無題白昼夢
メア ♀:年齢不詳な喫茶店の店主
孝宏 ♂:高校生くらいの青年。偶然メアの店に迷い込んだ。
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メアN
自分が生まれたのはいつだったか。そんなこととっくに忘れてしまった。1000年くらいは数えていたのかもしれないけれど、遠い昔過ぎてもう覚えてなんていない。退屈で退屈で教会の礼拝堂でぼんやりしていた時に、シスターから急に声をかけられた。自分が見えることに驚いたけど、聖職者の類は私みたいな存在が見えるものなのかねぇ。暇つぶしにはなるかと思って話をしたりちょっとした手伝いをしたりするなかで、お茶を淹れるのが上手いと褒められた。週末のバザーで売り物にするお菓子をつくるのも上手いと褒められた。嬉しくなった私は、ある店を構えることにした。現実と非現実的な世界の境目。そんな辺鄙な場所に構えた喫茶店。それが私の店である。
メア
あぁ、ありがとうね。チップ?まぁもらえるならもらっておくよ。さぁ、早く帰んなさい。…ふぅ。思いのほか忙しくなったもんだ。
メアN
彼に会ったのは、草むしりでもしようかと庭園の方に向かった時だった。うちの庭は綺麗なのはいいけれどとにかくだだっ広いのが玉に瑕だ。
孝宏
え…うわっ!?
メア
おや、お客さんかい。
孝宏
お客さん?
メア
あぁ…おや、違うのかい。それなら早いとこ現実に戻った方が良い。帰れなくなるよ?
孝宏
帰る…ですか…?
メア
帰り道が分からなくなった口かい?
孝宏
き、気付いたらここにいたので…何とも…
メア
なるほどね。それなら尚更うちにおいで。美味しいお茶とお菓子がある。
孝宏
あ、あの、あなたは?
メア
私は喫茶デイドリームの店主、メアっていうんだ。よろしくね。
孝宏
メア…さん…
メア
メアでいいよ。お兄さんは?レディに名前を聞いておいて自分は名乗らないのは筋違いじゃないかい?
孝宏
はっ、はい、すみません。俺は孝宏っていいます。
メア
孝宏…ふぅん、名前の響きからして日本人か。
孝宏
そうです。メアさ…えっと、メアは…?
メア
ははは、私に国籍なんてもんはないよ。
孝宏
…どういうことですか?
メア
気にするほどの事でもないさ。さぁ、立ち話もなんだから店に行こう。
孝宏
は、はい…
(間)
孝宏
お洒落な店ですね
メア
そうかい?まぁ、気に入ったもので揃えてるからねぇ。
孝宏
そうなんですか
メア
あぁ。こっちはフランスの蚤の市で見つけた地球儀、これは北欧の壁掛け、これは…どこだったかな?
孝宏
旅行がお好きなんですか?
メア
うーん、まぁそんなとこだね。さて、何をご所望かな?なんでもあるよ。
孝宏
メニューはないんですか?
メア
質問ばっかりだね。紅茶は好きかい?
孝宏
は、はい…と言っても飲むのはティーバッグのものばかりですが…
メア
ははは、それならこれを飲んだらびっくりしそうだねぇ。ちょっと待ってな。お茶菓子も合うものを用意しよう。そうだねぇ、どうしようかな…
孝宏
なんだか、楽しそうですね
メア
そりゃあ楽しいよ。ずーっと退屈だったからね。
孝宏
いつ頃からお店を出してるんです?
メア
さぁ…忘れちゃったなぁ。
孝宏
忘れちゃうほど昔からなんですか
メア
そんなような気もするし、あっという間のような気もするし
孝宏
はぐらかさないでくださいよ
メア
まぁまぁ、いいじゃないか。さて、そろそろいい頃合いかな。
孝宏
うわ、いい香り
メア
そうだろう?ダージリン、別名紅茶のシャンパンだ
孝宏
シャンパン?
メア
上質なダージリンはマスカットの香りがするんだ。ファーストフラッシュはそうでもないが、セカンドフラッシュはまさしくマスカット。さぁ、飲んでごらん。
孝宏
いただきます…え、全然渋くない…
メア
そうだろう?で、お兄ちゃん日本人だったよな。
孝宏
はい、そうです…
メア
じゃあ、お茶菓子はカステラだな。
孝宏
あ、ありがとうございます。
メアN
彼は、それはもうこっちが嬉しくなるぐらいに美味しそうにカステラと紅茶を口にしてくれた。だから、つい言ってしまった。「またおいで」と。こんなことを言ったら彼のためにならないのに。
孝宏
メアさん、お邪魔します
メア
おや、いらっしゃい。よく来たね。
孝宏
今日は何がオススメですか?
メア
もう常連になりつつあるんだから、そろそろいつものとか言ってみたらどうだい?
孝宏
いや…メアさんのチョイスって、どうも俺の気分にいつもカッチリはまるんですよね
メア
ははは、褒めても何も出ないよ
孝宏
そう言ってサービスしてくれるじゃないですか
メア
まぁね。そうだねぇ…今日はこってりした甘いものが食べたいってとこかい?
孝宏
ホントによく分かりますね…
メア
伊達に長生きしてないからね
孝宏
長生き?そんなこと言って。メアさんどんなに年取ってるとしても30歳までいってないでしょう?
メア
嬉しいこと言ってくれるねぇ。見た目よりずっと年食ってるんだよ。
孝宏
そう…なんですか。
メア
なんてね、冗談だよ。永遠の23歳とでも言っておこう。さて、ちょうど今日はファッジが冷えてるからね。それとチャイでも出してあげようかな。
孝宏
ファッジ?
メア
あー…日本語で言うならキャラメルみたいなもんだね。そこまで固くないけども。
孝宏
生キャラメルみたいな感じですか?
メア
ほぅ、そういう呼び方もあるのか。まぁファッジって名前だけでも覚えていきなよ。お洒落だろ。
孝宏
そうですね
メアN
彼と話すのはとても楽しかった。ついつい長話をしてしまう。私の話すどんな些細な事でも、彼はとても楽しそうに聞いてくれて、軽口まで叩いてくれるようになった。だから、手放せなかった。他の客との会話も楽しくないわけではない。でも、大抵は一期一会なのだ。私の庭園から現実に帰るか、そのまま川の向こうへと航海に出るか。そんな中で、彼は珍しく何度も足を運んでくれる存在だった。何百年じゃきかないほど長生きをしていて、こんなに楽しいのはあまりにも久しぶりだった。
その日、私は夢を見た。
「お嬢さん、川を渡る前にこんなにいい思いが出来るとは思わなかったよ。だから」
「元気でね、お姉さん。私は元の場所に戻っちゃうけど…でも」
「姉ちゃん、酒美味かったよ。ありがとうな。だからさ」
今までに出会った人たちのかけてくれた言葉。嬉しかった。でも、でも…
メア
……待ってよ。みんな、待ってよ!!
孝宏
お邪魔し…メアさん?
メア
…はぁ…はぁ…夢、か。
孝宏
メア…さん、すみません、休憩中に。どうしました?
メア
孝宏…くん…
孝宏
メアさん?初めてじゃないですか?名前で呼んでく
メア(食い気味に)
君も、私をおいていってしまうんだよな。
孝宏
…どういうことですか?
メア
君は…この場所がどういう場所か分かってるかい?
孝宏
…えぇ、なんとなくは。見たままですよね。
メア
花畑があって、裏には大きな川があって
孝宏
いわゆる、天国の一歩手前ってやつ…ですか。
メア
あぁ、そうだよ。現世に戻るかあちらにいくかの違いはあれど、君もそろそろ選ばなくちゃならない。…珍しいんだよ、こんなに何回も私の元に遊びに来てくれるのは。
孝宏
メアさん…
メア
これ以上、私をひとりにしないでくれ…
孝宏
メア!
メア
……?
孝宏
…つらかったんですね。ずっと。ひとりで抱え込んで。
メア
…あぁ。
孝宏
でも、俺はここにいます。
メア
……。
孝宏
そりゃ、確かに俺だっていつかは戻らないといけないんだと思います。でも…でも、またきっといつか寿命が来たなら、その時にまた来れるんじゃないですか。
メア
でも
孝宏
いや、違いますね。絶対に、また来ますから。
メア
…本当かい?
孝宏
本当です。
メア
孝宏くん…
孝宏
それに、幸いにして俺は輪廻転生って概念のある宗教を信じてます。…まぁ、事実かどうかは分かりませんが、それなら俺が転生したらまたその寿命を終えた時に来れるじゃないですか。
メア
……あぁ、そうかもしれないな。
孝宏
メア、泣きたい時には泣いてもいいですよ。…俺の胸なんかでよければ貸します。でも、気が済むまで泣いたら前を向いてください。メアが見送った人たちは、きっとメアが笑顔でいてくれることを望んでますよ。
メアN
どうして忘れていたんだろう。そうだ、みんな言っていたじゃないか。
「メアさん、どうか幸せでいてください。」と。
孝宏
…メア、今日のおすすめは何ですか?
メアN
彼が、私の頭を優しく撫でる。
メア
そうだな…とっておきの茶葉があるから、それでも出そうか。
孝宏
そうですか。楽しみです。
メアN
顔を上げると、彼はにっこりと微笑んでいた。とても、とても優しい笑顔で。
(間)
メアN
その数日後、彼は元の世界へと帰っていった。彼を待つ人たちはきっと安心したことだろう。彼にとっての数十年は、きっと長いものだろうが、私にとってはほんのささやかな時間。だから、私は今日も店を開く。訪れてくれる人たちと、そしていつかまた来てくれるであろう…いや、必ず来てくれる彼を待って。
メア
やぁ、いらっしゃい。…何をご所望だい?なんでもあるよ。言ってごらん。
(Fin)