26.夏の舞踏会 王太子と皇子(またの名をハニトラ)
金髪碧眼の小麦色の肌をした美青年が、薄手の衣装の上からはっきりわかる引き締まったその肉体をアピールするかのような優雅さと色っぽさを醸しながらこちらへと近付いてくる。
(え、誰?)
サンドレットは呆然と近づいてくる青年を──隣国の第二皇子を見つめた。
「コンタスト伯爵令嬢、どうかわたくしと踊っていただけないでしょうか?」
差し出す手も艶やかに感じる。
「え?──え、と」
「さあ、こちらへ」
呆然としている間に、さっと手を取られたサンドレットを皇子がエスコートをする。その流れるような所作が女性慣れしていることを伺わせて、思わずイオリティの顔が引き攣った。
(何あれ。もしかして、ハニトラ要員……?──あー。やばいわ。前世の無駄知識のせいか、金貨の山とラクダが見えそう~。いやいや、べつにアラビアンナイトや石油王じゃあるまいし……)
全くの好みでないからか、だだ漏れのわざとらしい色気が演技臭く見えてしまう。
だが、これで会の流れを戻すことができるのも事実。
皇子の思惑はサンドレットにあるのだろうが、単なる憶測で止めるわけにもいかない。
「そうだな、ダンスをもう一度仕切り直すとしよう。さあ、曲を」
国王の呼びかけに、周りは何事もなかったようにダンスの準備に入った。楽団も誘導のメロディーをかけ始め、あちこちで誘い合う声が聞こえだす。
イオリティも王太子と再びスタートポジションを……となって気付いた。
(ち、近くない?!)
二人の体には拳一つが入るくらいの隙間しかない。──もはや、ほぼ密着状態。
内心の叫びをどうにかこうにか押さえつけてそっと一歩の距離を取ろうとするが、こちらを優しく見つめる王太子の腕の力は全く揺るがなかった。
(ち、ちっちち、かっ、近いっ!顔が良すぎるっ)
イオリティの顔に浮かべた微笑みは崩れていないが、瞳の奥に微かな動揺が現れてしまうのを隠せなかった。王太子の微笑みがさらに甘くなる。
(ば、バレてる?こっちが焦ってるの、わかってるわよねぇぇえ?!)
耳元に心臓があるのかと思うほどの動揺を表に顕さずにいる自分を褒めたい。
逃れる様にそろっと視線を王太子から外すと、目に飛び込んできたのはサンドレット。
「あ、あの……」
恥じらうようにほんのりと頬を染めて第二皇子と向き合うサンドレットは、大層可愛らしかった。彼女を見つめ返す皇子の微笑みは艶やかさを増し、とろりとした金色の蜂蜜を滴らせたような甘さが漂い始める。
「ああ、コンタスト伯爵令嬢。わたくしのことは、アラビアールと」
ごふっ。
吹き出しそうになったものを無理やり喉の奥に押し込み、こほん、と小さな口内の咳に押しとどめた自分を絶賛したい。
(──いや、知ってた!……知ってたけど、名前ぇっっ。確かにアラビアール・ウィラ・オイレンシア・クランストイタンって名前だったの、知ってたけどっ)
油断していた頭の中で、ラクダをバックダンサーにアラビアンナイトと石油王がカーニバル状態になりそうだ。
「イオ?」
そっと耳元に吹き込まれる声。
(こっちはこっちで、何でこんなに甘い感じに?!──ハニトラ?ハニトラなの?私が、陥れられてる感じなの?)
前門の虎、後門の狼。
落ち着こうといつもの微笑みを浮かべた途端、舞踏曲が始まった。
王太子のリードにのって優雅に滑り出すステップは、向こうで踊るサンドレットとそう差があるわけではない。
ダンスや楽曲に関していえば、サンドレッドの方が優秀だ。まじめに取り組んでいれば、勉学も今よりもっと優秀だったはずである。
「サンドレッド嬢、とお呼びしても?」
甘い声で懇願するアラビアール皇子に、サンドレットは嬉しそうに頷いた。
「ええ、是非。アラビアール様」
くるり、とサンドレットがターンを決めると照明を反射したような光が足元のガラスの靴から発せられた。
「あなたと出会えて、この国を訪れた甲斐があったというものです」
甘い囁きとともにくるりくるりと回されるサンドレット。
「まあ」
頬を染めて見上げる彼女の体はぶれることなくステップを刻む。それに併せてちかっちかっと光る靴が拍子を採っているようだった。
イオリティの胃がすっと冷えた。
(誰かが、サンドレット様に魔法を使っている?)
サンドレットに渡したガラスの靴は、光の魔石を薄く延ばして無属性の魔石で覆い、靴の形にしたものだ。デザインによって足の動きを阻害しない様にしたうえで、靴底の革と組み合わせた。光の魔石には何らかの魔法をかけられた場合、それを弾いたり無効化したりするようなものを組み込んである。また、無属性の魔石には物理的な攻撃を受けた場合それらを弾き返す様にもしてあった。
毒でも仕込まれない限り対処できる。
(どこから?)
だが、サンドレットの靴が光っているということは魔法を弾き続けているということだ。先ほどの王妃のくすみを吸収していた時には靴は光っていなかった。
つまり、いまサンドレットは直接的な魔法攻撃を受けていることになる。
「気になるのかな?よそ見ばかりは寂しいが……」
(耳元で言わないでっっ)
王太子の声が吹き込まれた耳から腰まで、そわそわっと何かが駆け抜けた。
「確かにアレは。──何を目論んでいるのか」
鋭い目線はアラビアール第二皇子に向けられている。隣国の外交官の一人としてやってきた、野心だけは立派な立場の弱い第二皇子が妃候補に近づく理由などいくらでもある。
何事も無ければ短なる外交的な配慮のある交流だが、先程の出来事の後だ。
(こちらが把握しきれていないサンドレットの価値に気付いたのか?あいつが来た時点でもう少し警戒をしておくべきだったか)
王太子の真剣な眼差しがもう一人の妃候補に注がれた。
「……まあ、殿下があの……に熱心に」
「先ほどまでは……が、突……」
「いや。だが、ライバル出現……」
「……お若いこと……」
周囲の囁きがとぎれとぎれに空気を震わせる。
(どこから?どこから、魔法が放たれてるの?)
イオリティが周囲をそれとなく探ってみても、魔法の気配はサンドレットからしか伝わってこない。
(自分で自分にかけてる?いえ、それなら弾かれたりはしな──まさか、第二皇子?)
何となく魔法の気配を探ることしかできないイオリティには確証は持てなかったが、リズムを刻むようにちかちか光っている靴を見て不安になってくる。
「日々の研鑽が伝わってくる素晴らしい技量ですね、サンドレット嬢。まるで妖精のように軽やかなステップが、私を魅了してやみません」
アラビアールの言葉にサンドレットはうっとりとした表情で微笑み返す。
「まあ、ありがとうございます」
「貴女のような素晴らしい婚約者を迎えられる王太子殿下が羨ましい」
切なげに揺れる瞳を受け、サンドレットの頬がほんのりと朱に染まるが、その眼差しはどこか悲しげだった。
(ユアン様も、そう思ってくださるかしら)
アラビアールの肩越しに見えるのは、王太子ともう一人の候補であるイオリティの踊る姿。
自分と踊る時の王太子はあんな風に近くはない。
優しく微笑んでくれてはいるけれど、あんなに甘くもない。
「──そうでしょうか?」
ぽつりと零れてしまったのは、ここに来て生まれた不安だった。
「ええ。……貴女が、我が国にいらっしゃれば、と願ってしまうくらいには」
「え?」
見上げてみると、真剣な表情でこちらを見つめる第二皇子と目が合った。
碧い目の奥に柔らかな紅い火がちろり、と灯るのが見えた。
(なんて、綺麗なのかしら)