失われた幸せ
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魔闘のラアド
「お母さん!」
夢を見ていた。幸せだったころの夢を……
丘の上の小さな家。壁も屋根も穴が開いており、雨や風が吹きつける日は寒くて仕方なかったがそれでも晴れた夜の日に寝床に着くと隙間から覗くことが出来る星々は美しく毎夜晴れた日は床に着くのが楽しみの一つだった。
「どうしたのラアド?」
笑顔で駆け寄る幼い自分を母が抱き上げる。栗毛の髪が特徴の美しい人だった。自分が生まれる前は町で娼婦をしていたらしい。身体を売って過ごしていたが父と出会ってからは引退し、父の故郷の村に一緒に住むことにしたらしい。その父と過ごす中で出来たのが自分だと母はいつも話してくれた。その美しさは村でも評判だった。幼い頃の自分はそれに優越感を覚え、いつも母に甘えていた。そんな自分に母も笑みを浮かべてくれていた。
抱き上げられながら母に甘える自分。甘えてくる息子の頭を撫でる母。
幸せだった。
貧しい村であり、腹いっぱいに食べたという経験はなかったけれど、母の笑顔と長閑な日常に俺は満足していた。草の上で寝転がり、そよ風に当てられながら昼を過し、偶に村の子供と遊び、夕暮れになったら母が待つ家に帰る。そんな毎日が一生続くとあの時の俺は信じていた。
「ラアド!」
幸せは突然失われた。
ある日、村を訪れた領主が母を見初めた。母は領主の兵に無理やり連れていかれ俺は兵に殴られ気を失った。俺は母が連れていかれるのを見る事すらできなかった。目覚めた時には全てが終わった後だった。母がいない家はものすごく広く感じた。そして隙間風はまるで氷を含んだかのように冷たく感じた。
俺は膝を抱え泣いていた。一日中涙が止まらず自分独りだけになった家で母と共に使ったいた薄いシーツに身を包みながら泣き続けていた。
母が連れていかれて二日、三日の事だったか村の子供達の親が僕の事を訊ねた。
「ラアド…かぁちゃんのことは残念だったな…」
そう言って親たちは食べ物を持ってきてくれていた。
突然親を失った子供を哀れんでくれたのだろう。自分達も食べるもので苦労しているというのに皆の家から持ち寄ってくれたのだ。
「何か食べろ。でないと死んでしまう」
そう言って親の一人がお椀を差し出した。中身はスープだった。こんな貧乏な村では信じられない程の濃厚な香りを放つ物だった。何も食べていない俺はきゅっと腹を鳴らした。
「旨そうだろ俺は差し出されたお椀に食いついた。今まで味わったことのないような野菜の旨味に涙が出てきた。
「お前のかぁちゃんは領主に連れていかれた。綺麗な人だったからな領主に気に入られちまったんだろう」
少し腹が満たされた俺に気力が戻った。そしてずっと気になっていることを訊いた。
「戻ってくる?」
大人たちは泣きそうな顔になった。誰もが視線を横にやり言い辛そうだった。しかしお椀を差し出してくれた男が口を開いた。
「わからねぇ…領主様の事はおら達農民にはわからねぇ…でもなお前の母ちゃんは死んでいないぞそれどころか領主の屋敷で豪華な着物やふかふかのベッドで眠れるんだぞ」
「……」
「『おめぇがつれぇのは分かる』なんておらにはとてもじゃないが言えねぇ。こんな不幸この村の中で誰一人経験したことなんてねぇ…だから村の者皆でおめぇを助けるぞ。そしていつか母ちゃんに会う日までずっと…ずっとな」
男は僕の肩に手を置いた。その手から伝わる温かさから俺は涙がまた出ていた。
訪ねてきた大人達は俺が泣き止むまで傍にいてくれた。
村のみんなのお陰で俺は母に再び会う日まで生き抜くことを決めた。母に会う日までに強くなることを決めた。
いつも母がやっていた家事と畑仕事をやり始めていた。
しかし洗濯は身長の所為でうまく干せないし、畑仕事は農具がまず満足に持つことが出来ない。項垂れていると何人の大人が子供と遊んで来いと代わりにやってくれるようになった。子供達も親を失った俺の事を元気づけるかのようにいつもと変わらずに一緒に居てくれた。村の皆の心遣いに感謝したことを俺は今でも忘れない。
村のみんなの助けで俺は生活できていた。
食料を分けてもらい、家事も手伝ってもらって申し訳ない気持ちがあった。何度も手伝いを申し出てみたが『子供は遊ぶのが仕事だ』といつも自由にしてくれていた。そしていつも『いつか恩返ししてくれればいい』と黄色歯を見せる様に笑いながら言うのだ。『うん、わかった』と自分も返す。
子供の言う事だから期待していなかったかもしれなかったがあの時は本気で思っていたいつか必ず恩返ししようと誓っていた。
だが、そのいつかは永遠に来ることはなかった。
母が連れていかれて二か月が経った頃、隣の領地との戦争が起こった。
戦いは劣勢、村にも敵兵がやってきた。奴等は話し合うこともせず村人を切り捨て家に火を点け回った。?
「家畜と財産を奪い取れ!女、子供は生け捕りに男は殺せ!」
一人また一人と斬られ絶命していく村の男達。俺は丘の上の村から少し離れた場所に家があったから隠れる時間があった。森に行き、茂みに隠れた。小さい体だったから隠れるのは容易かった。茂みの中で奴等が剣を血で濡らし家畜と女、子供を鎖で繋ぎながら笑いながら行進する姿を見ていた。優しくしてくれた者、一緒に遊んだ者もいたが足が震え、必死に見つからないように息を潜めるのに全神経を集中させていた。
「おい、領主の屋敷はこの先だったよな?」
隠れることに集中して、どんな変化でも見逃さないように神経を尖らせていたからか敵兵の一人の言葉が一言一句違えずに耳に入った。
「ああ、そうだよ。ったく隊長殿の話を聞いてなかったのかよ?」
「へへ、わりぃな。俺が聞いてたのはそこの領主がイイ女をめちゃくちゃ囲っているという所だけだったからよ。くぁ~楽しみだな。今からギンギンしてるぜ」
「おいおい、もしそんな女がいるなら真っ先に隊長殿が頂いちまうさ。俺達じゃおこぼれを頂戴することを祈るしかねぇよ。第一もう屋敷は陥落したって報告があったらしいし、今頃は…」
「マジかよ!ついてねぇな」
敵兵の会話は当時の俺には分からないことだらだが一つはっきり分かったことがあった。
母の身が危ないという事だ。
俺は敵兵が見えなくなるまで息を潜め見えなくなった瞬間に消えて言った方向に向けて走った。見つからないように森の奥に行ったが方向だけは見失わないように細心の注意を払いながら走った。森には野犬や狼、更に山賊、魔物がいるから決して一人で入るなと言い聞かされていたが知ったことではなかった。ほとんど休まず走り続け、幸い何事もなく領主の屋敷に着いた。夕暮れ時に走り始めて着いたのが昼頃だった。
領主の屋敷と云われた場所はがれきの山だった。かつては門とされていた物は倒され、君臨するかのように建っていたであろう建物は見るも無残な姿になり果てていた。更に地面には死体が埋め尽くされていた。直視することはしなかった。見れば確実にその場から逃げ帰ってしまう事を心の中で分かっていた。
「母さん」と言い続けながら死体が転がる敷地に入った。心の中を母の事だけで埋め尽くし、会いたいという思いだけを持ち続けた。
「どこ母さん? どこ?」
震える身体に鞭を打ちながら敷地内を歩いた。見つからない母に焦りを覚えつつも、懸命に歩いた。時々死体と目を合わせてしまい慌ててその場から離れまた母を探す。空が暗くなり始めた頃に近くのがれきに腰を下ろした。
見つからない母。転がっている死体にも目を向けたが母らしきものはなかった。『良かった』と当時の俺は思った。母に会えないことは残念だったが少なくとも生きてはいるという結論が足に力を入れた。
「諦めない。絶対諦めない」俺は何度もそう自分に言い聞かせた。諦めるつもりなど微塵もなかった。その場を離れ母の元に行くためにまず此処にいた敵兵がどこに向かった事を知る必要があった幸いにも彼等は鎧を着ており地面に痕跡を残していた為何処に向かっていたことはすぐに分かった。休まず走り、森を抜けた疲労が溜まり、眠気もあったが母に会いたい一心で唇を強く噛み堪えた。そして歩みを始めるときに音が聞こえた。何かが崩れる音だった。辺りが暗くなり背筋が凍るかのようだったが何が崩れていたのかが気になった俺は音の正体を確かめることにした。俺はすぐに分かった。壁だ。ほとんどが崩れていたがまだ原型をとどめている物があった。
崩れた壁の先には部屋があった。物は床に散らばり、本棚は倒れていてめちゃくちゃだったが、部屋自体は損傷しておらず、外のひどい有様にも関わらずそこだけ不思議な力に守られているんじゃないかと思った。
部屋は良く見えなかった。奥の方が影を差していたから。
「……」
俺はその時ものすごくその見えない奥に惹かれた。大事な物を探し、ようやく見つけたかのような安堵感を覚えた。
同時に妙な胸騒ぎ…嫌な予感もあった。
行くなという警告が理性に働きかけていたことを今でも覚えてる。そしてその渓谷に従うべきだったという事は生涯忘れないだろう。
俺は理性ではなく感覚を優先した。
恐怖はなかった。
懐かしい匂いが鼻を燻ったから。
「母さん…」
人影が見えた。そして僅かに見えた長い栗毛。
「母さん」
その人影は腕を大きく広げ膝を曲げていた。駆け寄っていく自分を迎え入れるかのように…
「母さん!」
俺はその腕の中に飛び込んだ懐かしい匂いが俺を包み込んだ。やっと会えた。ついに会えた。俺は母が自分を抱きしめるのを待った。すぐに温かく包んでくれると信じていた。
だが彼女は少しも抱きしめようとはしなかった。
「母さん?」
返事もない。
それにいつもは温かい母の身体がまるで冬の水に漬け込んだ手以上に冷たく感じた。それに母の匂いとは別に違う匂いも感じられた。つい最近嫌になる程嗅いだ血の臭いが…
嫌な予感がし俺は見上げた。
相変わらず影が差し見えない。
しかし魔が悪かった。何時の間にか日は完全に沈み夜になり月が出ていたのだ。登り行く月はやがて陰になっていた部屋の奥をも照らし始めた。
「あ…あ、あ、あ」
月に照らされた人影はやはり母だった。しかしあの明るい笑顔を浮かべておらずその瞳は光を宿してはいなかった。右目は潰されていた。さらに頬を腫れていてあの優しく美しい面影はなかった。
死んでいる。それだけは幼い自分にもわかった。冷たい体に物言わぬ口、そして自分も前にして反応一つない母。現実を直視するには十分だった。声を上げ、悲しみにのめりことも出来ずかすれた声が喉から出てくるのみ。
俺はただその場で母を見続けるしかなかった。
希望であった母は死に。故郷はもうない。最早何をすればいいのかもわからなかった。
「だ、だれか」
声が聞こえた。無視しようとしたが小さな声ではあったが耳元で蚊の羽音がするように耳障りな感覚があった。
「……」
仕方なく俺はその声の元を探してみることにした。最早何もかもどうでもよくなっていた俺は最後に人助けをすれば天国にいる母に会えると思っていた。
声の主はすぐに見つかった。太った男だった。村では見たことが無いほど肥えており、首元にきらきらとした石…宝石を幾つも付けていた。そんな男が屋敷に瓦礫に首から下が埋まり首だけが自由の身だった。
「おい、そこの子供! 私を助けろ! 我は此処の…」
「領主でしょ?」
男が言い終える前に口を開いた。
村のみんなから聞いた話、母が連れていかれたあの日…意識がなくなる前にちらと見えた醜悪な笑みを顔に付けた男。
「分かっているなら助けろ! お前達下民は高貴な生まれである儂に奉仕する義務がある! 貴様の様な子供でも例外はない!」
唯一自由な首を右に左に動かしながら喚く豚は酷く滑稽だった。思わず吹き出してしまったほどに。
「き、貴様!高貴な儂を笑うとは何事だ!」
「ご、ごめんなさい」
沸点の低い豚はすぐに顔を赤くし、怒鳴りつけるが見下ろしている首だけ男に恐れる理由などない。しかし俺は怯えたふりをし謝罪すれば豚は落ち着きを取り戻したかのように偉そうにふるまい始める首だけなのに…
「ふん、下民のガキに礼儀正しさなど求めても仕様がないからいいわ…それより見ての通り瓦礫に挟まって動けん。誰か大人を呼んで来い」
「大人の人はみんないなくなっちゃったよ? 鎧を付けた人に連れていかれたか、殺されたよ?」
「何? 糞! リンゴダルの連中め!ならば貴様が…貴様が瓦礫を退かせ!ぐずぐずするな!」
何処までも傲慢だった。自分では今は何もできない癖に目の前の子供は自分の為に何でもやるのが当然だと心の底から思っているようだった。ただこれから目の前の男をどうやって復讐してやろうか企む子供に自分を助けろという男は間違いなく不運だろう。
「わかったよ。領主様」
従順な子供の振りをして俺は瓦礫に手を付け始める。勿論馬鹿正直に退かしてやるつもりはない。取り除いた瓦礫をまた積み上げて、取り除き、また積み上げると延々と行なった。
首しか動かせない豚は音だけで作業をしていると勘違いしたようだが…
催促する豚の怒鳴り声を聞き流しながら意味のない作業を進めていると日が暗くなってくる。すると豚はあからさまに怯えだした。
「おい、小僧瓦礫を早く退かせ! 野犬が来る!」
「野犬?」
「血に飢えた獣だ。奴等は獲物を大小関係なく情け容赦なく喰らう。早くせねば奴らが集まってきてしまう」
「でも、もう何回も夜になったでしょう?」
「あの時はリンゴダルの連中がいたから野犬は近づかなかったんだ。儂も気付かれんようにしていたからな。だが今は奴らがいないこんな死臭だらけの場所ではすぐに集まってくるぞ! 早くしろ!」
「でももうすぐ日が暮れるよ?」
「ええい…糞!」
豚は身をよじって抜け出そうとするがやはり抜け出せない。その必死さを見ているだけで憐れで滑稽だった。
「クソ、クソ、クソ!何故だ、抜けろ、抜けろ、抜けんか―――!」
本気で笑いださなかった自分を褒めてやりたい気分だった。憎くて憎くて仕方なく、自分の人生に置いて最悪な結末を寄越した張本人が今目の前で水に溺れる虫のようにもがく有様は本当に痛快な気分にしてくれた。
そして奴の必死さから復讐の方法もこの時…決まっていた。
「ねぇ、領主様…」
俺はこの時、瓦礫を一つ抱えた。子供の俺が両手でやっと持てるほど瓦礫を…
「無事だった建物にね…女の人がいたんだ。酷い事された後でね…」
「何だこんな時に! 口を動かしてないで早く瓦礫を退かさんかぁぁぁ!」
喚く豚。瓦礫を抱えながら近づく俺。
「ねぇ…あの女の人は何をしたの?どうしてあんなひどい目に遭ったの?」
「ええい、なんだ?どの女だ?」
「綺麗な茶色の髪をした女の人、目とか潰されていたんだ」
その言葉に一瞬黙り込む豚。
「あーあの女か? あの女はな儂がせっかく見初めてやったのにも関わらず口を開けば『息子に会わせてください』『息子の元へ帰させてください』と息子、息子とうるさくてな。いい服も宝石も与えてやったと言うのにそればかりだったからな…だから!」
「酷いことしたの?」
「そうだ! お前もああなりたくなければさっさと手を動かせ!」
『良かった』俺は心の底からそう思った。今頃になって『実は本気で愛していた』、『必死に守ろうとしたが力不足だった』、『息子と引き離してしまい申し訳なく思っている』などと言われようものなら興ざめもイイ所だった。俺が想像してた通りの屑で本当に良かった。
「ねぇ…」
「なんださっきから早く瓦礫を退かさんか。もしこのまま夜になったら貴様が儂を守れ! いいな! それが下民である貴様の義務である!」
ふざけた話だと思う。子供の俺に野犬しかも群れを相手できると思っているのか、豚はぎゃあぎゃあ喚き散らす。俺は無害な子供を演じながらようやく豚の傍までたどり着いた。
「ねぇ…」
「貴様いい加減に…!」
「僕の髪ね。母さんと同じ色なんだよ。母さんと同じくらい綺麗だと褒められたこともあるんだ」
「そんなくだらない事どうだって…」
豚の顔が青ざめる。目の前の子供がどこの息子か分かったからか…それとも頭上で掲げられる瓦礫が目に入ったからか
「バイバイ♪」
俺は瓦礫を振り下ろした。
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