無意味トンネル
トンネルには不思議な魔力があります。
それは怪談だけでなく、もっと別の力を発揮するかも知れないのです。
これからしばしの間、あなたの心は、この不思議な空間へと入って行くのです。
1
街の外れに〃無意味トンネル〃と呼ばれる短いトンネルがある。
もともとはその地方を通るローカル鉄道のトンネルとして機能していたものだが、自家用車の普及と道路の整備によって、いつしか赤字路線となり、数年前に廃線となった。
その上、トンネルが貫通していた小さな山は切り崩され、周囲は宅地として造成されてしまったので、何もない空間に、ただトンネルだけが存在する、いささか間抜けな状況となった。
誰言うともなく〃無意味トンネル〃と呼ばれるようになった次第である。
トンネルの全長は、わずか二百メートルほどで、その距離の短さもまた、中途半端な印象を与えた。
しかし、多くのトンネルがそうであるように、このトンネルにもまた、まことしやかな都市伝説がまとわりついていた。
トンネル工事中に発生した事故によって死亡した作業員の幽霊が出るという噂は、様々なヴァリエーションを伴って住民の間に流布していたが、もうひとつ、このトンネルを夜中の二時に通り抜けると、自分の願いが成就した別の世界へ行けるという噂もまた、子供や学生を中心に信じられていた。
トンネルがほぼ中央でゆるやかに曲がっているいるため、一方の入口から反対側が見えないのでに、そんな噂が発生したものとおぼしい。その曲がり角のところで、願いを声に出して言うのだと……。
2
リリとルカが出逢ったのは、高校二年の春だった。
クラス替えがあり、同じクラスになった。
それまでは、同じ街でも違う地区に住んでいたので、知り合う機会がなかったのだった。
初めて逢った時から、二人は互いに惹かれ合うものを感じた。
心に、今まで生まれたことのない感情が生まれ、それが日を重ねるごとに深くなって行く。
それはトキメキであり、何とも言えない切なさでもあった。
それが恋だと知るのに、それほど時間はかからなかった。
それまでにも彼女たちは、異性とつき合った経験が、いくばくかはあった。
だけど何故か相手に対して深い気持ちになることが出来ず、短期間で交際が終わったのだった。
そうして、次第に異性とつき合うのが煩わしくなり、告白されても断るようになっていた。
この出逢いによって二人は、はっきりと自覚することが出来た。
自分たちは、異性に恋をすることが出来ない、同性愛者だということを。
しかしそれは、苦難の道のはじまりだった。
「同性愛禁止法」という法律があることを、二人は知っていた。
それまで自分たちには無縁だと思っていた法律が、ふいに身近なものとして迫って来たのだ。
不思議と罪悪感はなかった。
相手を大切に想う気持ちに、どんな罪悪があるというのだろう?
たとえそれが同性だったとしても……。
同性愛禁止法の成立には、戦争に備えて兵士としてお国のために働く人間を増やすという、国家の思惑が強く反映されていた。
生殖に繋がらないセックスを排除し、出産率を上げようというのだった。
お国のために働く、ということはつまり、お国のために死ねる、ということである。
同性愛者であることが発覚した者は、罰金刑に処せられるが、刑そのものよりも、共同体から白眼視され、仲間はずれにされることの方が重い仕置きとなった。
社会に居場所を失い、自殺や心中に走る者も少なくなかった。
「いっそのこと、あたしが男の子になろうか?」
ある日、ルカがそう言った。
二人のうち、ルカの方がどちらかというとボーイッシュだった。
同性愛のカップルの中には、どちらか一方が性転換して、法を切り抜けるという手段を取る者も少なくなかった。
「そんなのいやよ」と、リリが即答した。「ルカが男の子になったら、ルカはルカじゃなくなるもの。あたしは女の子のルカが好き」
「変なこと言ってゴメン。あたしもだよ。あたしも女の子のリリが好き」
二人は抱き合って涙を流した。
二人の関係は、誰にも知られることなく、密かに続いた。
しかし、そんな関係に危機が訪れた。リリの部屋で、互いを愛撫しあっているところを、彼女の母親に見つかってしまったのだ。
母親の嘆きは激しかった。
すぐにルカの両親に連絡を取り、今後二度とうちの娘に近づかないでもらいたいと、厳重に勧告したのだ。
ルカの両親も、状況を重く受け止めた。
どちらの親も、娘を犯罪者にしたくなかったからだ。
厳重な門限が設けられ、外出も制限された。
だが、もともと同じクラスなのだから、毎日顔を合わすことも、言葉を交わすことも出来る。
そのことが逆に、辛く、切なかった。
そんな二人の脳裡に、街の外れにある無意味トンネルのことが思い浮かんだのは、ほぼ同時だった。
人目を忍ぶ、体育館裏での短い逢瀬の時だった。
「ねえ」とリリが言った。「無意味トンネルに行ってみようか?」
「うん」とルカが答えた。「あたしも今、そう思っていたの」
互いに同じことを考えていることが嬉しかった。
決行は日曜日の深夜と決め、それまでは怪しまれないように、どうしても必要なこと以外では密会を避けることにした。
「願い、叶うといいね」
リリが言うと、
「叶うさ、きっと」
ルカが答えた。
3
日曜日の夜は新月だった。
日曜日を選んだのは、翌日からまた会社や学校がはじまるので、夜更かしをする人が、週末より少ないと考えたからだ。
慎重に家を抜け出した二人は、両家の中間地点にある神社の前で落ち合い、トンネルへと向かった。
廃線となった鉄道の線路は、市街地から離れた田園地帯に敷かれていたので、真夜中ということもあり、人と出会うこともなく辿り着くことが出来た。
外灯もなく、新月ということもあり、あたりは真っ暗闇だったが、そのおかげで星の輝きがいつもよりくっきりと見えた。
「まるでプラネタリウムみたいだね」
ルカが言った。
「あっ、流れ星!」
リリが星空を指さした。
「願い事、した?」
「願い事はこれからするんだよ」
「そうだね」
誰もいないという安心感もあり、二人は久し振りに手を繋いで歩いた。
降りそそぐような星空の下、世界には自分たち二人だけしかいないような気がした。
やがて前方にトンネルが見えて来た。
半円形の立体が、身をよじるようにして横たわる姿は、巨大な芋虫のようだった。
入口には申し訳程度に「立ち入り禁止」の立て札が立っていたが、特に柵も鉄条網もない。ただ、トンネルがゆるやかにカーブしているために、反対側が見えず、まるで黒い蓋がされているようにも見えた。
「いい? 行くよ」
時計の針が午前二時の一分前を指したのを確認してルカが言った。
二人は用意した懐中電灯を灯して、トンネルに足を踏み入れた。中は文字通り漆黒の闇で、空気が湿り気を帯び、肌寒く感じられた。足音が不気味なくらい大きく、周囲の壁に反響した。
「幽霊、出ないよね?」
震える声で言って、リリがルカにしがみついた。
「大丈夫、あたし、霊感ゼロだから」
答えるルカの声も震えていた。
少し歩くと、闇に眼が慣れたせいか、前方がぼんやりと見えるようになった。トンネルの出口の方から射し込むかすかな光が、コンクリートの壁に反射しているのだ。
さらに歩を進めると、ふいに視界が開けて、出口が見えた。ちょうど真ん中あたりで、トンネルが折れ曲がったようになっているところに到達したのだ。遠い街の灯りが、トンネル全体を柔らかく照らし出した。それはまさに、新しい世界への入口のように見えた。
そこで二人は足を止めると、声を揃えて願いの言葉を唱えた。
「どうかわたしたちの愛が認められて、幸せに暮らせる世界へ行けますように!」
最後の残響がいつまでも尾を引き、やがて闇に吸い込まれるように消えた。
胸の奥に秘めた想いを言葉にして発したことで、二人の身体は少し軽くなったような気がした。
「もう少しよ、頑張ろう」とルカ。
「うん、元気が出て来た」とリリ。
歩きづらい線路を、躓きそうになりながらも、互いの身体をささえるようにして、二人はやっとトンネルの出口に到達した。短い道のりだったが、何だかとても長い時間がかかったように感じられた。
向こう側の世界は、いつもと同じ、二人が住み慣れた街と変わらなく見えた。
待ち合わせた神社の前で互いを抱きしめ合い、キスをして別れた。
「夜が明けたら、きっと素敵な世界になってるね」リリが言った。
「きっとだよ」ルカが答えた。
4
しかし、翌日になっても世界が変わった様子はなかった。
インターネットで検索しても、同性愛禁止法が撤回されたという情報はなかったし、二人を監視する親の眼も厳しかった。
人目を忍んでの逢瀬のたびに「おかしいね、何も変わらないね」「たぶん、時間がかかるんだよ」などと言って、自分たちを納得させようとしたが、それも長くは続かなかった。
やっぱりあれは迷信だったんだ、そんなに簡単に世界は変わらないんだと思いはじめた頃、ルカが父親の仕事の関係で、遠くの街に引っ越して行った。
残されたリリは、もう二度と恋はしまいと心に決めた。
それから五年の月日が流れた。
リリは大学の教育学部を出て、教員となった。配属されたのは地元から離れた街の高校だったので、実家を出て一人暮らしをはじめた。
ルカは服飾関係の専門学校を出て、都内のブティックで働きながら、デザインの勉強を続けていた。
今でも時々、相手のことを思い出すことがあった。二人ともあれから、誰ともつき合うことなく、レズビアンであるという自分を隠して生きて来た。
ある日、自宅に帰ってテレビを点けると、驚くべきニュースが流れた。わが国で初めての女性首相が、自ら同性愛者であることをカミングアウトし、同性愛禁止法の廃止を提案したのだ。この案件はすぐに審議にかけられ、過半数の支持を得て可決された。政界にも少なからぬ同性愛者がいたことが、のちに明らかにされた。
別々の場所でこのニュースを知ったリリとルカは、すぐに相手に逢いたいと思ったが、携帯電話の番号も、住所も、PCのアドレスも解らなかった。
リリは次の日曜日に、故郷の街に帰ってみることにした。あの無意味トンネルにもう一度行ってみたかった。そうすればまた、ルカに逢えるような気がした。
駅から、実家に寄らず、そのまま無意味トンネルへと向かった。
久し振りに訪れたそこに、すでにトンネルはなかった。
周囲は小綺麗な住宅街となり、トンネルも線路も、跡形もなく消えていたのだ。
それでも、かつて線路だったところはそのまま道路になっていたので、おおよその場所は辿ることが出来た。
ちょうどトンネルが折れ曲がっていたあたりで、道もゆるやかに曲がっていた。そしてその曲がり角のところに、一人の女性が立っていた。
ルカだった。
「ルカ!」
「リリ!」
二人は走り寄って抱き合った。
「逢いたかった」
「逢いたかった」
しばし再会を喜び合ったあと、二人は曲がり角のところで手を繋いで並んだ。ちょうどあの日のように。
「やっと願いが叶ったんだね」とリリが言った。
「うん、時間がかかったけどね」とルカが答えた。
そして二人揃って、かつてのトンネルの出口のほうに向かって、深く深く頭を下げた。
「どうも、ありがとうございました」と。
了
あなたの街にも、使用目的を失った中途半端な物件はありませんか?
そこには案外、不思議な力が宿っているかも知れません。
それではまたお逢いしましょう。