29.終演
『怖がる必要はないよ、サンドレット。君の中にある力を返してもらうだけだから、あそこまでひどいことにはならないはずだよ。もしかしたら色々な力を吸収してしまった分、僕の力が足りなくてちょっと命を貰うかもしれないけど、死にはしないさ』
サンドレットは必死に首を横に振った。
『でも、力を吸収したままだと困るだろう?いつかは抜けるかもしれないけど、その前に限界になっちゃったら……ねぇ』
爆死への恐怖まで加わったサンドレットはもう反応することすらできなかった。立っているのすらやっとのようで、ふるふると小鹿のように震えたままだ。
(命をなんだと思ってるのよ!このっ、クソ妖精がっっっ!)
イオリティは力いっぱい扇を広げた。魔力伝導率の良い素材の特別製なだけあって、あっという間に金色の光を放ち始める。
『光魔法!?』
もう少しでサンドレットに触れそうになっていた妖精が、驚愕の表情でイオリティを振り返った。
その隙に、騎士がサンドレットを妖精から引き離す。
イオリティの扇を中心に、強い光が渦を巻くように集まり膨れ上がった。今にも弾けてしまいそうなその魔力を渾身の力で妖精に向けて振り抜く。
『よせっ!やめ───────っ』
すべての視界が金色に染まり、真っ白になった。
『ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛─────あぁぁぁぁぁっ………………!』
舞踏会の会場からあふれた光が廊下や窓を超え、城の一部と夜空を明るく照らしたのは一瞬だった。
『……ぁ……あ……』
数秒だったのか、一瞬だったのか、数十秒だったのか。光が緩やかに収まると、城中が正常な空気で満たされ妖精のせいで振りまかれていた魅了の力やその他の権力に付随する様々なものが浄化されたかのようになっていた。
全力疾走後みたいにぜーぜーと肩で息をして必死に酸素を取り込むイオリティの目の前で、妖精はぼろぼろとその姿を崩していった。
前屈みになっていた姿勢を何とかまっすぐに起こすと、王太子が腰を支えてくれる。体の右側が温かいのを感じながら、イオリティは妖精だったものを見つめた。
それは何かを呟きながら少しずつ崩れていき、濃い紫の小さなかけらとなって床に落ちた。降り落ちた雪が地面に染み込むように、それはすうっとその姿を消した。
「……あ」
ぽすん、とサンドレットが床に座り込んだ。
呆然とした表情で戸惑いも露わに周りを見回している。その様子に違和感を覚えたイオリティ。
(どういうこと?いつもなら、周りの視線を集めてか弱さと自分の不幸さをアピールするはず。命の危機を超えて気が抜けたにしては、雰囲気が違いすぎる)
おどおどと探るように周囲を見回すサンドレットは、表情すら別人のようであった。
「大丈夫ですか、コンタスト伯爵令嬢」
怯えを含んだその表情を見た騎士が慌てて手を差し出す。
その手を静々と取ったサンドレットはそっと立ち上がる。座り込んだり、剣を鞘に納めたり、人々を誘導している騎士達を見て、そしてイオリティと王太子、自分をじっと見る国王に気付いて困惑を深めた。
「はい。ありがとうございます。────あの……あの、ここは、……一体どこでしょう?わたくし、どうしてこちらに、その……いるのでしょうか」
傍らの騎士に遠慮がちに尋ねるサンドレットに会場中の視線が集まった。その一斉に向けられた視線に怯えて騎士に縋るように隠れた姿は、普段見られないものだ。
「トリスタン」
カスリットーレ公爵が次男の名を小さく呼ぶと、息子はじっと探るようにサンドレットを見つめた。
「すべて、消えていますね。光魔法でまとめて浄化されたんでしょう。妖精も、その力もすべて見当たらない」
囁くような会話を終えた宰相は、国王を振り返った。
「陛下。危機は去ったと思われます」
会場に聞こえるぎりぎりの大きさで、宰相は告げた。そうか、と頷いた国王は会場をゆっくり見回した。国王の視線は衆目を集める。
「動ける騎士は後始末を。ケガ人は医務室へ。関係者以外は後日招聘するまで通常通り過ごすものとする。本日はこれにて終了と致す」
静かに威厳を以って宣言されたそれに、周囲は一斉に礼を執り動き始めた。
応接室に集められたのは、カスリットーレ公爵夫妻とイオリティ。コンタスト伯爵夫人と二人の義姉にサンドレッドだけだった。
疲れきっているイオリティは、立っておくのを諦めてソファにゆったりと座った。
「サンドレッド……!無事でよかった」
飛びつくようにしてアレクサンドラがサンドレットの無事を確認する。
「サンドラお義姉様……」
ぐすっと涙ぐみながらアレクサンドラにしがみつくのは、いつもの妹ではなかった。
「よほど怖かったのだろう。よく頑張ったな、サンドレッド」
次女のマルゴットがよしよしと義妹の頭を撫でた。
「マルゴットねえさま」
ぽろぽろと涙を流すサンドレットはやはりいつもと違って見える。
「ねえさま。わたくし、なんでここにいるの?見たことの無いドレスを着て、知らない場所に一人でいて、お義姉様たちも居ないし、本当に怖かったわ……」
驚きに見開かれた視線が一斉にサンドレットに注がれたが、泣きながらアレクサンドラにしがみついている彼女は気づかなかった。
(やはり、記憶がおかしい。妖精の影響ってこと?それとも、光魔法を喰らったせい……?え?やばくない?)
もしかしたら、自分のせいかもしれないとイオリティは内心焦っていた。妖精を狙った攻撃がサンドレットにも及んでいたのかもしれない。
「サンドレット」
コンタスト伯爵夫人が優しく呼び掛けた。
「色々とびっくりしたのね。あなたがびっくりする前に何があったのか覚えているの?」
「え、ええと……確か、王妃殿下からお茶に呼ばれて、ミシャール侯爵令嬢が候補から降りた、と伺いました。わたくしよりずっと教育が進んでいらしたのに、びっくりしてしまって」
ミシャール侯爵令嬢が候補からおりたのは、二年前だ。
(そういえば、あの頃から王妃殿下がやたらとサンドレット様をお茶会だのなんだのと呼び出すようになって、ストラリネ女史がちくちく言っていたっけ)
王妃は嫌味にも気付いていないのか、気にしていないのか、柳に風とばかり受け流していたのをイオリティは何度も見た。
(いや、違った。『愛されてるサンドレットだもの、大丈夫よ』って、言ってたっけ)
いや、何が?って突っ込みたかった当時を思い出した。
「そう。そういえば、そんなことがあったわね」
アレクサンドラは話をあわせて頷いた。
「わたくし、あの方よりずっとできないのに、大丈夫なのかと……家に迷惑をかけてしまうのではないかと心配で……」
──現状、相当な迷惑がかかっている。
カスリットーレ公爵家三人の眼差しがそう語っていた。
「そうしたら、王妃殿下が、大丈夫よ、と。ユアンはあなたを愛しているから。可愛らしく愛されるあなたが選ばれるのよ、とおっしゃって」
ぴたり、とサンドレットが動きを止めた。
「そう、わたくしが愛されるから、大丈夫って。王太子殿下が──ユアン様が愛してるのは、わたくし……いえ、そんなこと言われていない。個人的に殿下に会うことなんて滅多に──でも、王妃殿下が……お茶会でユアン様に──」
「サンドレット?」
「そう言われたのに、イオリティ様も殿下をユアン様って……でも、婚約者候補は平等にって決まって──でも、わたくしは、イオリティ様より……たくさん──」
アレクサンドラの呼び掛けを無視して、サンドレットは呟き続けた。
「王妃殿下は、わたくしが王太子妃だって──いいえ、無理だわ。カスリットーレ公爵令嬢に敵わない……だって」
壊れた魔道便のように、無機質に言葉を紡ぎ始めたサンドレット。
「だって」
淡々と紡がれる呟きに、誰もがなにも言えずにいる。徐々に鬼気迫る迫力を帯びてきたのは気のせいではない。
「ユアン様は、わたくしといても、見てくれない──いつも、いつも、……見ているのは」
ぴたり、とサンドレットが止まった。
「─────カスリットーレ公爵令嬢だけ」
イオリティの方へ向けられた瞳に、イオリティは写っていなかった。
「ユアン様は、…………殿下は……」
「そうなのね。大丈夫よ、サンドレット。焦らないで」
伯爵夫人の優しい声に、サンドレットの言葉が止まった。
周りを見回して、再び口を開く。
「──王妃殿下が妖精に頼んでくれるっておっしゃったの」
サンドレットの眼に浮かぶのは、うっとりとした王妃の顔。
そうだった。あの時、確かに──
「夏の舞踏会で、ユアン様と踊って、愛し合っていることを皆に知らしめるって……だから、だから、最初に踊るように……して……くれるって──でも、……でも、ちがって!」
「落ち着きなさい、サンドレット嬢」
いつの間にか国王と王太子が部屋に来ていたようで、宰相と頷き合う。
「そなたは妖精の悪意による被害者でもある。この後、医務室で治療を受け、騎士団の捜査への協力をしてもらうことになる」
国王の言葉にはっとなったのは、伯爵家の三人だった。さっと頭を下げ、了承の意を示すとやや呆然としたサンドレットを支えた。
「そして、残念ではあるが──只今を持って、サンドレット・コンタスト伯爵令嬢の王太子の婚約者候補としての立場を取り下げる」
本日のことを鑑みて当然の結果とは言え、なんとも言えない気まずさがあった。誰しもの頭に王妃と妖精のせいで、と浮かぶがどうしようもない。
サンドレットははっとして、国王を見上げた。瞳にはわずかに知性と理解が戻ったようだった。
「わかるな」
国王はそう告げると、右手の指輪を掲げた。
「リアンテ国王として、宣言する。サンドレット・コンタスト伯爵令嬢は、王太子の婚約者にあらず」
きらり、と指輪が淡く光るとサンドレットの胸から緑の光がほわりと浮かび上がり、二度煌めいてから消えた。
「あ……」
不安そうに、だがどこかほっとしたような顔でサンドレットは王太子を見た。
(終わったんだわ)
その考えがすんなりと染み渡るように自分のなかに満ちた。
姿勢を正すと、綺麗な礼を執る。
「長らくご縁を賜り、感謝の念に絶えません。今後は臣として誠心誠意お仕えいたします」
サンドレットに合わせて、伯爵夫人と二人の姉も深く礼を執った。
「あなたの献身を忘れてはいない。良き伯爵となるよう、努めて欲しい」
優しく、だがどこかきっちりと一線を引いた口調の王太子に、サンドレットは微笑んだ。
「はい、王太子殿下」
個人的な会話を今後ほとんど交わすことはなくなるだろう元婚約者候補に、最高の笑みを見せたサンドレットは家族と部屋を辞した。
書類等の手続きは後日交わされるが、それは当主と国の役人の間でのことだ。しばらくはあらゆる些事に振り回される。
「サンドレット。やることを済ませたら、家族でゆっくり今後についてお話をしましょう」
「はい、お義母様」
母と娘達は寄り添うように廊下を歩いた。