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千夜一夜の寝物語 前編

読んでいただけた方に感謝を。

 その港町は、真っ青な海を目の前に、真っ白な壁の家々が岩山にへばりつくように作られていた。

 気候は年中穏やかで、海から吹く潮風が心地よい。


 貿易によって栄えているこの街の人々の顔には笑顔が溢れ、街角の演奏家達は道行く人々に陽気な音楽を提供していた。


 その街の中心部に、マダム・クラレンスが経営する娼館があった。

 

 傍目(はため)には大きな商館にしか見えず、昼夜問わずに人の出入りがある。それは客だったり、客を送り迎えする用心棒だったり、時には娼婦だったりした。


 この高級娼館は、誰かの紹介で無くては入る事すら出来ない。

 ただ、裕福な者には最高の夢を見させてくれる店だとして有名だった。



 その店の瀟洒な家具がしつらえられた一室に、マルタは呼び出されていた。

 彼女はこの店の娼婦で、最高の夢を見させる一人として、この店に通う男たちに覚えられている。


 その対価は金貨にして二枚。普通の四人家族が一月お腹いっぱい食べられる金額だ。


 しかし、その金額をもってしても、あまり客を取らない彼女の恩恵に与かろうとする男は後を絶たなかった。



「今回の客は、チェーザレ商会の紹介の客だ。あんた大丈夫かい? 」


「…あそこのお客さまでしたら、多分大丈夫だと思います。」


「そうか。それなら良いんだけどね…。あんたもそろそろ次の事を考えなくちゃならないよ? いつまでも出来る商売じゃ無いんだからね。」


 マダム・クラレンスは、今回の仕事の説明を始めた。

 チェーザレ商会は、この街でも指折りの大商会だった。その客を接待するのに、この店は良く使われており、紳士的な男が多い事もあって、マルタはホッとした。


 ただ、マダムクラレンスには、そろそろ次の仕事を考えろと顔を合わせる度に言われていた。マルタはもう25歳になる。いくら彼女が若く美しく見えたとしても、そろそろ足を洗わせるべきだとマダムは思っていた。



「その話はまた…。」


 そう言ってマルタは部屋を出る。


 彼女は別にこの仕事を好き好んでやっている訳では無い。

 それ以外の生き方を知らなかっただけだった。


 ただ、男たちが一夜の夢を見て幸せそうに帰って行くところを見るのだけは好きだった。



*



「さて…と。」


 マルタは自分に与えられた部屋のドアを後ろ手で閉めると、今日の客にはどんな話をしようかと考える。


 いわゆる寝物語と言うものの事だ。


『なんで君みたいな子が、()()()()()()で働いているんだ。』


 この仕事をしている女なら、一度は聞いた事がある台詞だとマルタは思う。


 彼らは女を金で買うと言う下衆(げす)な行為をしているにも関わらず、相手には常識人として見られたいのだ。



 そんな時に語るのが寝物語である。


 その話の内容が不幸であればあるほど、男たちは優しくなる。いや、優しい振りをするようになるのだ。


 彼女は相手の感情を色で見る事の出来る魔法が使えた。

 その魔法で見れば、不幸な身の上話をした時の男たちに浮かぶ感情は、哀れみや同情よりも、優越感や(さげす)みの感情が大きい事が解る。


 そして、その後に身を捧げるような行為をする。そうして男たちに一夜限りの夢を見せるのだった。


 借金のカタに売られて来た田舎娘。

 没落した令嬢。

 悪い男に騙されて働かされている女。

 夢を叶える為に我慢して働いている女。


 そのどれもこれもを彼女は完璧に演じる事が出来た。



*



「どうぞ。」


 ノックの音がして、男が一人案内係に連れて来られる。

 ドアが開かれて、顔を見せたのはマルタよりも少し年上くらいの美しい男だった。


 マルタは思わず眉根を寄せてしまう。こういう所に来る若い男は、若くして金の持つ力を知ってしまったがゆえに自信過剰な者が多い。

 その行為も乱暴なものが多いため、マルタは若い男は好きでは無いとマダム・クラレンスには言ってあったはずだった。


「やあ、はじめまして。」


 その男は仮面のような軽薄そうな笑顔を貼り付けて、マルタに話しかけた。


「はじめまして。マルタと申します。」


 スカートの裾を少しだけ摘まんで、マルタは淑女のように挨拶をする。


「マルタ…。僕は…そうだな。ジ…ジョゼとでも呼んでくれ。」


 男はそう言って笑顔を貼り付けたまま、マルタに手を差し出す。


「まるで商人さん同士が契約をするみたいね。」


 そう言ってマルタは笑うと、差し出された手を少しだけ摘まんで握手をするのだった。



「今はこの街に入って来ている香辛料と絹糸の調査に来ていてね…。それが、船の入って来る日時を読み間違えちゃって…。こうして開いてしまった数日を埋めようと必死になってるんだよ。帰ったら商会長に大目玉だな…。こうやって遊びに行ってましたなんて話は内緒だよ? 」


 ソファーに案内してからのジョゼは、自分の仕事の話、そして街の噂、この街に来た理由などを面白可笑しく話し出した。


 マルタは相槌を打つだけで、結局今日は物語の出番は無さそうだなと思っていた。



 この美しい男が、自分の為だけにこうやって話をしてくるだけで、並みの娘なら気を惹かれてしまうだろう。

 だが、マルタにはその必死さが逆に滑稽に見えていた。


 街の女とは遊び慣れているが、こういった店での遊び方を知らないように見えたからだ。


「それじゃ、そろそろお風呂に行きましょ? ご一緒しますわ。」


 話の切れ間を狙い、そう言って急かすようにマルタはジョゼを部屋にしつらえてある大きな浴室へと誘うのだった。


 ただ、彼女は少しだけジョゼに興味を持っていた。

 語り口とその笑顔からは想像できないだろうが、彼の感情は昏い絶望と悲しみの色に染まっていたからだった。



*



 マルタが目覚めた時には、もう鎧戸の外はすっかり陽が高く登っており、そろそろ昼が近いころ合いになっていた。


 朝になればマルタは目覚め、男を送り出すのが普通だったが、今日は寝過ごしてしまったのだった。


――ジョゼが一晩中優しかったからかも知れない。


 マルタは思う。



 この店では、客といつまで居るかはその娘の裁量に任されている。

 起きてから買い物に出ても良いし、食事に行ってもいい。

 ただ、姿を隠した護衛は必ず付いて行っていた。


 ふと思い立ったマルタは、直ぐ近くにある商店に買い物に行く事にした。

 ベッドでまだ深い寝息を立てているジョゼの姿を確かめる。


「心配しなくとも大丈夫だから。」


「今日は随分遅いんで、様子を見に行こうかと思ってましたよ。」



 そっと部屋の扉を開け、廊下の奥で控えている護衛のカーラに告げると、階段を降りて通りへと身体を躍らせた。


 昨晩の事がふと頭をよぎり、身体が小刻みに震える。

 マルタは頭をふるふると振って、その想いを反芻しようとする気持ちを何とか振り切った。


――男なんて、女を利用する事しか考えてないのだから。




*



「何かとてもいい匂いがするね…。」


 髪をあちらこちら跳ねさせたまま、ガウンを着たジョゼが寝室から姿を現した。


「ずいぶんお寝坊さんなのね。」


「ちょっと張り切り過ぎてしまってね…。」


 からかうマルタにジョゼは照れ臭そうに答える。



 だが、出来た料理を見た瞬間、ジョゼの表情は固まってしまう。

 何か遠い物を見るような顔には、あの軽薄そうな笑顔は姿形も無かった。


「…いつも、こういうサービスをしてくれるのかい? 」


「今日はたまたまそんな気分になっただけ。それに、一人分でも二人分でも手間は変わらないもの。」


 ふざけた口調で話す彼の顔には、仮面のような笑顔が戻っていた。



「お掛けになって。」


 じっと料理を見ていたジョゼに、マルタは席を勧める。


「あ…ああ。」


 長い時間を過ごす事の多いこの部屋には、軽い料理が作れるように小さめの台所が付いていた。



「天にまします神よ。今日の糧をいただく事に感謝します。」


 二人で手を組み、お祈りを捧げる。



「うぅっ…。」


 ジョゼは、その料理を一口食べると急に涙を流し始めた。


――そんな泣くほど美味しく無かったかしら…。


 マルタも一口食べるが、別に変ったところは無い。

 確かにこの辺りでは珍しいかもしれないが、海鮮の具をトマトソースで絡めた普通のパスタだった。


「どうしたの? 」


 ジョゼはそれには答えず、その一口一口を味わうように食べる。


「故郷の味なんだ…。」


 それだけ言うと、ジョゼは嗚咽を上げて泣き出してしまった。

 マルタは、そんな彼の横に座り、手で顔を覆いながら泣き続けるジョゼの頭を撫で続ける。

 どうにもそうせずには居られなかったからだった。



*



「僕の昔話を聞いてくれるかい? 」


 貼り付けていた笑顔を捨て去り、真剣な表情となったジョゼが話し出す。

 やっと落ち着いたジョゼと、お茶を楽しんでいた時だった。


 マルタはこくりと頷く。


「僕はね、タヘルミナって街で育ったんだ…。大きな湾の奥にある美しい街さ。」


「タヘルミナ…!? 」


 マルタは思わず絶句する。

 それを見たジョゼは、ぽつぽつと自分の半生を語りだすのだった。



*



 平民ながら小さな頃から出来の良かったジョゼは、子供の居なかった遠縁の領主夫妻の養子として迎え入れられる事になった。


 領主の下で一つ一つ仕事を覚え、それを領主が褒めてくれる。

 血は繋がって居なくても、本当の家族のように接してくれる領主の事を、ジョゼは本当に好きになっていた。


 だから、その期待に応えられるよう、必死で頑張った。


 その領主夫妻は芸術を愛し、自然を愛でる心を持っていた。

 だから若い芸術家や劇団を育て、そしてそれを心から楽しんでいた。


 漁業が中心の経済は、豊漁にも支えられて街は豊かになっていき、人口も爆発的に増えた。


 まさにタヘルミナは地上の天国のようにジョゼには見えた。



 ジョゼが成人を迎え数えで18になった頃、彼は祭りの夜に再会した幼馴染の娘と将来を誓い合っていた。

 だが、その件についてだけは、領主夫妻は首を縦に振らなかった。


『お前も貴族となったからには、平民との結婚は認める訳にはいかない。』


 そう言いつけたのだった。


 ジョゼが不満に思った事はこれくらいだったし、自分が力をつけ、領主にもっと認められるようになったら改めて話をしよう。それくらいに思っていた。


 だが、領主はある貴族の娘との縁談を進めて行った。


 顔も見たことも無ければ、話をしたことも無い。そんな娘といきなり結婚しろと言われてもとジョゼは言うが、貴族とはそうしたものだと領主は冷たく跳ねつけたのだ。



 だが、そんな時、タヘルミナで魚が取れなくなった。

 追い打ちを掛けるように、海が血のように真っ赤に染まり、死んだ魚が大量に打ち上げられると、これは神が怒っていると言い出す者も現れた。

 


 間を置かずして困窮して行く一方の領民に対して、領主は私財を投げうって対応するが、増えていた領民の数に対しては焼け石に水だった。


 困った領主とジョゼは、国に税の減免と支援を求める事にした。

 派閥の長である貴族を通して行われた請願は、逆に遅れている税の支払いを督促する文章で返されて来た。



 そんな進退が極まった状況の中。

 衛兵が領民を殺害してしまうと言う事件が起こる。


 暴動寸前まで追い込まれた民衆のうち一人が暴れだす。

 それを止めようと割って入った衛兵が、暴れた男を殺してしまったのだ。


 その事件をきっかけにタヘルミナでは大暴動が起こってしまう。



 その暴動の中、ジョゼが結婚を約束していた娘は、血に逸る群衆を止めようとして殺されてしまう。


 領主の館に押し掛けた民衆は、領主夫妻を殺した。

 そして、抜け殻のようになっていたジョゼを捕らえ牢に閉じ込めたのだ。



 そんな中、王都から救援物資を運んだ騎士団がタヘルミナに到着する。


 牢から助け出されたジョゼは、どういう事だと騎士団に詰め寄るが、我々は王よりタヘルミナへ支援の物品を届けよと命令されただけだと答えられる。


 どうやら何処かで手紙がすり替えられたようだった。


 また、暴動には先導者が居たが、誰の知り合いでも無く、その行方すら判らなかった。




 国王自らが先頭に立って調査を行った結果、全ては貴族同士の派閥争いに端を発したもので、その貴族たちは爵位を取り上げられて縛につき。有力な貴族は処刑された。

 また、領主が持っていた地位も取り上げられ、ジョゼも平民へと戻された。


 やっとジョゼが全てを知った時には、復讐をしようにも関係者は全てこの世にはおらず、またそそのかされただけの領民を恨む訳にも行かない。



*



「…そんな中、ある商会が僕を拾ってくれたんだ。」


「そう…だったの。」


「だから、(うしな)ってしまうかと思うと大事な人も作る気にならなくってさ。それに、あんな事件があった故郷にも帰る気がしない。だけど、やっぱり故郷は故郷なんだね。」


「…。」


「マルタ。君が作ってくれたあのパスタは、あの幸せだった時を思い出させてくれたんだ。」



「そう…。」


「普段はね、何も考える事が出来ないほど仕事に没頭する事にしている。だから忘れられていた。だけど、久しぶりに故郷の味を食べて、つい泣いてしまったんだよ。もし、君がこうしているのが僕たちの所為(せい)だと言うのなら、もう…謝る事しか出来ない。」


「それは…違うわ…。」


「…それなら良かった。ああ、これは君に直接支払うように言われていたものだ。今日は迷惑を掛けてしまって済まない。本当に色々な意味で良かった。ありがとう。」


 そう言ってホッとしたように胸をなでおろすジョゼは、一枚の金貨を取り出して、机の上のティーカップに並べて置く。



 その金貨をジッとみていたマルタは、決心したように頷く。


「じゃあ、ジョゼ。この金貨であなたの時間を一晩売って下さらない? 」


 と、そう言って金貨をジョゼへと差し出すのだった。

後編に続きます。

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