第九十八話 脱出
一歩、また一歩と、闇の中を進み続ける夜桜。時折見える、微かな光へと向かっていた。それはジーン達の戦闘による明かりなのだが、ひどく混乱している夜桜にはその判別すらできていなかった。
ジーンの傍にいたい。ただそれだけを願って進み続ける。戦闘中だとか、そんなことを考える余裕は今の夜桜には無かった。
どれだけ這い進んだのか、明かりが少しづつ近づいてくる。手が痛い、足が痛い、息が苦しい、心臓が痛い。それでも進むのを止めることは無かった。
冷たい地面、そして時折感じる草の感触。
「あたっ……」
手足に刺さる何かの破片。暗くてよく見えないが、近くに大きな何かがあると感じる夜桜。一瞬意識を向けるが、遠くで光る魔法の明かりのおかげで再び進み始める。
静かな空間に、自分以外から発せられる音が聞こえ始める。近づく程に戦闘音が聞こえてくるのは必然であった。
鼓膜をぶち抜かんとするその音は、次第に大きくなっていく。一層恐怖心を煽られ、何度か進むことを止めてしまう夜桜。その場で蹲り、身体を震わせることしかできない。
恐怖の中、進めるようになるまでに心が立ち直る。少し移動しては、恐怖に身を震わせる。その繰り返しだった。
「…………ぁ」
夜桜の瞳に映り込んだのは、暗闇の中ひたすらに願い続けた人物。チャチャと背を合わせ、ジーンは座り込んでいた。
戦闘はどうなったのか。この状況に疑問を持つことなく、夜桜は一心不乱に手足を動かす。
ただ傍に寄りたい、その想いを叶える為だけに身体を必死に動かし続ける。
遂に掴んだのはジーンの服。既にジーンの手はチャチャが握っていたのだ。それを引き離そうと一瞬手が伸びる夜桜だったが、既に冷静さを取り戻しつつあった夜桜は手を止める。
「……よかったんよぉ」
恐怖からの解放と、安心の心地よさ。体力を必要以上にすり減らしてしまった夜桜は、ここで力尽きることになった。
ただ夜桜は、意識を失った後も握りしめた服を離すことは無かった。
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「タコ丸を買った直後の俺に言いたい」
目の前の惨状を見てソチラは言った。
「貴様は許し難い過ちを犯したんだぞ」
ただ、目を背けたくなっているのは彼だけであり、連れの少女はご機嫌の絶頂であった。
タコ丸を買ってあげたあの後、結局両手の指では数え切れない程の店を回ることになった。食べ物関連だけでなく、アクセサリーやお土産もここぞとばかりに買わされたソチラ。
はっきりダメだと言い、無理やりにでも調査ポイントへと向かう。それが出来ないソチラに非があるのか。いいや違う。
自らの欲望を抑えることができなかったタマにこそ、問題があったのだと断定できるだろう。
「今度こそ最後だからっ。絶対の絶対!」
その言葉を聞くのは何度目になるのだろうか。確かに、調査ポイントへ向けて進んではいる。進んではいるのだが、未だ町を出ることはできていない。
少し進めば新しい魅力的なモノが見えてくる。何度も何度も。まるで誰かが二人を町から出さないようにしているようであった。しかし、そんな事実は無い。正真正銘二人の問題である。
「もう置いていくからな!」
「もうちょっとで決めるから! あと少し!」
本当にソチラがタマを置いていくことは無かったし、タマのあと少しがあと少しだったことも無かった。
観光で来ていたのならば問題は無いのだろう。だが、今は絶賛作戦行動中である。重要な任務の最中なのだ。
この二人だから許されるのか。いいや違う。罰則が科せられるのは確実である。
「あ、あれぇ~? どうしてお空がこんなにも暗く……」
ようやく町を出ることが叶った二人だったが、既に夕日は沈みかけようとしていた。つまりはもう間もなく夜を迎えることになる。
これはもうカンカンに怒っているだろうと、恐る恐るソチラの顔を窺うタマ。
「あ、あれ?」
しかし、ソチラの顔には微笑みが。一瞬安心しかけたタマだが、それは大きなミステイクであった。
ソチラから流れ込んでくる感情は怒り。ぐつぐつと今にも噴火しそうな火山を彷彿とさせる、憤怒の感情。
噴き出る汗を認識し、高速でこの場を切り抜ける正解を探すタマ。
一、素直に謝り倒す。
二、二人の責任だと言い訳をかます。
三、私を無理やりにでも連れてこなかったからだと、全ての責任をソチラになすりつける。
四、何事も無かったかのように元気に出発の掛け声を発する。
五、全てを諦め合掌する。
タマが選択したのは……
「ごめんなさいっ!」
どっどっどっど。頭を下げたのはいいが、反応が無い。脈拍が早くなり、喉も乾いているのを感じていたタマ。
選択を誤ったか。次点の選択は三だったタマは、いつも通りソチラのせいにしておくべきだったと、酷く後悔をしていた。
こうなれば今からでも作戦の変更をする必要があると考えたタマ。勢いよく頭を上げ、腕を伸ばし指を指す。
あんたにも責任があるんだからねっ!
そう言ってやろうと決めていたのに。
「……っ。な、泣いてんじゃないわよ」
怒りは自分に対しての怒りだった。もっと自分がしっかりしていれば、もっと彼女に対して考えていれば。
お互いに助け合うことができずに何が相棒だ。過ちを正すことができずに何が相棒だ。タマも悪いがそれ以上に自分が悪かったと、自分を強く咎めるソチラ。
「ほら、さっさとしないと置いてくよ」
「……ああ。俺、もっともっと頼れる男になるよ」
赤く燃えるような夕日。辺り一面が淡く紅色に染まっている。
この日の光景をソチラは何度も思い出すことになる。諦めそうになった時、勇気が出ない時、挫けそうな時、好きな風景を聞かれた時。
何度間違えようが、何度現実に打ちのめされようが、何度でも立ち上がる。たった一枚のキャンバスのおかげで、ソチラはどこまでも成長できる可能性を持ったのだ。
「お菓子は、しばらく禁止だな」
「え~。私我慢できるかな~?」
ソチラが変わればタマも変わる。これは契約しているからだとか、精霊と人間だからだとか、そんな曖昧なものじゃない。
ソチラのために何ができるのか、タマのために何ができるのか。お互いが相手を尊重する気持ちがあるから。二人の絆とでも言うべき関係が築けていたからこそだ。
「それじゃ、調査ポイントへ向けてしゅっぱーつ!」
前向きな、やってやるぞと満ち溢れる強い意思を持った二人は、清々しい気持ちの中歩き出す。
ジーン 「……! しまった気を失って……夜桜?」
ジーン 「あの男は……いない……? どうしてだ?」
ジーン 「はぁ、チャチャも無事で良かった。ミカもイッチーも大丈夫だな?」
ミカ 「うん、問題なし!」
イッチー「状況の説明はしてやる」
ジーン 「助かる」
イッチー「あの男はな…………」