●第4章 私たちの物語
それから一年が経った。
私たちは、週末になると交互に会いに行くようになっていた。時には東京で、時には地元で、新しい言葉を探し続けた。
「みづき、見て」
楓が指差した先には、古い映画館があった。
「ここ、改装するみたいなの。だから、最後の上映会をやってるんだって」
私たちは、チケットを買って中に入った。
館内は懐かしい匂いがした。少し剥げかけた壁紙、きしむ床――全てが物語を語っているようだった。
「なんだか、初めて会った日を思い出すね」
楓が、私の手を握りながら言った。
「うん。あの時の映画館の看板」
「『青春、永遠に』だったね」
スクリーンに映し出された古い映画を見ながら、私たちは寄り添っていた。それは、私たちの出会いのように、ゆっくりとした時間が流れる映画だった。
上映が終わり、外に出ると、夕暮れ時だった。
「ねえ、みづき」
「うん?」
「私たち、ずっとこうしていられるかな」
楓の声には、少しの不安が滲んでいた。
「もちろん」
私は、迷わず答えた。
「だって、私たちには言葉があるから」
その言葉に、楓は柔らかな笑みを浮かべた。
「みづきは、いつも言葉で私を救ってくれる」
「それは、楓が私に言葉を教えてくれたから」
私たちは、夕暮れの街を歩き始めた。人々の流れに逆らうように、ゆっくりと。
「ねえ」
楓が立ち止まり、私を見つめた。
「なに?」
「一緒に、東京に来ない?」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「私、カメラマンとして少しずつ仕事が増えてきてて。そろそろ自分のスタジオも持てそうなの」
楓の目が、希望に輝いていた。
「みづきの書く詩と、私の写真。きっと、素敵な物語が作れると思うの」
それは、突然の提案だった。でも、不思議と心の中に躊躇いはなかった。
「行く」
私の答えに、楓の顔が明るく輝いた。
「本当に?」
「うん。私も、ずっと考えてたの。楓の側で、もっと言葉を探したいって」
私たちは、街灯の下で強く抱き合った。周りを行き交う人々の視線など、もう気にならない。
その夜、私たちは楓のアパートで、未来の計画を語り合った。
「ここを、私たちのスタジオにしようと思うの」
楓が、築古のビルの一室を案内してくれた。天井が高く、大きな窓からは東京の夜景が見える。
「写真と言葉の工房」
私がつぶやくと、楓が嬉しそうに頷いた。
「うん。みづきの詩と、私の写真。それに、街で見つけた言葉たち。全部を、ここに集めたい」
窓の外では、東京の夜景が煌めいていた。それは、まるで無数の言葉が光となって降り注いでいるようだった。
「楓」
「うん?」
「ありがとう」
「なんで?」
「私に、言葉を教えてくれて。世界の見方を、変えてくれて」
楓は、優しく微笑んだ。
「それは、私も同じだよ。みづきと出会って、全ての言葉が詩に見えるようになった」
私たちは、窓際に立ったまま、しばらく東京の夜景を眺めていた。そこには、まだ見ぬ言葉たちが、私たちを待っているように思えた。
それから数ヶ月後、私たちは同居を始めた。小さなアパートだったが、二人の言葉で満たすには十分な空間だった。
朝は、楓が撮影に出かける前に、必ず一緒にコーヒーを飲む。夜は、それぞれの一日で見つけた言葉を交換し合う。週末は、新しい街を探検する。
私たちの部屋の壁には、楓の写真と私の詩が貼られていった。それは、私たちだけの詩集のようだった。
ある日の夕方、楓が興奮した様子で帰ってきた。
「みづき、すごいことになったの」
「なに?」
「私の写真展、やることになった」
楓の目が、輝いていた。
「おめでとう!」
「それでね、みづきの詩も一緒に展示したいの」
その言葉に、私は驚いた。
「私の、詩?」
「うん。写真と詩で、私たちの見つけた街の言葉を、みんなに届けたい」
それは、私たちの新しい挑戦の始まりだった。
写真展の準備は、想像以上に大変だった。でも、それは楽しい時間でもあった。楓の写真に合わせて詩を書き、言葉と画像の響き合いを探る。時には深夜まで、お互いの作品について語り合った。
そして、開催日。
小さなギャラリーは、想像以上の来場者で賑わっていた。壁には楓の写真が並び、その横には私の詩が添えられている。
「みづきの言葉があるから、写真がより深く見えるって、みんな言ってくれるの」
楓が、嬉しそうに私の耳元で囁いた。確かに、来場者たちは写真を見た後、必ず詩を読み、そしてまた写真に戻って見入っていた。
「違うよ。楓の写真が素晴らしいから、私の言葉も生きてくるんだよ」
私たちの展示には、ある一貫したテーマがあった。「都市の中の言葉たち」。街角で見つけた何気ない風景を切り取った写真と、そこから紡ぎ出された詩の数々。
展示の中心には、私たちが初めて出会った古い映画館の写真があった。色褪せた看板の『青春、永遠に』という文字が、夕陽に照らされて浮かび上がっている。その横には、私の詩が添えられていた。
『あの日、偶然に交わった
二つの視線が
今では
同じ方向を
見つめている
永遠なんて
信じられないと
思っていた私に
あなたは教えてくれた
言葉という永遠を』
「ねえ、みづき」
閉場間際、楓が私を呼んだ。
「最後の写真、まだ展示してないの」
そう言って、楓は一枚の写真を取り出した。それは、私が気づかないうちに撮られた写真だった。カフェの窓際で、私がノートに向かって何かを書いている姿。夕陽に照らされた横顔が、柔らかな光に包まれている。
「これ、いつの?」
「私たちが出会った日」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「あの時から、私はみづきの言葉に魅せられていたの」
楓は、ゆっくりとその写真を壁に掛けた。その横には、一枚の紙が貼られていた。
「これは?」
「みづきが、あの日書いていた言葉」
『言葉は触れられないのに、
確かに肌を撫でていく』
思わず、目頭が熱くなった。
「楓……」
「みづき」
私たちは、誰もいなくなったギャラリーで見つめ合った。
「ずっと、言いたかったの」
楓が、私の手を取る。
「私の全ての写真は、みづきに向けた言葉なの」
その瞬間、私は楓を強く抱きしめていた。
「私も。私の全ての言葉は、楓に向けて書いていたよ」
窓の外では、東京の街が夜の装いを纏い始めていた。ネオンが瞬き、人々が行き交い、車のライトが流れていく。その全てが、私たちの新しい物語の背景になっていた。