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蒼きギャロップ  作者: 印藤ゆう
23/24

第5レース ゴール前  それぞれの道へ

 検量後、とある控室で。

「このっ、ばっか者がー!」

 サクラ教官ちゃんの怒りがオレの耳に突き刺さった。

 もちろん、バク転をしたことが理由だ。ちなみにあの後、放馬したレッドドレイクは走り出してしまって、係員の人たちが捕まえるのに十五分を要した。ごめんなさい、係員の人たち。

「まったく、貴様と言うヤツは!」

 もし今、サクラ教官の手に竹刀があったら、ひょっとしたらオレの首は繋がっていなかったかもしれない。それほどに、サクラ教官はご立腹だ。

「まぁ。ここは一つ、デキの悪いヤツほど可愛いということで……」

「ほぅ。自分で言ったら世話が無いな、音梨ぃ」

 サクラ教官は右目を眇めてオレを睨んだ。

 あははは……。乾いたオレの笑いが室内に響く。

 それがさらにサクラ教官の怒りを誘ったようだ。

 オーラが、ぱない勢いッス! サクラちゃん!

「あの、東雲教官。質問してもよろしいでしょうか?」

「なんだ。藤澤」

「なぜ、私たちもここに呼ばれたのでしょうか?」

 オレの後ろに立っていた藤澤が、感情を宿さない声で尋ねた。

 たぶん、必死に怒りを抑えているのだろう。

 いやー。これはもう、前門の虎、後門の狼って感じだ。

 さっきからオレの背中には、冷や汗が流れっぱなしだったりする。

「もちろん連帯責任だ。……というのはウソで、実はな。貴様らに会わせたい人物がいるので集まってもらった」

 会わせたい人物?

 どうぞ入ってきてください。と、サクラ教官は廊下に声をかけた。

 自然と、みんなの視線がドアに集まる。

「やっほー」

 明るい声を上げて入ってきたのは、カレッジリングの製作者である九条絢音さんだった。

 当然今日は、ピエロメイクに革ジャンスタイルではなく、薄めのメイクに白いカーディアガンと青系のロングのフレアスカートという出で立ちだった。

「そうだ。見にきて下さいってオレが誘ったんだった!」

「ハーイ。ちゃんと見に来たわよー。みんな凄かったねー、私感動しちゃった! もう興奮しすぎてゴール前は絶叫しちゃった!」

 ちなみに、絢音さん。「私は関係者です!」と言い張って、関係者以外立ち入り禁止区域に入ろうとしていたらしい。当然のように警備員に捕まってしまい、事情を説明。そこからサクラ教官に連絡がいって、教官が保護に向かったらしい。

 いやー、思っていた以上に凄い人だった。

 いや、これくらいのパワーがないと二十代でショップのオーナーとかできないんだろうなぁ。

「あははは、ホント恥ずかしいー」

 照れて笑う絢音さんに釣られてオレたちも笑った。

 よかった。これで少しは場の雰囲気が和んだ。

 オレへの風当たりもこれでなくなる。よし! なんてオレが心の中でガッツポーズしていたら、

「でも、スペシャルゲストは私じゃないんだよねー」と絢音さんが、テヘぺろ、と小さく舌を出した。

「へっ?」という気の抜けた表情を誰もが浮かべた。その時、

「入ってきていいぞ」と、サクラ教官が再び部屋の外へと呼びかけた。

 ガチャリ。

 扉を開けて入ってきたのは、なんと同期の誰もが驚く顔だった。

「「大樹!」」「端口君!」「はっしー君!」

 オレたちの声の先。はにかんで立っていたのは端口大樹だった。

「やぁ、みんな。久しぶり」

 大樹はかるく右手を上げた。

 黒いロングコートを手に、デニムシャツとジーンズという私服姿だ。やけに見慣れないと思うのは、三年間、コイツのジャージ姿を目にしてきたからか?

「大樹、お前………………」

 ああ、ダメだ。言葉が出てこない! いや、うっかりすると涙が出てしまいそうだ。そんなオレの横で、「大樹ー」「はっしー君」と言って、忍と吹雪が飛びついていった。

 いやー、コイツらはホントおこちゃまと変わんねぇーな!

 しかも、大樹は大樹で二人を受け止めて、その上でクルクルと回っている。

 まるで人間メリーゴーランドだ。

「はい、吹雪! そこで『わーい』とか言って喜ぶな!」

 ひとしきり回転した後、大樹は忍と吹雪を降ろした。

 またやってねー、とか吹雪。お前は正月に遊びにきた姪っ子かよ!

「その様子じゃ、元気だったようね。端口君」

「ああ、藤澤さんも。それに今日は残念だったね」

 カチンッ! という音が聞こえそうなくらい藤澤の表情が変わった。

「ええ。でもチャンピオンシップの優勝者は私だから!」

 そうだった。今日のレース。藤澤が4着じゃないかぎりコイツのチャンピオンシップ優勝は動かないんだった。

 くー、会心の騎乗で忘れていたけど、優勝のリングはコイツのものじゃんか! ちょー悔しい!

「それはおめでとう、藤澤さん」

「ふん、アナタがいなくなったんだもの。当然よ! でも、祝福はありがたく受け取らせてもらうわ、ありがとう端口君」

 まったく、藤澤はいつも強気な態度を崩そうとしないよな。

 でも、当然か。……まぁ、オレの今日の勝利は、オレだけの力じゃない。練習に付き合ってくれた大樹や忍。デイズの死を一緒に悲しんでくれた吹雪。もちろんサクラ教官や、かぁちゃんや、親父も……。あと藤澤からもアドバイス貰ったし……。最後の最後まで力を抜かずに走ってくれたレッドドレイク。それにもしかしたらデイズも一緒に……。

 ――なんだ。こうやって考えるとオレの努力や力なんて、ほんのちっぽけなもんなんだな。

 藤澤のヤツは自分だけの力で勝ちを掴みとったというのに、オレはみんなから力を貰って……、みんなの想いを受け取って、やっと………………。

「あらためて今日はおめでとう。蒼司」

 進み出た大樹がオレの前に立って握手を求めてきた。

 一瞬、オレは躊躇した。

 自分にこの手を握る資格があるのか考えたのだ。けど、すぐにオレはその手を取って、ぐっ、と握りしめた。でも、これは祝福を受ける握手じゃない。オレが大樹に感謝を示す握手だ。

「ありがとな。その、なんだ。お前や、みんなのおかげで勝つことができたんだ」

「そんなことないさ。すべてはお前の努力があってこそだ」

「そう言ってもらえると、すっげー嬉しいけど、……やっぱ、みんなのおかげだ」

 偽りのない本音をオレは口にした。

「あれ、アオ君泣いてるよー」

 吹雪がオレの顔を覗き込んで指摘した。

 そう。気が緩んだのか、右目から何かがすっーと流れ落ちたのだ。

「こ、これは涙じゃないし!」

 って、そんな言い訳は通用しないのだろう。みんなが笑いを嚙み殺しているのが見てとれた。

「いや、泣いてなんかねーし!」

 涙を拭って弁解したオレに対し、誰もが笑い声を上げる。

 オレの口からも苦笑が漏れたが、すぐに笑いへと変わった。

 笑い声が落ち着いた頃、大樹はオレたちの顔を見渡した。

「みんな。今日自分がここに来たのは、みんなのレースを見るためでもあったけど、みんなに報告があって来たんだ」

 いったい何を? と、注目が大樹に集まった。

「実は自分、もう一度競馬学校に通うことになったんだ」

「へっ? でも、大樹は体重オーバーで……。ああ、そうか!」

 オレの脳裏に、教官室に呼び出されたときのことが思い起こされた。

 あの時の、サクラ教官が手にしていた大樹の名前が書かれた書類。あれは競馬学校の入学願書だったんだ!

「もしかして、端口君。騎手じゃなくて……」

「ああ。騎手課程ではなく、厩務員課程に通わせてもらうつもりだ。東雲教官の勧めで」

 オレたちは一斉にサクラ教官の方を向いた。

「なにも道は一つじゃない。一つの道が閉ざされても、きっと別の道は用意されているものだ。それを教えるのも教官わたしの仕事だからな」

 競馬学校、厩務員課程。

 厩務員とは、担当する競走馬の飼い葉や寝わらの管理、馬の手入れや調教などを行う人のことを指す。

 その厩務員を育成するのが厩務員課程だ。

 つまりは裏方だ。だが、裏方がいなければ競馬は成立しない。

 そうだ。競馬には競争馬はもちろん、騎手、厩務員、調教師。生産牧場の人々。育成牧場の人々。さらにファンの人々。――様々な人が関わって成り立っている。

 騎手を目指していた大樹が裏方に加わることは、大きな葛藤があったのかもしれない。けれど、大樹はそこに踏み込むことを選んだ。

 そしてそうと決めた以上、大樹は迷わず進むだろう。まっすぐに、全力で駆け抜けるはずだ。競走馬がギャロップ(全速力)でターフを駆け抜けるみたいに。

 オレはめっちゃいい考えだと思った。

「さすがサクラちゃん!」

 ぱちんっ、と指を慣らしてオレは続けた。

「よし! いつか大樹が担当する馬でG1勝ってみせるぜ! なんてったってオレはいつかダービージョッキーになる男だからな!」

 興奮したオレの口からは、自然とそんな台詞が飛び出していた。

 直後。ドスっ! と鈍い音を立て、オレの頭部にサクラちゃんの手刀がめり込んだ。

「まったく。今日のお前は調子に乗りすぎだ、音梨!」

 うっ、たしかに!

 色々な重圧から解放されたオレは、めちゃんこハイになっていたかもしれない。

「ずみまぜん、東雲教官」

 シュー、と頭から煙を出し、オレは涙目で謝罪した。

 再び、どっと部屋の中に笑いが巻き起こる。

 あはははと、オレも頭をかいて思いっきり笑った。

 今日はとてつもなく最高の記念日だ!

「蒼司、みんな。二年後には同じ世界に追いついてみせる! 待っていてほしい!」

 新たな約束を残し、大樹は絢音さんと一緒に帰って行った。

 こうして、三年間に渡る競馬学校の生活が終わった。

 卒業レースの三日後、オレたちはめでたく卒業したのだ。

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