異世界逸般人の誤家庭生活
瞬きの間に、目に映る景色。体の感覚が変わっている。
これは夢? それにしては中々に現実的な感じがする。
なるほど、これは異世界転移という物だろうか。
見知らぬ言語で埋まったノートを見て、そう思った。
何せ、そこに書き込まれた文字列には何か規則的な物が見受けられるが、意味が分からない。少なくともアルファベットの系統ではないし、漢字、ハングル、ビルマ、アラビアの類でもない。日本で生活していた限りでは見たことが無い形状だったから。
悪戯にしては手が込んでいる。
ノートに使われている紙質は良く、罫線に関しても他のページと見比べても均一できれいな直線をしている。即ち、文明レベルは高い水準に在る物と考えれらる。もしくは、著しく金持ちの家でかつ風変わりな思想を持った家柄なのだろうか。
「聞いてます?」
声の主である少女は、何か本を片手に黒板にノートと同じ様な形状の文字を書き込んでいる。
いやそれよりも彼女の言葉だ。文字は分からないが、音声としては同じ発音で、言葉も同じ様子。助かった、識字は無理でも話せるのであれば、ガヴァガイ問題にならずに済む。
言葉に関しては安心ができたところで、次は少女の顔だ。どこかで見た記憶があるのだけれど、どこだっただろうか。
黒髪、黄色人種の様な肌色は日本人的なのだけれども、一部の体表を覆う黒い鱗の様なものが現代人にしては少々奇抜に感じる。これだけ特徴的な美少女であれば覚えていると思うのだけど……。
「おーい、寝てる?」
鱗は作り物の光沢ではないし、人肌でも無いのは確かだろう。
いや病気という線もあるのだろうか?
鱗の様な物は光の当たる角度によって色味がやや変わるらしく、彼女が不思議そうに顔をのぞき込んできた際に、黒色から緑色掛かった色味に変わった、構造色という物か?
「綺麗だ」
「寝ぼけてるの?」
視界の端で何かが動いたかと思うと、体が宙に舞っていた。
殴られた。というよりかは、跳ね飛ばされた様な衝撃、視界の端で動いているあれは尻尾? こちらも同じような色味の鱗に覆われていた。やはり唯の人間というわけではない様だ。
次いで全身に走る衝撃、ゴキッという人体からおよそ出て良いとは思えない危険な音。それ等から生み出された痛みはこれが夢ではないことを教えてくれた。
もう少し、優しい方法は無かったのか?
「訳が分からない」
「はあ。そんなんじゃあ魔法学園の入学試験に受からないよ?」
「魔法学園?」
なんて、異世界らしい言葉なのだろうか。
ハリーホ〇ッターかもしれないけれど、まあそれでも十分すぎる。
「なるほど。そう……今ので記憶が飛んだのかな」
都合よく解釈してくれたらしい。
少なくとも、この身体年齢は十数歳には成っている様だから、世の常識が通じません。なんていうのはまかり通らないだろうし、記憶障害という言い訳が聞くのは丁度いい。
「まずは簡単な確認から。言葉は分かるし、日常生活に支障はなさそうかな? まず貴方の名前はジブリール。年は14歳、来年には魔法学園へ入学する必要があるから、幼馴染兼メイドの私、玄鈴が魔法学の基礎に関して教えてたの、覚えてる? 駄目そうだね」
「えっと、ごめんなさい?」
「大丈夫。私も半年でできたし、ご主人様も同じ時間でできるよ。うん、がんばれ」
ちらりと、先程まで座っていた卓上を横目で見た。
少なくとも国語辞典並みの分厚い本が三冊は積まれている。
あれを半年か。
できなくはないのかな?
「いや、それは十分の一」
これで、十分の一?
ま、まあ? できなくはないかな?
いや、前提知識の習得や、この世界の常識に慣れる事を踏まえるとかなり厳しい。
「うん。まあ今日はお休みにしよう。紅にも伝えとく、もし仮病だったら……まあ。それはその時に御話しようね?」
じゃあ。と言って彼女は部屋を出て行ってしまった。
さて、部屋の中を見渡すと、やはりどこか見覚えがある。
何か、ゲームの類で見たのかな。
「まあいいか」
そう、そんな些細なことはどうでも良い。
先程のノートに目を落とすと、書かれていた文字がまるで母国語だったかのようにすんなりと理解ができるようになっていた。
頭を打ったのが原因で、俺の頭が良くなったのだろうか?
あり得ないよな。となると、さっきの少女が鍵を握っている?
それしか考えられないのだけれど、やられたことと言えば尻尾で吹き飛ばされた程度のはずだ。
それでこんなに読めるようになるのか。流石異世界だ、塾や勉強という概念は存在しないのかもしれない。まあそんな訳はないかな、頭を打った衝撃で文字に関する記憶は蘇ったとかだろう。
トントンと扉がノックされた。さっきの玄鈴かな?
「入りますね。坊ちゃん」
先程の少女とが違い、やや低音と優し気な雰囲気を纏った声音。
扉から入ってきたのは白髪の女性。と言っても、二十代に足を踏み入れているかいないかというような見た目。
先程の少女とは服装が違う。あの子は自分をメイドと称していた。もしかして、看護師?家に常駐させているのだろうか?
「坊ちゃん、頭を打ったと聞きましたが大丈夫ですか?」
「……うん、大丈夫だよ」
「ああ、申し遅れました、私は空と申します。この家のメイド長を担っています。玄にはしっかりと言い聞かせますから、今日はゆっくりお休みくださいね」
「ありがとう?」
「ええ、少々お待ちください。お茶を持ってきましたので」
どこからともなく取り出した茶器は、彼女の髪の様に白に薄っすらと青色のグラデーションが入っている。
不思議な色味の陶器だ。これも異世界だからだろうか?
「ふふ、珍しいですか? 坊ちゃんは昔から、この色が好きだったのですよ?」
昔から。
少なくとも、この体の本来の持ち主はやはり居るらしい。
ともなれば……その魂は何処に行ったのか。
もしかして、入れ替わり?
何故に? 異世界の人間と入れ替わる?
何もかもおかしいじゃないか?
「どうかしましたか?」
「え? いや、なんでもない……です」
「そうですか。温かいうちにおやすみくださいね?」
……え、それでおしまい?
少なくとも1m程度の高さで、頭から落下した筈だ。
それなのに、ハーブティーを飲んでそれでおしまい?
……その後、誰もこの部屋に訪れる事は無かった。
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朝、夜明けと共に目を覚ましてしまった。
体に不具合はない。なんならば、調子が良いぐらいだ。
首どころか頭の痛みすら無いのは、不可思議すぎる。
もしかしてハーブティーにタネが?
暖かさで痛みが取れた?
そんなんで痛みが取れるんなら、病院はいらない。
そういえば、あのタイミングからそもそも痛みなんて感じていなかった気がする。
じゃあ、この体に秘密があるという事か。
昨日見た二人は明らかに唯の人間ではなかった。
そういや昨日は風呂に入っていない。入りたいな。
とりあえず外に出てみよう、この世界に来てから部屋を出ていない。
もしかすると風呂という概念が存在しなかったりして?
バンッと開け放たれた扉から突っ込んできたのは、赤髪の少女。
「ご主人、鍛錬の時間だよ!」
犬みたいな子だ。尻尾を振ってるところなんか、まさに。
話数を貯めようとすると飽きるので、とりあえず投稿しました。