表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼きギャロップ  作者: 印藤ゆう
13/24

第3レース 第2コーナー  それぞれの悩み

 次の日曜日。

 オレは見舞いに来てくれたサクラ教官を初め、同期の面々に頭を下げていた。

「どーも、ご心配おかけしました!」

 病室のベッドに座った状態で、オレは頭を下げる。深く、深々と、限界まで。

 幸い、オレは軽傷で済んでいた。地面をしこたま転がったわりに、打ち身と捻挫しかしていなかった。

 レース中の事故で、文字通りの生命や、騎手生命が絶たれることもあるにもかかわらずだ。

「まったく、丈夫に産んでくれたご両親に感謝するんだな」とはサクラ教官ちゃんの言だ。

「それにしても、無茶な騎乗をしすぎだ」

 病室に入った時から眉根を寄せているサクラ教官だが、その瞳の色はどこか優しい。

「でも、アオ君だけでも無事で良かったよー」

「まったくよ。私たち四人じゃ盛り上がりに欠けるんだから、はやく退院しなさいよね!」

 窓側に陣取った吹雪と藤澤がのたまう。

 うん? でも今吹雪が言った、オレだけでも、とはどういう意味だろう?

 疑問を口に出そうとしたら、横合いから声がかかった。

「それで、いつごろ退院できるんだ、蒼司?」

 大樹だった。

「ああ。先生の話では来週には退院できるって」

「おお! 思ったより早いじゃん。良かったね、アオ!」

「おう、なんと言ってもオレはダービージョッキーになる男だからな! いつまでも寝てられねーぜ!」

 笑いかけてきた忍に向けて、オレは拳を握って応えた。

「やれやれ、あれだけ派手に落馬したアンタがダービーだなんて……、バカは死ななきゃ治らないって本当だったのね!」

「んっ、だとぉ!」

 大きく溜め息を吐いた藤澤に、オレは突っかかってみせた。そんないつも通りのやり取りをしていると、ガチャと扉が開いた。直後、

「このー、心配かけさせやがって! 死んでねぇだろうな!」

 大声を上げて入ってきたのは、どこかで見たことのあるオヤジ。背が低くて無精髭を生やし放題。ちっさな熊みたいな風貌の中年男。つまりオレの親父だった。

「こ、声! うるせーって、親父!」

「なんだとっ。親に向かってうるせーとはなんだ! うるせーとは!」

 ズカズカと歩みを進めてきた親父はベッドの脇まで来たかと思うと、周囲に一切かまわず拳骨を放った。これがあまりにも唐突でよけられなかった。オレの頭がカクンと揺れる。

「いってー、怪我人をさらなる怪我人にしてどうする、クソ親父!」

「うるせーやい、バカ息子!」

 ガバッと腕を開いた親父に警戒感を強めたオレだったが、不意に――抱きしめられた。

「ばっかやろう! 馬から落ちて死ぬことだってあるんだ。神様に感謝しとけ、バカ息子!」

「な、なんだよ、急に……」

 オレは激しく同期の目が気になった。

 藤澤あたりにここを見られたのは痛い。ぜってー後でからかわれる!

「あらあら、ウチのバカどもがすいませんねぇ」

 かぁちゃんが頭を下げながら病室に入ってきた。

 少しほっとした。かぁちゃんがいれば大丈夫。親父の暴走は一定ラインを越えないはずだ。

 その後、なんだかんだ、サクラ教官ちゃんがうちの両親に頭を下げては、みんなを引き連れて帰って行った。

 オレの入院期間は十日間。その間、近くに宿をとったというとうちゃんとかぁちゃんは、何度か病院に顔を出して北海道へと帰って行った。

 ウチが倒産した話は、なんだか気まずくてできなかった。ただ、帰り際。アンタは心配しなくていいから。と、かあぁちゃんが言っていた。

 でも、心配するし、気になって仕方がなかった。けど、オレが踏み入っても何の力になれないのも、また事実で……。

「オレって、やっぱ無力だわ」

 病院の天井というものは、とことん人を弱気にさせるらしい。

「はやくデイズに跨りてぇなぁ」

 呟いたオレは、無意識に手綱を握る仕草をしていた。




 退院した日の夜の自由時間。

 夕食を終えたオレは、懐中電灯片手に人気のない場所に来ていた。

 競馬学校内にある馬頭観音の前だ。

 馬頭観音とは、人の頭部でなく馬の頭部を持つ仏様だ。

 一般の人には馴染みないかもしれないが、馬に関わる仕事に携わる者なら知らない者はいない。この馬頭うまあたまの仏様は、競馬学校の片隅にも当然のように祀られている。もっとも、仏像や祠があるわけでなく、二段になった土台の上に、「馬頭観音」という文字が刻んである、でっかい石が立っているだけだが……。

 オレは石碑の前で膝を折り、花壇で失敬してきた一輪のコスモスを供えた。

 ごく最近、新たに祀られた馬がいる。その馬、サマーデイズに手向けるためだ。

 そう、オレが落馬をしたあのレース。オレは大した怪我を負わなかったが、デイズは前脚を骨折していた。その為に、予後不良と診断されたのだ。

 予後不良――その言葉は薬処分を意味する言葉だ。

 競走馬が脚を骨折した場合、治る見込みがないほどの重症と判断されると、その競走馬は薬処分されるのだ。

 オレが、オレが無茶な騎乗をしたばかりに、デイズは骨折して、その命を終わりにされたのだ。

 聞いた話では、オレが派手に転がっていたあの時、デイズも同じように転がっていたらしい。

 アイツは、骨折で痛む脚を引きずってオレの所まできて、オレの心配をして……。自分も痛かったはずなのに。オレの心配なんてしている場合じゃないほど痛かったはずなのに……。

「デイズ……」

 視界が歪む。

「オレが……、オレが無茶したから……、お前が………………オレのせいで……ごめんな……ごめんな……」

 瞳の奥で、人懐っこいデイズの顔が浮かんだ。ご飯をねだるデイズ。オレの後ろをついて歩くデイズ。ふてくされて馬房で転がるデイズ……。いろんなデイズが浮かんで、オレの記憶の中でいつも楽しそうにしている。

 そんなデイズの命をオレは終わりにしてしまった。

 最後に見たデイズの顔が思い起こされる。

 オレを心配するような、潤んだ瞳でこっちを見てきたデイズの顔が……。

 握りしめた拳を振り上げて、オレは思いっきり振り下ろした。冷たい石にぶつけた拳が痛い。

「でも、お前はもっと痛かったよなぁ……。もっともっと痛かったんだろうなぁ」

 実家が生産牧場である以上、小さい頃から馬が死ぬのを見てこなかったわけじゃない。老齢で死ぬ馬も、出産のときに死んでしまう仔馬も目にしてきた。もちろん、事故で死ぬ馬も……。

 でも、自分のせいで馬が死ぬなんて考えてもいなかった。ましてや自分のミスで、自分の騎乗馬が死ぬなんて……。

「オレのせいで死んだお前は……、オレを恨んで死んだんだろうな。デイズ」

「そんなことないよ!」

 背中から声が掛かった。振り向くと、邦枝吹雪がそこにいた。

「デイズはねー。アオ君が無事でホントに良かったって言ってたんだよ」

「吹雪……」

 吹雪はオレの横まで来ると跪いて、オレの拳を自分の手で包み込んだ。

 吹雪の手はオレの手とは違いとても暖かかい。

「だからね。こんなことしてもデイズは喜んでくれないと吹雪は思うの。きっとね、アオ君が元気になって一日でも早く、騎手ジョッキーになることが、デイズが一番喜んでくれることだと吹雪は思うよ。だから、アオ君が自分を傷つけてもデイズは喜ばないよ」

「吹雪……」

「泣かないでアオ君」

 ぶわっ、と涙があふれてきた。吹雪の言葉が、やけに心に熱いものを生んだから。

「あわわ、だから泣かないで。アオ君!」

 涙の向こう側で吹雪のあわてた顔が面白い。両手を躍らせて吹雪は顔を左右に振っている。どうしていいのか分からないといったふうだ。

 オレはそんな吹雪の顔を捕まえて、うにっと彼女の頬を引っ張ってやった。

「なにするの、アオ君(ひにゃふにゃの、あおふん)?」

「ありがとな。吹雪。お前が言ってくれるなら間違いないんだろうな」

 馬と会話できる吹雪は、きっとデイズの言葉を聞いてくれたのだろう。デイズは吹雪にも懐いていたから……。だからきっと、デイズの言葉を聞くことは、彼女にとってもつらいことだったと思う。

 デイズの望みは、オレが騎手になること。

 そう信じてもいいよな?

 馬と人の想いは繋がっている。

 それは人間の身勝手な考え方かもしれない。走らせるために馬を作り、走らせるために馬を育て、走らせるために馬を鍛える。その結果、無惨にも死んでいった馬たちに対する、人間の言い訳なのかもしれない。それでも信じたい。自分が関わった馬が、……馬たちも、走ることに魅せられ、走ることを名誉としている。勝利も栄光も、苦しみも。人と馬は共有しているのだと信じたい。

 オレの勝手な思い込みであっても、オレは……、吹雪の言葉に救われたような気がした。

 その後オレたちは、馬頭観音の石碑に両手を合わせて、しばらくデイズの冥福を祈った。

 ふと夜空を見上げれば、降ってきそうなほど空一杯に星たちが輝いていた。




 オレが本格的な騎乗練習に戻ったのは、デイズの死を知った二日後のことだ。

「いいか、音梨。勝負どこで一か八かを選択できる貴様の感性は悪くない!」

「はい、サクラ教官。ありがとうございます!」

「だが、けっして無理はするな。勝負と無茶は違う! その辺の判断を覚えろ! いいかそもそも勝負とは……」

 みんなが練習を始めた気配を感じつつ、オレは長々とサクラ教官ちゃんの説教を受けた。ばっちり柔軟につき合わされ、解放されたのは授業時間の半分を超えた頃だった。

「びっちりしごかれたねー、アオ君」

「ああ、タコになったかと思ったぜ」

 吹雪に応えながら、オレは伸びをした。

「耳にタコ。だけでなく、柔軟でも身体がタコ状態だ」

「まぁ、もともと柔軟には厳しい人だからねー、サクラ教官は」

 寄ってきた忍が、オレの騎乗馬――レッドドレイクの手綱を手渡してくれた。

「そうだな、何と言ってもサクラ教官自身が落馬で騎手生命を絶たれているんだから当然ちゃ、当然かもな」

 男性顔負けの騎乗技術があり、数少ない女性騎手ジョッキーということも相まって大人気だったサクラちゃんは、レース中の落馬による怪我が元で騎手を引退したのだ。

 柔軟に重きを置くのは、サクラ教官自身の戒めであるのかもしれない。

「オレが大ケガしなかったのは、サクラ教官のおかげかもな」

 純粋にそう思い、オレは両手をサクラちゃんに合わせた。すると、

「なにやっとるか、そこ! 早く騎乗せんか!」と怒鳴られた。

 慌ててオレたちは練習コースへと足を向けた。


 


 久しぶりに跨った馬の背は、ゴクリッ。と思わず息を呑むほど高かった。

 目の高さは、ざっと地上から二・五メートル。かなりの高さだ。

 ああ、でもこの感覚。……初めて馬に跨った時の頃を思い出す。

 普通の人が馬に乗ることなんてあまりないと思う。分かりやすく馬に乗る感覚を例えるなら、初めて自転車に乗れた時の感覚に似ている。そんなところだろうか――。

 とにかく、気持ちが高鳴るのは間違いない。

 鳥肌が立って、ブルっとくる。

「大丈夫、アオ君?」

「ああ。やっぱ、オレ好きだわ」

「「へっ?」」

 視線を上げると、吹雪と忍の目が点になっていた。

「あ、いや。馬に乗るのがな」

「「ああー、なんだ。やっぱり」」

 二人の言葉から察するに、なんだかオレは誤解を与えたのかもしれない。それにしても、やっぱり。なのか? オレが馬に跨るのは、そんなに傍から見ると楽しそうなのだろうか?

「じゃあ、三頭追い切り練習しようか」

 忍の言葉に従って、オレは忍たちと三頭合わせで追い切りをする練習に勤しんだ。

 決められた距離を、決められた時間内で走る。追い切り――レース前の練習のそのまた練習だ。

 ひさびさに馬を真っ直ぐに走らせるのがどれだけ難しいのか思い知った。

 そうか、デイズじゃなくてレッドだから……。

 大人しく従順な性格のデイズじゃなく、気が強くやんちゃなレッドだから。というのもあっただろう。にしても、その日のオレは左右に行きたがるレッドを押さえるのに四苦八苦した。

「でも、なんだ?」

 練習中、オレは何度か妙な感覚に捉われた。

 ほんの少し。そう、ほんのわずかな違和感。

 いや、授業の終盤になってからはハッキリと自覚した。もしかしたらオレ――。

 その疑惑を、オレはなかったことにした。気付かなかったことにした。うやむやにして練習を終えた。

 すぐに元に戻るさ。そう、今日だけ。きっとたまたまさ、と。


 その日の夜。

 オレは自主練に励んでいた。

 リハビリをしていたとはいえ十日も入院していたせいか、筋肉が落ちてしまった気がしてならない。六つに割れた見事な腹筋も、心なしか丸くなった気がする。

 だから、オレはダンベルと格闘していた。滴るほどの汗、心地よい疲労感。病院のリハビリはほんの短いものだったけど、体幹を鍛える方法を教えてくれたのはありがたかった。あと、過度なトレーニングは筋肉を傷めるだけだから、と制限もされた。

 でも、筋トレしてると不安が忘れられるんだよなぁ。

 そう。筋トレしている間は余計なことを考えなくて済む。主に、家のこととか、家のこととか、家のことなどをだ。

「精が出るな、蒼司」

 ミネラルウォーターが入ったペットボトル片手にやってきたのは、端口大樹だった。

 二本あるうちの一本を大樹は投げてよこした。オレはそれを受け止めてキャップを開け、遠慮なく口をつける。

「残りの模擬レース……。全部勝つつもりだったのに大きく出遅れちゃったからな」

「ああ、そうだな」

 大樹は当然だ、という顔で頷いた。

「なぁ。ここはふつー、今からでも巻き返せるって励ますとこじゃね!?」

 オレはペットボトルを傾ける大樹に突っ込んでみたが、コイツは眉一つ動かさない。

「現実を受け止めるのは、どんな時でも大切だ」

 こともなげに、冷静に言い放つ。

「まったく……。お前らしいな、大樹」

 コイツはいつもこうだ。

 冷静で、他人に厳しく、自分にはもっと厳しい。

「んで、お前も筋トレにきたのか?」

「違う。今日はコレを蒼司に渡しにきた」

 大樹がジャージのポケットから取り出したのは、シルバーのネックレスに連なった、蒼い宝石を持つ指輪だった。

「おおー、できたんだ。カレッジリング!」

「ああ、昨晩渡そうと思ったんだが、出かけているようだったからな」

 だったら別に昼間でも良いような気もするが、授業中と自由時間。その辺をきちんとするのが大樹である。

「みんなのもできたのか?」

「ああ」と、大樹は胸元のネックレスをひっぱり、リングを見せてくれた。赤色の大きな石を持つ、カレッジリングを。

「五人分はできたんだけどな。本命のチャンピオンリングはまだ完成していないらしい。完成したら絢音あやねさんから連絡が来る予定だ」

「あやねさん?」

「ああ、リングの製作者の人だ」

「へー。あのおねぇさん、絢音さんってんだー」

 オレは暫くリングを手の中で転がしてみた。リングには中央に向かって馬のシルエットと文字が掘られていて、最高にカッコイイ。

「あの人に頼んで正解だったな」

「そうだな。……ところで蒼司」

「うん?」

「お前、身体、本当に大丈夫なのか?」

「おう、まあな。でも、なんでそんなことを訊くんだ?」

 オレは大樹と目を合わせないように聞き返した。

 本当はある疑惑がある。オレは実は……。

「蒼司。隠したって分かるぞ」

 静かに言い放った大樹に、自然とオレの視線が引きつけられた。

「蒼司、お前――。ムチが振れないんじゃないのか?」

「!」

 声が出なかった。

 おい、マジか。何で分かる? お前はどこの名探偵だよ!

「図星みたいだな」

「いや、いや、いや。でも、なんで分かった?」

 ムチが振るえない。それは最初、もしかしたら。というくらいの感覚でしかなかった。今日は久々に馬に乗るから、そのせいだと思うことにしたくらいの……。ほら、今日は何だかお腹が痛いけど、明日になったら直っているかも。だから大丈夫。もし明日もお腹痛かったら、病院に行こうかなー。みたいな……なのがオレの心の声だったのだ。

 なのに、コイツはズバッと言う。ある意味、藤澤よりもズバッと斬り込んでくる。

「今日、何度かムチを振るおうとして止めただろ。後ろから見てれば一目瞭然だったぞ」

「うそ、マジで? まいったな……」

 オレは、ペンダントについている指輪を握りしめて考えるフリをした。答えなんか出るわけがない。まさしく考えるフリだ……。

 本当は気付いていた。オレはムチを振るえなくなっているって。

 理由は考えるまでも無い。――あの落馬のせいだ。

「どうする、蒼司。東雲教官に相談するか?」

 オレは大樹の言葉に顔を上げた。

「それは……」

 相談したらどうなる? 

 卒業まで半年も無いこの時期に、『ムチが振るえない』なんてことが分かったら――。卒業試験を受けるまでもなく、技能不十分で留年。いや最悪、退学もあるかも。普段印象を悪くしている自分が恨めしい。

「しばらくは、内緒にしとくわ」

 オレは苦笑した。事実をごまかすように。気持ちをごまかすように。

「そうか。だが、自分が気付いたんだ。東雲教官も遅かれ早かれ……」

「ああ、だから何とかするさ!」

 深刻な表情で言ったオレに、大樹は口角を上げた。

「なんだよ、何がおかしいんだよ」

「いや、何とかするって。蒼司がそう考えるようになったら随分と厄介だなと思ってな」

「うん? ああ……」

 暫く前のオレなら、何とかなるって考えていたかもしれない。幸運が訪れてとか。神様が何とかしてくれるとか。他力本願なかんじで「なんとかなる」と考えていただろう。

「自分はお前を買っているからな。本当に何とかしてしまいそうだな。蒼司なら」

「大樹がオレを買っている? 藤澤じゃなくて?」

「ああ、そうだ。たしかに藤澤さんは藤澤さんで尊敬している。でも、蒼司は蒼司で凄いところがあるのさ。自分で気づいてないのか?」

「オレのすごいところってどこ?」

 練習の虫。ミスターストイック。自分を鍛えることに真剣で、他人にはあまり関心を示さないヤツだ。と、オレは大樹のことをそう思っていた。

 常に真面目で揺らがない、同期の中で一番優秀なヤツ。そんな大樹が、オレに「凄いところがある」なんて言うわけがないと思っていた。

 だからそこがどこなのか、純粋に知りたかった。けれど、珍しく大樹は歯をみせて大きく笑う。

「それは――、秘密だ」と言って。

 へぇ。コイツ、こんな風に笑うんだ。三年近い付き合いで初めて見たかも。

 普段は大人びて見える大樹が、初めて同い年だと実感した。

「大樹ってそんなふうに笑うんだな」

「うん? そりゃ自分だって笑うことはあるさ。自分のことをなんだと思っていたんだ?」

「いや。マシンとか。サイボーグとか」

「ひどいな。そんなこと言うと協力してやらないぞ」

「へっ? 協力してくれるのか?」

「ムチが振るえないのをなんとかしないとな」

「マジで? すっげー助かる!」

 大樹の言葉はオレの心を随分と軽くしてくれた。百万の援軍を得た気分だ。

「それで東雲教官に黙っているのと、お前の特訓に付き合う代わりに、一つ勝負して欲しいんだ。蒼司」

「んっ? 何を勝負するんだ?」

 きょとんとしたオレに対し、大樹はペットボトルを傾けて口を湿らせてから言った。

「蒼司。次の模擬レース、自分と真剣に勝負してほしい」

「はい? 真剣に勝負って……、もとよりそのつもりだけど……」

 何をいまさら、って顔をオレはしていたんだろう。

 だから、大樹は理由を語った。

 真顔で、淋しそうに、受け入れがたい事実を。

 十八歳の秋。

 ――運命は、どこまで残酷なんだよ!

 あまりの怒りに景色が真っ黒になった。その中に、オレと大樹だけが立っている。

 握りしめたオレの拳の中で、カレッジリングの冷たく固い存在だけが現実リアルを強く感じさせていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ