第3レース ゴール前 あこがれの地で
光陰矢の如し、とはよく言ったものだ。
焦るオレを追い立てるかのように月日は流れて、十二月第二週、第三回目の模擬レース当日。
ダート、芝ともに1200メートルで行われる模擬レース。
午前に1レース、午後に1レースが予定されている。しかも、この日は東京競馬場でレースが行われるのだ。平日故にお客さんはいないが、それ以外は本物と変わらないレースが行われる。
その日の朝、オレはいつもより早く起きた。着替えを済ませ、朝靄の中に包まれる厩舎に向かった。すでに十二月だ。正直、肌寒い。けど、感覚を研ぎ澄ましてゆくような冷たい空気がオレは好きだ。
白い靄をかき分け厩舎に辿り着いたオレは、先客がいることに気が付いた。
「大樹か?」
同期のライバルが、こちらを振り向いた。
「はやいな、蒼司」
大樹が笑う。
「お互い様だろ」
オレも笑顔を返した。
「いよいよ今日は決戦だな」
大樹は視線を外し、担当馬の鼻面を撫で始めた。一頭を終え、もう一頭も。
ゆらりと、湯気が大樹の身体から立ち昇る。まるでオーラだ。いいや、間違いなく大樹はオーラを発している。気迫というオーラを。その気迫にオレは息をのんだ。
このままでは呑まれてしまうと思い、オレは声を発した。
「今日は負けないぜ、大樹!」
「ああ、自分も2レースとも勝つつもりだ。1着は譲らない。君でもだ、蒼司」
もう一度こちらを見た大樹の眼は、燃えるように爛々と輝いていた。
東京府中市、東京競馬場。
厩舎エリア、馬場、検量室を見学した後、オレたちはコースについてのレクチャーを受けた。
第1レースが始まるまであと少しだ。
緊張する。手に汗がにじみ、心臓がバクバクする。
結局、オレは出たとこ勝負を選んだ。
一頭はデイズの代替馬でよくわからないので、ゲートを出て流れに任せるしかない。
その代わり、大樹と相談して何パターンも状況を考えて、その一つ一つに対応策を用意してきた。多分、これはオレ一人じゃムリだった。大樹がいて初めてできた戦略だ。
「集合!」
サクラ教官がパドック――レース前に、馬のデキの良し悪しをお客さんに見せるところ――で集合をかけた。サクラ教官の後ろには、他の教官たちがずらりと並んでいる。
オレたちは、その前に横一列に並んだ。
「今日は、重大な報せがある」
ああ、そうか。今言うのか……。オレは前を向いたまま姿勢を正した。
「東雲教官!」
端口大樹が一歩前に出た。
「自分で話をさせてください。お願いします」
サクラ教官はしばらく大樹と視線を交わしていたが、後ろにいる教官たちを振り向いた後、視線を戻して頷いた。「いいだろう」と。
大樹はさらに前に出て振り返ると、オレたちの方を見た。
「実は――、自分は今日で学校を去ることになりました」
「「「ええ!」」」
一斉に、オレ以外の同期の声が上がった。
でも、薄々は気付いていたのかもしれない。大樹の身長はもうとっくに一七五センチを超えている。その身長と骨格が、四十七・五キロという体重を容認するのは難しい。
競馬学校の規定では、三回規定体重である四十七・五キロをオーバーすると退学が言い渡される。厳格たる、避けられぬ決まりだ。
大樹は言った。
「だからみんな。……今日は真剣勝負をして欲しい」
清々しく、前を向いて、アイツは微笑んだ。「みんなとの最後のレース。真剣勝負をしたいんだ」と。
大樹がオレに協力を申し出てくれたあの日。大樹はオレに、もう体重のリミットを下回るのが難しいと打ち明けた。
それを聞いたオレは、心底悔しかった。
同期の中で一番努力して、一番真摯に騎手と向かい合ってきた大樹が、体重オーバーで騎手になれないなんて。
オレは知っている。いや、同期の誰もが知っている。カロリー制限されている食事ですら大樹は食べない時があった。我慢に我慢を重ね、努力に努力を重ね、それでも報われない。それでも届かない。
なのに、大樹は……。
「現実は残酷だ。人生は思うようにいかないことばかりだ。でも、それでも、道は開ける! 諦めず、前を向き、進んでさえ行けばきっと!」
まるで自分に言い聞かせるように。ムチを振るえないオレに向かって大樹は言ったんだ。
自分の道は閉ざされてしまったというのに。
それに比べたらオレは……、どれだけ中途半端なんだよ!
オレにハンデがあるのは知っている。努力を怠ってきたというハンデだ。
そのオレが大樹に勝とうなんておこがましいのかもしれない。でも、オレは……!
ゲートの前。
五頭の馬がスタート時間を待つ輪乗りの最中、オレは馬上でみんなに宣言した。
「今日は2レースとも、オレが1着を取る!」
吹雪にしろ、忍にしろ、根が優しい。唯一の例外、冷血女の藤澤のヤツは知らないけど。
とにかく、オレは気落ちしているように見える忍と吹雪に向けて、発破をかけるための宣言をした。
だってそうだろう。大樹のヤツは気の抜けた勝負なんて望んでない。ましてや周りが、手を抜いた結果の1着なんて望んでいない。真剣勝負こそが大樹の求めるものなんだ。
オレの言葉を聞いて大樹も続いた。
「みんな、分かっているか? 今日自分が1着を二回取れば、今日以降レースに出られない自分にも、チャンピオンリングを手にできる可能性だってあるんだ。うかうかしていたら後悔する羽目になるぞ」
「「「「!」」」」
「そんなことさせない! させないわよ! ここから去ってゆくアナタに勝たせてあげる義理なんてないわ! 主席の座は私が手にするんだから! 精々全力でかかってきなさいよね!」
おー、言う言う。やっぱり藤澤のヤツに温かい血なんて流れてないんじゃないか?
だがここまできてやっと、忍と吹雪の眼にも光が戻った。
「ボクだって! 前回、1着取ったんだ! 舐めるなよ、大樹!」
そう、オレが落馬したレースは無効にならず、逃げきった忍が1着を取っていた。だから現在ポイントが10点に満たないのは、5ポイントのオレだけだったりする。
「吹雪だって負けないよー! チャンピオンリングは吹雪が貰うんだからー」
吹雪が気を吐くと、ずいぶんと可愛らしい感じがしてしまう。さすがはオレたちのマスコットだ。
「え、えっー。なんでみんな笑うの? 吹雪変なこと言ってないよー」
頬を膨らませる吹雪はさらに場を和ませる。もう変な緊張は、みんなから消えていた。
「さぁ、行こう! 勝負だ!」
大樹が馬首を巡らし、ゲートへと馬を入れた。それにみんなも続く。
ダート1200メートル。
ほんの1分10秒ほどの勝負。七十秒とちょっとにオレたちは全力を傾ける。
いよいよ、スタートが切って落とされた。
ガシャン! とゲートが開かれ、オレはスタートを決めた。
直後、藤澤が勢いよく飛び出した。それに吹雪と大樹が続いている。オレと忍もスタート自体は悪くないが、すこし置いて行かれた。
くっ! ムチが使えないオレはできるだけ前に付いて行きたいのに!
道中、焦ったオレは自分で自分に腹が立つくらいミスを連発した。
少しでも前に行こうとして、騎乗馬とケンカをして馬の脚を使ってしまった。
さらに勝負所でも、前を行く馬と馬の間に突っ込むのをオレは躊躇した。落馬の記憶がよぎったからだ。
勝機を掴めなかったオレは仕方なく、大外に馬を持ち出した。
けど、ケンカしてスタミナを消耗した騎乗馬に、切れる脚は期待できるはずもなかった。
言うまでもなく、オレはみんなの後塵を拝して、第1レースは5着―――――――。
あれだけ啖呵を切ったのに情けない!
昼休憩中。
オレはパドックの中央部分に陣取り、芝の上に横になっていた。
現在反省中。いや、猛省中だ。
「5着は無いよなぁ、5着は……。完全に焦って騎乗ミスったぁ!」
「アンタバカなの? エラそうなこと言っておいて5着とかないでしょ。しっかりしなさいよね!」
陽の光を遮って現れたのは、2着だった藤澤だ。その言葉にオレは「ぐっ」と呻いた。
「どうやら返す言葉もないようね。だったらちゃんと反省しときなさいよ!」
「してたんだよ、今。まさしく! 反省中なの!」
「ほんとうかしら? 午後のレース、5着とか取ったら思いっきり笑ってやるから。覚悟して騎乗しなさいよね!」
藤澤は言いたいことだけ言うと、満足したとばかりに去っていった。
入れ替わりに、大樹がやってくるのが見えた。午前のレースで1、2着だったこの二人は、立ち止まって二言三言交わすと再び歩き出した。
「ったく、藤澤のヤツはどうしてああも生意気なんだよ!」
オレは横に座った大樹に愚痴った。
「なんだ気付いてないのか? 藤澤さんのあれは、お前に気を使っているんだぞ」
「はぁ!? まさか! なにがどういうふうに気を使ってるんだよ!」
「フッ、まぁなんだ。自分の同期はみんな優しいな。……最高だ」
顔をあさっての方に向けたからよく見えなかったが、
ひょっとして大樹……泣いていたのか?
そしてほどなく、気持ちも覚悟も十分に固まらないうちに2レース目はやってきた。
これが大樹にとって。いやオレたちにとっても、大樹と一緒に走る最後のレースだ。
芝1200メートル。今度はダートよりも短い時間、1分08秒ほどで決着がついてしまう。泣いても笑っても、1分チョイで全てが終わる。終わってしまうのだ。
「今度はしくじらねぇ」
午前に乗った馬は、デイズの代わりに手配された代替馬だ。正直、クセが分からなかった。
いや、それは言い訳だ。さっきのレースは完全にオレのミスだ。でも、今度は乗り慣れているレッドドレイク。サマーデイズに比べて言うことを聞いてくれないが、それでもコイツのことは良く分かっている!
こいつは、気が強くて思い通りに騎乗する(てのうちにいれる)のが難しい馬だ。
得意な戦術は「追い込み」で、前の方でレースを進めようとすれば、こちらの指示を聞いてくれないかもしれない。もし、レース中に折り合いを欠いたら、短距離だけにミスを取り返すのは困難だ。だから、レッドにこちらが合わせることを意識する。
「頼むぜ、相棒」
オレは鞍上からレッドドレイクの首筋を叩いた。
その様子を見ていたのだろう、藤澤が馬を寄せてくる。
「ふん、馬の力に頼らなくちゃならないんじゃぁ、話にならないわね」
「なんとでも言えよ。今度は負けねーからな、藤澤!」
オレはしっかりと藤澤の目を見て言ってやった。
「そう。せいぜい頑張ることね」
すっーと、馬首を巡らせて藤澤はゲートへと馬を導いた。
オレもレッドをスターティングゲートへと向けた。すると、今度は大樹が馬を寄せてきた。
「蒼司。自分はこのレース、絶対1着を取る」
大樹は断固たる決意を瞳に込めていた。なにがなんでも! という気迫が見て取れる。
自らが目指す騎手という道が閉ざされて尚、大樹はオレの為に協力してくれた。それに応えるためにも、
「オレもみっともない騎乗はしない! ぜってー、勝つ!」
オレと大樹は馬上で拳を合わせた。これが大樹との最後!
ほどなく、五頭の馬がゲートに揃った。
オレは感覚を研ぎ澄ます。姿勢を低くしてスタートを待つ。
ガシャン! とゲートが開いた。
スタートダッシュ! オレは手を前後に動かしてレッドドレイクに行き脚をつける。
悪くない! いや、気付けばオレが、オレとレッドが先頭を走っていた。
オレが逃げ!? チラと股の間から後ろを確認する。
普段先頭を主張したがる藤澤も、何故か後方だ。その横に大樹がいた。そしてオレのすぐ後ろが忍、その一馬身後ろに吹雪がいる。
つまり、オレ、忍、吹雪、藤澤、大樹という順番だ。
オレは最後方からのごぼう抜きが好きだ。戦術も最後方からの「追い込み」を選択することが多い。それと、レッドドレイクの得意な戦術も「追い込み」だ。けど、
「『逃げ』もちゃんと大樹と一緒に考えてきたんだぜ!」
そうだ。大樹のレクチャーが思い起こされる。
逃げは、タイムとリズムが重要だ。
どんなに速く走れる馬でも、限界がある。
競馬は、際限なく走破タイムが短くなるわけじゃない。馬のレベルにもよるが、レッドたちなら、芝の1200で、1分08秒前後。逆算して3ハロン(600メートル)を34秒くらいで走ればいい。つまり、1ハロン(200メートル)を11秒ちょっとで走ればいいのだ。
もちろん、それは言うほど簡単じゃない。しかも前半で足を溜めたいのなら、心持ちゆっくり走らせた方がいい。だが、あまりに遅いと二番手に付けているヤツにつつかれ、逃げ馬はリズムを崩してしまう。
いいか、蒼司。こういう乗り方が同期で一番上手いのが藤澤さんだ。彼女の体内時計は侮れない。だけど、いつもいつも彼女が先頭を奪えるわけじゃない。だからハナを奪えた時は迷わず行け! ムチを振るえない状態で最も有効な戦術だ!
「おう!」
オレはレッドの脚を緩めるために、少しずつ手綱を絞った。後半に勝負できる脚を残すためだ。
「リズム、リズム、リズム………………」
オレは呪文でも唱えるみたいにレッドの手綱を操る。幸い、二番手の忍が強引に仕掛けてくることは無かった。けど、レースはあっという間に中盤を迎え、終盤に差し掛かる。
なるべくスピードを落とさず、左回りのコーナーを回る。
悪くない! ラチ沿いにレッドを誘導し、外にも膨らまなかった!
「ここまでは、逃げとしてはオレのベストレースだ!」
しかも、レッドの脚も十分に残っている! 直線の上り坂も十分いけるハズだ!
直線に入り、ゴールまで残り460メートル。
レッドとオレは、高低差2メートルの府中の坂に差しかかった。
すぐ後ろに忍が迫ってきている気配がある。でも、まだだ。まだ我慢!
残り300メートル。坂道が終わった。
後ろからさらに別の気配が迫ってきた。吹雪も勝負を賭けてきたか! 後ろから聞こえてくる馬の息遣いが、何度も何度もオレの背中を撫でてゆく。
焦るな、焦るな! まだだ。まだ!
振り返ればすぐ後ろにみんながいて、次の瞬間に抜かれて、オレだけが置いて行かれるイメージが付きまとう。それでも、が・ま・ん~~~~~~~~~~。
残り200! ここだ! オレは手綱を緩めてレッドのハミを噛ませた。ガチン、と衝撃が手に伝わりレッドのスピードが上がる。
残り100メートル。ここまできてもレッドに並ぶ馬はいない。
いける! オレは必死で腕を動かした。生まれて以来一番、これでもかというほど両腕を動かしている。それでもまだゴールを駆け抜けない。
まだかよ、ゴールは! 長すぎだろ、ラスト100メートル! う、腕がつりそう!
ほんの4、5秒が長い。気が遠くなるくらいに長い――――――――――。
その時、黒い影がオレの横に差し掛かった。しかも二つ同時! オレには横を見る余裕すらなかった。ただひたすらに両腕を動かし続けた。
レッドドレイクがゴール板を駆け抜けたのは、オレの腕が悲鳴を上げるのと同時だった。
その日の夕方。
秋の夕日が長い影をつくる中、校舎の入り口でオレたちは大樹を見送っていた。
数人の教官と同期の面々。
まるで退院してゆく患者を見送る病院スタッフ一同、みたいな感じだ。
いつもはジャージ姿のオレたちだけど、今は正装……競馬学校の制服であるブレザーに身を包んでいる。
「みなさん。お世話になりました」
荷物を地面に置いた大樹は、深々と頭を下げた。
「端口。君は良い生徒だった。騎手にさせてやることができず申し訳ない」
サクラ教官が姿勢を正して頭を下げた。
「やめてください東雲教官。すべては自分の努力が至らなかっただけです」
「そんなことはない。君が努力を続けてきたことは誰もが知っている」
大樹は小さく笑顔を作った。さみしそうに。
その後、何人かの教官たちが一言ずつかけてゆき、サクラ教官を残して引き上げていった。
「同期にライバルがいなくなって残念だわ」
「それはどうかな、藤澤さん。本当は君も分かっているのだろう?」
「ふん、何のことかしら」
藤澤はそれだけ言い残すと、早々に校舎の中へと帰って行こうとしたのだが、オレの前で足を止めた。
「――次、今日みたいな接戦の時。自分が勝ったか負けたか分かるくらいになりなさいよね」
「な、なんだよ、負け惜しみかよ!」
オレは藤澤の背中を見送った。
「ほんと、生意気な冷血女だよな」
「それはどうかな。意外と――」
「意外と?」
「いいや、なんでもない」
言葉を濁した大樹に、オレは踏み込もうとしたが……。
「あーん。はっしーく~ん、お別れだね~~」
「たいき~~」
号泣する吹雪と、ゾンビみたいに動く忍が割って入ってきた。
しこたま、大樹との別れを惜しんでいる。
――で、肝心の最後のレース結果はというと、1着はオレ。そして大樹だった。
そう。最終レースは、オレと大樹の同着だったのだ。
さらに僅差に藤澤。ゴールした時、三頭の着差は三センチにも満たなかった。これは、ゴールに設置されたカメラで判定された結果だ。
サクラ教官は、その写真をオレたちにも見せてくれた。
けど、この結果はとても珍しい。
日本中央競馬会が主催する、年間、三四五〇を超えるレースの中でも、1着の同着は数えるほどしか起こらない。ましてや競馬学校での模擬レースともなると、過去に前例はないそうだ。
吹雪と忍が別れを告げた後、オレは大樹の前に立った。
「お別れだな、大樹」
「ああ」
答えた大樹の顔は清々しいものだった。
「なぁ、大樹。……今日のレースでオレが1着を取れたのは全てお前のおかげだ。だから、オレの1着と合わせて、お前は最後に20ポイント取ったんだよ!」
オレの声が掠れている。オレが泣いてどうする! 泣きたいのはきっと大樹の方だ。けれど、
「それは、光栄だな」と大樹は笑う。
「お前が……、お前が……」
騎手になれないなんて、今でも……信じられない。信じたくない!
「そんな顔しないでくれ、蒼司。……そういえば、自分がなぜお前を尊敬しているか言ってなかったな」
オレは、はっと顔を上げた。
大樹がオレのどこを? 騎乗センスも、騎乗技術も、情熱だって大樹の方が上だ。
オレが大樹を上回るものなんて、――きっとない。
「自分は、自分の想いを人に話すのが苦手だ。できるなら、秘めたる想いは秘めたままでいたいと考える方だ」
そうだ。コイツはプライベートを話したがらない。初めは孤独が好きなヤツなんだと思ってた。けど、ちょっと違ったんだろう。大樹と一緒にいた時間、オレはすっげー楽しかった。
「だけど、お前は違う。『ダービージョッキーになる』。臆面もなくそう言い切れるお前が、凄いと思った。そう言い続けられるお前が凄いと思った。そんなお前を……自分は尊敬している」
「そんなのは……」
そんなのは口だけだ。オレのは口だけだ。努力が伴っていない。実力が伴っていない。オレがバカなだけだ。
「夢は抱くからこそ叶う。言い続ければ、願い続ければ、進み続ければ、いつかは叶う。辿り着ける!」
「大樹」
「自分はいつも言い聞かせていた。出来ないことなんて無い! 諦めない限り、道は開けると。……だからお前は諦めるな!」
「大樹、オレは……」
拳を握りしめた。つよく、強く。
今日のレースが終わった後、大樹はこう言った。「東京競馬場。ここでダービーが行われるんだな。自分も、騎手になってここで競馬をしたかった――――――」
その言葉に、どれだけの悔しさが込められていただろう。どれだけの無念が込められていただろう。
それを思うと、オレは……。
「蒼司、自分はお前に出会えて本当によかったと思う」
「オレも、……オレもお前に出会えてよかった!」
コクっ、と頷いた大樹はポケットに手を突っ込み、オレの目の前に差し出した。
「貰って欲しい」
ジャラリ。オレの掌に落とされたのは、大樹のカレッジリングだった。
「いや、これはお前の……」
「自分も連れて行ってくれ。騎手の世界に! そしていつか自慢させてほしい。自分の同期がダービージョッキーだって!」
「あ、ああ! ……約束だ! きっとオレは約束を果たしてみせる!」
オレの目から涙がどんどん流れてゆくのが分かったけど、構ってなんていられなかった。
「なんてったってオレは、いつかダービージョッキーになる男だからな!」
そう言ったオレに大樹は握手を求めてきた。オレは迷うことなくその手を取った。
今のオレはまだまだだけど。未熟で、未完成で、半人前だけど、
「いつかダービージョッキーになって、お前に自慢させてやる!」
ガシッ。交わした握手には強い力が込められていた。そこには、きっと想いが込められている。
騎手という道。大樹のヤツが絶たれた道。それをオレが引き継いでゆく。この握手には、そういう意味が込められている。
「約束だ!」
オレの言葉に大樹は微笑んだ。
「負けるな!」
オレたちは大樹が去ってゆくのを見送った。
学校の門の向こう側にその姿が消えるまで。そして、大樹の姿が消えてからもオレは立ち尽くしていた。
「アオ君。泣いちゃダメだよ」
「な、泣いてねーよ! オレはぜってー、泣いてねぇ!」
玄関前でオレは絶叫した。
悔しさと、覚悟。
「オレはぜってぇー、ダービージョッキーになってやるぜ!」
叫んだ空には、いつの間にか冬の星座が輝いていた。




