ウィナーズサークル 駆けだし騎手たちの朝
三月某日、茨城県稲敷郡美浦村。
無事に卒業したオレたちの姿は、美浦トレーニングセンター――通称美浦トレセンにあった。
だが、みんながみんな一緒かというとそうではない。
オレと藤澤は関東を拠点としたが、忍と吹雪は関西を拠点とすることを選んだ。
つまり今日、美浦トレセンにいるのはオレと藤澤だけだ。
この二人で、薄暗い早朝から厩舎廻りをしている。これは一日でも早く名前を覚えてもらって、騎乗依頼や調教などの仕事を貰うためだ。まぁ、新人騎手なら誰でも行う慣例行事でもある。
「でも、ほんと。アンタが卒業できるなんて思ってなかったから、美浦は一人で回るものだと考えていたわ」
建物が並ぶ小道を歩きながら、藤澤は口撃をしてきた。
ホント、相変わらずトゲトゲしいな藤澤。調教師たちに向ける敬意をオレにもとは言わないが、愛想のよさは十分の一でいいから振る舞ってほしい。
ちなみにコイツは調教師たちの前では完全に猫を被っている。
ひょっとして脱着式なのか!? と思えるほど変わり身が早い。一歩、二歩、装着。一歩、脱着!くらいのスピードだ。いや、ある意味たいしたもんだよ。もう、魔法少女も真っ青な変身速度だ。
「まぁ、そう言うなよ。一人より二人の方が覚えてもらえるの、ぜってー早いって!」
しかし元より藤澤は、小さな頃からトレセンに出入りして可愛がられていたらしい。祖父と父が調教師だからだが、それ故か、どこに顔を出しても、藤澤の名前はほとんどの関係者が知っていた。
藤澤のお譲さん。なんて呼ばれているのをよく耳にする。だが、その度にコイツの機嫌は悪くなり、矛先がオレの方へと向けられる。調教師たちの前ではニコニコしているくせに! なぜだ! ツンツンにもほどがあるぞ、藤澤!
「ふん! とにかく、今日も回れるだけ回るから! 次は安堂厩舎よ!」
「へいへい」
あー、ちなみにオレの名前もそこそこ売れている。なぜかというと、渾名を聞いてもらえばすぐに分かるだろう。オレがなんと呼ばれているかというと、バク転のあんちゃん。だ。
そう、卒業レースで馬の上からバク転した新人として覚えてもらえているのだ。
それはそれでありがたい、かもしれない。
「……なぁ、藤澤。卒業レースのこと覚えているか?」
「なによ、ひょっとして自慢? そう、自慢ね! 自分が勝ったって自慢したいのね!」
「ち、ちげーよ!」
ほんとその性格じゃ、お前ぜってー彼氏できねぇぞ! ルックスがいいのに残念なヤツめ! だが、少しは仲良くしとかないとな。なんと言っても、身近にいる同期はコイツだけなのだから。
それに、コイツには借りがある。最終レース。スタートのアドバイスを受けなければ、オレは負けていただろう。なにせ、決着はハナ差(数センチ)の勝負だったのだから。そんなわけで、お礼を言わないといけないのだが……。
「あのさ……」とオレが言うと、「何よ!」と鋭い視線が返ってくる。
いや、言うのやっぱやめたわ。今言ってもなんか損する気がする!
だからオレは言うべき台詞を変更した。
「なぁ、藤澤。あの最終レースみたいなレースが……いや、あの日以上のレースができるかと思うと、ワクワクしてこないか?」
「ふん。今週末からイヤというほど勝負できるじゃない。バカね」
「ああ、そうだな」
でも、不安もある。オレはイップスを克服できたわけじゃない。騎乗練習でも、馬にムチを振るおうとすると身体が硬直する。足にムチを振るうのも、1レースや2レースならともかく、毎回となると足が死んじまう。……まぁ、なんとかするしかないか!
そんな風に考えながらも、オレは不安な表情をしていたのだろう。藤澤が控えめに訊いてきた。
「アンタさ、イップス、まだ治ってないんだっけ? ……ふん。相談くらいは乗ってあげてもいいわよ」
「おっ、マジ?」
「ど、同期だからね! べ、べつに他意は無いんだからね! 他意は!」
「マジマジ? じゃぁさ、馬の手前の上手い変え方教えてくれよ」
「はぁ? アンタ、それぐらい自分で考えなさいよ!」
「えー。今、相談に乗るって言ったじゃん!」
そうだ。オレたちはここで生きてゆく。
悩み、迷い、失敗して、たまには足踏みすることだってあるだろう。
けど、前を向いて歩いてゆこう! これが、こここそが、自分が決めた道なのだから! 今日からは全力で駆け抜ける!
「なー、ケチケチすんなよー。教えてくれよー、藤澤ー」
とりあえず、藤澤へのお礼は手前の変え方を教わってからにしよう!
なんて問題を先延ばしにしたオレは、藤澤の背中を追いかけるために舗装された小道を駆け出した。
いつの間にか顔を出した太陽がオレたちの進む道を照らしている。
青空から降り注ぐ日差しが温かい。
もう春はすぐそこだ。それは、オレたちの新たな戦いの幕開けでもあった。
了
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
一端、蒼司たちの物語はここで終わりです。
新人騎手になった蒼司たちの活躍もぜひ書きたいと思っています。
感想などいただければ、幸いです。
もともと競馬が好きなので、最近の競馬界の盛り上がりを嬉しく感じています。
某ゲームであったり、リアルの競馬界であったり。
今作品を通じて、競馬のことに少しでも興味をもっていただければ幸いです。




