きしめられて感じられる筋肉に、これは夢ではないと現実を突きつけられる。

(ど、どうしよう!私の、妄想じゃなくて────これ、現実!?)

 そして、止まらない口づけ。

 軽いもので、決して口にはされていないとはいえ、あたこちに感じる柔らかい感触に、どんどん体温が上がっていく。

「赤いな……可愛いな……」

(可愛いなんて、初めていわれましたけどーっっ!)

「ああ、かわいい……とまらない」

 いやいや、キスを辞めてくれ。

 パニックに陥った脳内で、思わず突っ込んでしまった。 

 もはや本能でしか動いていなさそうなほど、首から上の口以外を味わい尽くされた気がする。

「イオ、返事は?」

 あらゆる限界が近付いて脳が意識を手放したがっているその隙を突いて、王太子は問いかけた。

「俺を、愛してくれる?」

 どこかぼんやりとしたイオの瞳が王太子を見上げていた。

「──はい」

 イオリティの口が肯定の言葉を紡いだと同時に、王太子の口がそれを喰らった。

 何がなんやらわからないそれがあまりにも激しく長かったために、イオリティは限界を突破し意識を手放した。

 その数秒後に、中の雰囲気がおかしいかもしれないと気付いたイオリティの兄トリスタンの大きなノックによって、ようやく我に返った王太子は大慌てで侍医を呼ぶことになる。






 カスリットーレ公爵家の控室でヘレナはナナにお茶を淹れてもらった。

 辺境伯家にも控室があるのだが、ここでイオリティを待ちたかった。妖精が現れた時、辺境伯家の関係者は一斉に距離を取った。彼らは妖精に手を出すことを禁忌とされている。攻撃を躱したり防いだりはできても、こちらから攻撃をするわけにはいかない。どうしても逃げられない場合においてのみ、攻撃は許されている。

 歯がゆい思いをしながら騎士を手伝って避難誘導をした後、心配で居ても立っても居られずここへ来たのだ。

「本当に、お疲れさまでした。イオ様、大丈夫ですかね?──いや、きっと大丈夫ですよね」

 見聞きしたことを話して聞かせると、ナナは顔を青くした。

「そうね。決してやられてしまうってことにはならないと思うわ」

 何となくとはいえ、光の魔法のすごさは分かっていた。妖精に通用するだろうことも。

「その後、倒れてないといいけど」

 ただし、令嬢だけに体力は少ない。

「えっ」

「大丈夫よ。ちょっと疲れすぎて寝込むくらいじゃないかしら」

(問題は、なぜ辺境伯家は妖精に手を出してはいけないか、よね。討ち取ってしまったイオに影響がないといいのだけれど)

 いまいち頼りにならないイメージしかない王太子の顔が浮かぶ。

(あれでも執務は優秀だし、外交手腕もかなりのものだとはわかっているけど、ちょっとねぇ)

 ヘレナの王太子に対する評価はかなり低い。サンドレットや王妃への対応が悪すぎるからだ。なのに、舞踏会ではこれでもかとイオリティに触れまくっていた。

(ほんっと、あのポンコツ……)

 ふ、と何かを感じた。

『ち、……か、ら……』

 ぞわりと悪寒を呼ぶ気配が、床の隙間から小さく這い上がってきた。

 ドレスの隙間から武器を手にした瞬間──

「えいっ」

 だんっとナナの足がかなりの炎を纏ってそれを踏みつけた。

 じゅっという音とともに、灰も残らず焼き尽くされたそれの気配が完全に消える。

「王城にも、ゴキブリっているんですね」

「──え?」

「お婆ちゃんが、やつらは一匹見かけたら千匹はいる。百匹なんて生ぬるいくらいだ。見つけたら灰も残らず焼き尽くさないと、死体からも卵がかえるって言ってました」

 なので、きれいに焼いときました。

 とてもいい笑顔でナナが告げた。

「そうなのね、ありがとう」

(いまの、炎魔法?それより、もっと威力がなかった?)

「いえいえ」

 愛の妖精のかけらは火炎魔法に焼き尽くされ、愛の妖精の存在はこの世界から完全に消えた。

 

                                       《完》




    ***************************************************************


 お読みくださってありがとうございます。

 皆様に感謝とお礼を申し上げます。


 またほかの作品もご覧くださると幸いです。



 

 

 


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