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蒼きギャロップ  作者: 印藤ゆう
20/24

第5レース 第1コーナー  年明け

 一月一日、正月。

 チラチラと小雪が降る中、オレたちは早朝から担当馬たちの世話をこなしていた。

 いつも通りのオレたちの朝だ。正月だからといって、担当馬の世話をしなくてもいいなんてことはない。でも、三が日は練習がないから、馬たちの世話を終えるとぶっちゃけ自由時間だ。

 実家に帰らなかったオレと忍は、その自由時間をトレーニングに充てていた。

 年末に見えた、イップス克服の鍵。それをモノにするために、トレーニングルームかフィジカルグルームに入り浸っている。

「正月から筋トレってバっカじゃない? 他にやることないのかしら?」

 フィジカルルームの入り口に姿を見せた藤澤が、呆れたように言い放った。

 ちなみに、同期で帰省した者はいない。なんだかんだ言って四人とも残っているのだ。

「ってか。藤澤もトレーニングにきたんだろ? お前もやることないってことじゃん」

「ち、違うわよ! 部屋にいても……やること……、そう、気分転換にきたのよ! 一日中部屋でじっとしていたらなまっちゃうでしょ。ほら、筋肉は三日休ませると衰えるって言うし!」

 ムキになっての早口。分かりやすいぞ、藤澤。

「いま、部屋にいてもやることないって言おうとしたんだよね。藤澤?」

 忍がしたり顔で突っ込んだ。

「ち、違うわよ! 違うって言っているでしょ!」

 すごい勢いで、藤澤は右手で虚空を薙いだ。だが、

「えぇっー。いっぱい身体を動かそうって来たんじゃないの? ねー、カオルン」

 ぴょこっと、藤澤の後ろから吹雪が顔をだした。

 藤澤は両手を激しく振り、「そんなこと言ってないでしょ! もう吹雪何言っているのよ!」と顔を赤らめた。

「はい、茹でダコいっちょあがりぃ!」

 ぱちんと指を鳴らして忍が笑う。

 その忍に向かって何かが飛んできた。言うまでもなく投げたのは藤澤だ。

 水の入ったペットボトル。オレがそう認めた時には、それは見事に忍の顔面を捉えていた。

 バコンっ! という衝撃音を残して忍とペットボトルが宙を舞った。

「あっ!」

 口を押さえて、やってしまった! という顔をする藤澤。

 いや。あっ、じゃないだろ。藤澤。

 考えるよりも先に手が出る。

 こういう時の藤澤は遠慮というか、手心というか、加減というか、そういうのが一切ない。

 気が強く、負けず嫌い。

 まぁ、それはコイツの騎乗にもよく現れているよな。誰であっても、何があっても負けるものか! そういう気迫が藤澤の騎乗からは伝わってくる。

 そこがコイツの長所といや長所だよな。気の強さが、大胆で正確な騎乗に繋がっている。

 はたしてオレは、ムチが使えないというハンデを抱えたままコイツに勝てるだろうか?

 ふと、そんな思いがよぎった。


 結局。忍が回復してから、オレたち四人はトレーニングに明け暮れた。

 筋トレや、木馬を使った騎乗練習をして。昼から始めて夕方ちかくまで。

 外では大粒の雪が降り、窓は白く曇っている。

 水の入ったペットボトルを前に、オレたちは車座になって休憩に入った。

「それにしても、家に帰るヤツが一人もいないとは驚いたよな」

「ふん。揃いも揃って、みんな家が嫌いなんじゃない?」

 ペットボトルを傾けていた藤澤が意見した。

 なんだ? コイツ家が嫌いなのか?

 そんなふうに思える冷たさだ。いや、コイツが冷血漢なのはいつものことなのだが……、うん? 女だから冷血漢は変なのか? だったら冷血女だろうか?

 などと悩んでいると、明るい吹雪の声が上がった。

「ちがうよー、カオルン。みんながここに残ったのは、ここがみんなの家だからだよー」

 慈愛の女神のように微笑みながら、吹雪は両腕を広げてみせた。

「おー。ぶっきー、いいこと言うね! ここがみんなの家か。なら。ほら、あれだ。つまりボクらは、同じ釜の飯を食った仲間ってやつだね!」

 忍が吹雪の意見に笑顔で賛同した。

「ここが私たちの家? 同じ釜の飯?」

 怪訝そうな表情を浮かべている藤澤だが、その目線をクルっとオレの方に向けた。

「なによ」と、険しい視線を投げかけてくる。

 どうやら、藤澤はオレが彼女の顔を見ていたのに気付いたようだ。

「い、いや。なんでもない」

 そう答えつつもオレは、コイツは家族と上手くいってないんだろか? コイツの家って、あの超が付くほどの名門厩舎だよなー。などと考えていた。

 するとさらに、藤澤の視線が凄みを増す。まるで念でも込められていそうだ。

 おい、藤澤。お前の目は邪眼か? 邪眼なのか? ひょっとして視線でオレを殺そうとか思ってないか? 

 まぁ、とにかく。そんな藤澤を納得させるべく、オレは口を開く。

「オレたちはさ、間違いなく仲間だよ。藤澤がどう思ってもな」

 ここでもし、オレたちは家族だ。とか言ったら、コイツはたぶん否定するんだろうな。だから仲間って言葉は、オレにとって最大限の譲歩だ。

 オレは少しだけ笑って見せて、藤澤の反応を待った。吹雪と忍も、藤澤の方を向いている。

「ふん。まぁ、そりゃ同期だから。仲間は当然でしょ」

 藤澤は顔を逸らして言う。

 ほら、予想通りの反応だ。

 でも、これで少し場の空気が柔らかくなった気がした。

 約三年間も一緒にいて、オレたちは意外にもお互いのことを知らないのかもしれない。それでも仲間だ。騎手という同じ道を目指す仲間。そしてライバルだ。

「でも。今ここにはっしー君がいないのは、残念だよねー」

 吹雪の口から出た、端口大樹のあだ名。

 みんなが床に視線を落とした。オレたちの中で一番優秀だった同期。その存在は今でも大きい。

「アイツなら、ここにいるさ」

 首元の鎖を引っ張って、オレは二つのカレッジリングを取り出す。

 蒼いエメラルドの宝石を持ったリングと、赤色のサファイアの宝石を持ったリングがオレの手の中で転がる。

 みんなの瞳がリングの方へ向けられた。

「大樹も連れてゆく。必ず、騎手の世界に」

「ふん、アンタにそれができるの? 自信が無いのなら私が変わってあげてもいいのよ」

 藤澤はクィと顎を上げて、顔を斜にする。

 おい、おい、あからさまな挑発かよ。

 少し前のオレだったら一も二もなく、売られたケンカは買っていただろう。

 でも、いつまでも子供じゃいられない。

 ましてや、このリングの前では。

「託されたのはオレだ。大樹は……、大樹の心は、オレが競馬場ターフへ連れてゆく!」

 オレはまっすぐに藤澤の目を見返した。

 そうだ。――安い挑発に乗るほど大樹との約束は軽くない。

「なら、せいぜい頑張りなさいよ。……吹雪、一緒にお風呂行こ」

 吹雪の手を取って、藤澤はトレーニングルームを出て行こうとする。

 時計に目をやると、もう入浴可能な時間だった。

「覗きに来たら、――コロスから!」

 吹雪の肩を押す藤澤は、首だけをこちらに向け、物騒な言葉を残して廊下へと消えていった。




 夕食を取った後、オレはホール脇の電話の前に足を運んだ。

 べつに、家の話をしていて実家が恋しくなったわけじゃない。けっしてないからな!

 誰かに言い訳をする必要もないのに、オレは一度電話の前から離れようとした。けど……。

 やっぱり取って返して受話器に手を伸ばした。

 親父とかぁちゃんが見舞いに来た時以降、オレは実家に連絡を取っていない。

 今回の最後の冬休み。帰らなかったのも、帰りづらかったからだ。

 親父とかぁちゃんの顔を見るのが辛い。

 倒産した実家を見るのが怖い。

 どんな顔をして帰ればいいのか分からない。なんて話していいか分からない。

「でも、正月だし。新年のあいさつくらいはしとかないとな」

 思い切ってオレはダイヤルをプッシュした。待つことしばし。

 コールが三回、四回、五回……。

『はい、音梨です』

「か、かぁちゃん」

『あら、蒼司かい?』

「うん、そう……」

 いざ電話をしてみると言葉が出てこない。すると、かあぁちゃんが尋ねてきた。

『元気にしてるかい?』

「うん、かぁちゃんは?」

『こっちも何とかやってるべさ』

「そっか……」

 なんだかホッとした。いつものかぁちゃんだ。いつものかぁちゃんの声だった。ガキの頃から聞きなれた穏やかなかぁちゃんの声だった。

「そ、そのぉ。お、親父は?」

『うん? 元気にしてるさ。代わるかい?』

「い、いや、いいよ。やめとく」

 慌てたオレに、電話越しのかぁちゃんは笑っているようだった。

『で、なんの用だべさ。蒼司?』

「あ、うん。その新年のあいさつと、去年のお礼。新年あけましておめでと。それと、去年は大変な時に、そのぉ、見舞いに来てくれてありがと! う、うれしかった!」

 一気に言った。もう途中から頭が真っ白になって、自分でもなに言っているのか分からなかったけど、とにかく言い切った。ほんと、なんで親にお礼を言うのはこんなにこっぱずかしい? それとも、こんなふうになるのはオレだけなんだろうか?

 オレが受話器を思いっきり握りしめていると、

『はい。新年、おめでとう』

 そう言って、クスクスとかぁちゃんは笑った。

「な、なんだよ。オレ、変なこと言ってないだろ?」

『だってねぇ。蒼司、子供が変に気を回さなくてもいいべさ。ガラにもないっしょ』

「うっ。そりゃ、オレだっていつまでも子供じゃないからさ……」

 なんか調子狂う。ガラにもないのは分かっているんだ。……それでもオレがなんとかしないと。オレがしっかりしないと!

『なに言ってるの。アンタは子供よ。どんなに大きくなったって、どんなに遠くに行ったって。蒼司は、とうちゃんとかぁちゃんの子供だべさ』

「そりゃ、そうかもしれないけど」

『だから心配しないでいいべさ。こっちは何とか倒産は回避できそうだべ』

「はぁぁ!?」

 ロビーにオレの声が大きく響いた。思わず口を抑えてしまう。

『なに、大きい声だして。当たり前だけど、かぁちゃんたちも何もしてないわけないべさ』

「でも倒産したって……」

『そうねー。一回目の不渡り出したからねー。なにせとうちゃんもかぁちゃんも初めてのことだったから、もうダメだと思ったさ。でも、不渡りは二回目を出さなきゃなんとかできるって』

「へっ!? そんなの知らんし、かぁちゃん。聞ぃてねぇよ!」

 脱力したオレは、思わず受話器を落としかけた。

『まぁ、こっちはこっちで何とかするべさ。んで、アンタはしっかり騎手になれそうなの?』

 もうすぐ卒業試験あるっしょ。とかぁちゃんは訊いてくる。

「ああ。……オレも、何とかできるかもしれない。いや、してみせる!」

 オレは言い切った。

 ダービージョッキーになるというでっかい目的はオレの中にあったけれど、今は騎手になる。その目標にオレは狙いを定めている。

 手が届く。いや、手を伸ばして掴みとれる距離にいる。……そのハズだ。

『なら、蒼司がデビューしたら競馬場に見に行かないとね』

「え、いいし!」

『いやいや、絶対行くに決まっとるっしょ! おとうちゃんもしっかり連れて見に行くから』

「来なくていいって!」

 はははと笑うかぁちゃんの声を聞きつつ、オレはガシャンと受話器を置いた。顔がひどく火照っているのが自分でも分かった。

 なんで、騎手になった自分を見られるのが恥ずかしいと思うのだろう? それとも、親に自分を見られるのが恥ずかしいのか?

 小学校の初めての授業参観に、親が来る時のドキドキ感を思いだす。

 来て欲しいような、来て欲しくないような、不思議な感覚。

 で、結局。なんで恥ずかしいのか答えは出ないまま、オレの口から呟きが漏れた。

「よかったぁ。牧場ウチ、潰れないで済むんだ」

 目の前が不意に歪んだ。

 それが涙のせいだと気付いたオレは、ジャージの袖で顔を拭う。

「蒼司、風呂に行こうよ! お風呂!」

 廊下に姿を見せた忍が、風呂道具を手に声をかけてきた。

「おう、今行く!」

 涙を流したのを気付かれないよう、オレはパシンっと顔を両手で挟んで気合を入れた。

 つーん、と鼻の頭が変な感じだ。

 校舎の外では、まだ雪がしんしんと降っていた。

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