第九十三話 あっちこっち
ミーチャに見送られた後、ジーン、チャチャ、ミィの三人が廊下を歩いていた時だった。見覚えのある顔が前からふよふよと。勿論、浮いている訳ではないが……いや、よく見たら浮いていた。何の真似かは知らないが、微妙に数センチ程度浮いていた。
「お? ミィちゃんに、それと見覚えのある顔が二つ。チャチャにぶべっ。……チャチャさんにジーンさんじゃないですか。お久しぶりです」
立ち始めた赤ん坊のようにフラフラしながら挨拶された。いや、実際にそうなのだろう。空中での歩行、つまりは飛行魔法の初心者であるわけだ。二年での成長が見られる。身に纏う魔力の質がまるで違うのだ。
しかし、彼がここにいるという事はつまり、精霊と契約している仲間という事である。その結果が大きな成長に繋がっているのは間違いない。
だが困ったことに、ジーンは思い出せずにいた。彼の事は覚えている。勝負を挑まれたことや限界へ挑戦を引き出す才能。強く印象に残っている。
「えっと、コッチ? いや、アッチ……?」
残っているのだが、ジーンは名前を思い出せずにいた。自分の名前を忘れているのでは? という結論に至った彼はツッコミを入れつつ改めて名乗ろうと試みる。が、
「コッチでもアッチでもない! ソッチだ! ……? いやソチラだ!」
いやおいこっちの流れに乗るなよ。ジーンもチャチャも、そうツッコミを入れたくなった時。
「ばかっ! 自分の名前も満足に言えないの!? このばかっ!」
「いたっ、痛いよタマ!」
「タマじゃないって言ってるでしょ!? 何度言ったら分かるのよ! このばかっ!」
「ごめっ、あっ! 今ミシッって、俺の頭蓋から鳴っちゃいけない音がっ」
ジーン、それにチャチャも今の状況を処理しきれないでいた。
突然に現れた少女、恐らくはソチラと契約した精霊なのだろう。彼女は小さく、ソチラと比べても彼の腰ほどにしか身長が無い。そんな彼女が、小さな手のひらを目一杯に広げ、ソチラの両のこめかみを鷲掴みにしている。
「分かった。お菓子っ、お菓子あげるからぁっあぁあっ!?」
「お菓子で釣られる訳ないでしょー! …………イチゴのケーキだからね」
物凄い勢いで壁に叩きつけられるソチラ。魔力で強化されているはずの壁にめり込んでいる。
ふんすと少女の鼻息が荒々しい。もうその鼻息で掃除が出来るんじゃないかという程だ。そんな失礼なことを考えてしまったジーンだったが、ふよふよと浮かんで身長差を埋めていた彼女が、クルリと二人へ向き直ったことで気を引き締め直す。
「どうも、はじめましてです。タマティーブーティ・フヨ・フヨンデリリカーナです」
長い。確かに名前が長く、覚えにくい。そうは思っても、口には出さない。それに、彼女がお辞儀をしてくれたので、二人ともこちらこそと自己紹介を済ませる。
少し話しただけでも礼儀正しそうに思える。先程の暴力など、見ていなければ想像もできない。お行儀の良い姿と、語るのなら肉体での姿。どちらが彼女の本性なのか……。
「えっと、たまてぃー……?」
「タマティーブーティ・フヨ・フヨンデリリカーナです。タマでいいですよ、皆もそう呼んでます」
「えぇ……でもさっきは」
「気にしないで下さいね?」
にっこりとそう言われれば断れない。異存は無いし、これ以上言及はしないことにする。
「あのね、タマちゃんって凄いんだよ! お行儀も良いし、可愛いし、それに強いの!」
ミィとは知り合いのようで、今も彼女抱き着いて頭を撫でている。ミィの力のおかげで、ソチラもこうして契約出来ている訳だ。知り合いなのは当然であるのだろう。
タマも手でミィを押し退けようとはしているが、本当に嫌な感じではなさそうだ。顔を摺り寄せてくるミィの顔面が潰れている。嫁入り前の女の子がしていい顔じゃない。
いがみ合う関係よりは全然いいのだが、近すぎる距離感を不思議に思ったジーンであった。
「それでだな、俺もジーンさん達についていくことになってるんだ」
いつの間にか復活していたソチラが話す。ミィとタマはいつもあんな感じらしく、気にしないでいいとのことだ。なんか笑い合っての技の応酬が繰り広げられているのだが、それも気にする必要は無いと。
「彼女達なりのコミュニケーションってやつだよ」
「まぁ、俺らはこの二年で何があったかは知らないしな」
「わ、私の可愛い妹が……」
後に続く言葉は、立派になってという感動なのか、野蛮になってしまったという悲しみなのか。どちらにせよ、知らない成長を知るというのは、少し寂しいと思うジーン。成長している嬉しさもあるが、一緒に過ごせなかった寂しさの方が大きいのである。
「……いやちょっと待て、ついてくるって誰が?」
「? 俺たちが」
「一緒に?」
「作戦を?」
「やります」
やるらしい。今回の作戦はジーン、チャチャ、そしてソチラ。この三名で行動することになる。正直気は進まないジーンであったが、指示だからと諦める。第一印象は悪いソチラだったが、悪人という訳でも無い。話してみると割と何とかなりそうだと評価を改めるのだった。
第一印象が悪いからといって、相手を知ろうとする事を放棄するのは悪手なのだ。どんな人なのかを知り、自分なりに分析。その上でやっぱり無理だと感じるのなら、それで良し。利害で付き合いの深さを変えるのも、上手い人付き合いだと言えるのだろう。
「ジーンさん、あの時は本当にすいませんでした。俺も必死で周りが見えなくなってて……」
ソチラとはまともに会話できるし、拒否することもない。過去の事は気にしないことにしようとジーンは思う。
「安心して、またこのバカが暴走すればワ・タ・シ、が全力で止めるから」
ただ、タマが怖い。この拳にかけて、とか止めて欲しい。実際に制裁を受けるのはソチラなので、別にいいといえばそうなのだが、見た目が大変によろしくないのだ。破壊の痕が生々しい。
「では、また後で……」
出発にはまだ時間あるため、ソチラとは一旦分かれることになった。その際に、自分が埋まっていた壁の修復作業に取り掛かり始めていた。作業員のおっちゃんに『またか、程々にな』とか言われているが、一緒になって作業をしている。
「……あいつも大変なんだな」
少し同情するジーンであった。
出発の準備、といっても二人はある程度の物は既に準備が済んでいる。生活に必要な物は魔法で自由に出し入れ可能だし、武器防具にも不備は無い。
ソチラから指定されたのは、二時間後。丁度壁の修復作業が終わる頃なのだろう。つまりは、双方準備万端であり、それをタマが余計な仕事を増やしたということになる。
「あれ、タマってもしかして」
「案外ポンコツかもね」
二人してその結論に至ってしまう。ソチラのブレーキ役かと思えば、厄介な仕事を増やす問題児な可能性も。
「そんなことないよ。タマちゃんだって頑張ってるんだから! たまーにだけど、よく物壊したり勘違いでしなくていい事までやったりしちゃうけど。皆も可愛いから許しちゃうって言ってるし」
たまにがよく起こるって意味が分からない。しかも可愛いから許すってことは、彼女じゃなければ許されないってことでもある。無邪気さに助けられてるってことなのだろう。いやしかし、これからも重要な作戦が増えてくはずである。取り返しのつかない失敗をしないのか、二人とも心配になる。
ソチラの手綱を引っ張っているのがタマかと思えば、実は反対だった。その事実をミィ、それに二年間こちらの世界に残っていたミカやイッチーに聞かされ、気が重くなるのはジーン一人。
「このクッキー美味しい。ミィ、今度作り方教えてよ」
チャチャは全てジーンに任せれば、万事解決すると思っている。その信頼を嬉しく思う反面、プレッシャーがジーンに重くのしかかっていた。
「あぁ!? 小指っ!?」
棚の角に足をぶつけて悶え苦しむ相方を横目に、より不安が大きくなってしまう。戦闘関連では頼りになるのだが、ちょっと油断すると、自ら危険が噴き出る火山地帯を裸足で片っ端から走り回るやべーやつ……もとい元気のいい子なのだ。
「あ、ポンコツにドジっ子って相性悪すぎでは……?」
時間通りに集まった面子を見る。作業の後でじんわりと汗を浮かべるソチラ。自信満々に胸を反らしているタマ。小指の痛みを引きずるチャチャ。
「頑張りましょう!」
「私の力を見せてあげるわ!」
「うぅ……」
頼りになるのは限られている。隣に控えてくれているミカと、チャチャの契約者であるイッチー。それにヒーやスイ達五人の、ジーンが契約している精霊。
「まぁ、何とでもなるさ」
「ファイトだよっ、僕もいるから安心してよねっ!」
これから起きるであろうトラブルを気にしていては何も出来ない。覚悟を決めることにする。
「あっ、あとでケーキもう一つお願いね」
「え、でもさっき三つ食べただろ? ちょっと我慢したら……」
「へぇ? そういうこと言っちゃうんだ」
「さっきから五月蠅いんだけど。静かにしてもらえますかぁ。あ?」
「むっきぃ! 何よおばさんは関係ないでしょ!?」
「おばっ……ぁあ、おこちゃまには難しいお願いだったわね。ごーめんなさいねー、たまちゃん?」
バチバチと目線で火花を散らさないで欲しい。ほんと、比喩じゃなくてホントに危ないから。いや、配慮はしてるのかもしれないが……
「あぁ!? 目がっ、目っがぁぁ!?」
文字通り飛び火して、火花がソチラの顔面を襲った。
「大丈夫だよね!?」
出発時点で負傷者二人。一人目の症状、顔面特に目を火傷。二人目は小指に打ち身を少々。
「せめて仲間候補君はまともであって欲しい……」
そう、切実に。