第九十話 すぱこん
「――お兄さんかぁ」
「うん……。見間違い、じゃないと思うしミカちゃんもそう言ってるし……ミィも驚いてる」
洗い物をしながら、そう話すチャチャとミィ。
「ほんとに驚いた。ま、今はお互いに生きてて良かったって思おうよっ!」
と、プラス神子。
「うん。今度会ったらお話できるかな?」
「きっとできる。というか僕が力づくでそうさせるかもね」
にこっと神子の笑った表情に、ミィもつられて笑ってしまう。
この笑顔を守るため、自らが望む世界のため。ミィのその笑顔が、神子の前を向くエネルギーにもなっていた。
ぱぱっと洗い物を済ませた後、女子会なるものが開催されていた。きゃっきゃと笑いあう声。時折聞こえる物音。2年間静かだったお家に、再び活気が戻っていた。
ミーチャ、ミィ共に会話に夢中になっているため、それを深く感じる者は一人としていなかった。いるとするのならば、それはこの長く使用されてきたお家だけである。
みんながこの時間を心地よく思っているのであった。
女子達の姦しい様子も、苦しい時間を過ごしてきたジーンや精霊達にとっては安息の象徴であった。
切り替えというのは非常に重要である。張り詰めた空気を維持できる時間には、やはり限界があるのだ。必ずどこかで緊張の糸を緩めてあげる必要がでてくる。
悲観的になり、暗い気を引きずるのも得策ではない。あれこれ考え、道筋をある程度話し合った後だ。それに向けてどう行動するのかも決まっている。ならば、今やるべきことは全力で休息を楽しむことであるのだ。
少なくとも、ここにいる者達は皆が同じ考えであった。
少し前に風呂から上がった男衆は、それを横目で見ながら期待に胸を躍らせていた。
「ふい~」
「ぷへぇ~」
「くぅ~っ」
風呂上がりに決まって行われていた、失われつつあった習慣が今ここに甦る。
三人が同じポーズをし、同じものを飲み、一様にして極楽を思わせる息を吐く。味に多少の違いはあれど、所詮は動物の乳だ。大層なものではないが、それでも皆揃って虜になっていた。
「やっぱ」
「これだね」
「ろっ……ん、そうだな」
ミカ、クー、ジーンはこの一瞬がとても好きであった。温まった体に、丁度良い冷たさの、丁度良い甘さの、何もかもが調和している。
「うめぇよぉ~」
「……だな」
遅れてヒーとチーが声を漏らす。至福の時間をこれでもかという程満喫していた。
「むぅ、あるじわたしも~」
「では私も失礼して……」
ジーン達の様子に、スイとフーも混ざっていく。二人ともさっき飲んでいたよね? なんて無粋な言葉をかける者は、この場には誰一人としていなかった。嬉しい事楽しい事は皆で共有すればいいのだ。
ミィはそんな楽しい時間を堪能し、そしてゆっくりと、まどろみへと旅立っていくのであった。
「ミィ、寝ちゃったね」
「僕が部屋に連れてくよ」
ミィがベット以外で寝てしまうのは珍しい事であった。しかし、戦闘による疲れとゼーちゃんに対する精神的な疲れ、そして皆ともっと一緒にいたい気持ち。それらが重なり、更に絨毯がふかふかであったのも相まって、眠気に負けてしまったのだ。
そんなミィをふわりと持ち上げる神子。彼女を起こさない優しさがそこには見えた。
ミィの部屋を今一度確認をとった神子は、おやすみの一言と共に退室していった。
「ちょっとお散歩行ってくるね」
話の区切りがついた頃、今度はチャチャが抜けていく。
「おやすみ~。気を付けるのよ」
ミーチャはそれを見送る。チャチャの言うお散歩とは、修練という意味でもあることを知っていた。そのため、彼女は特に詮索するようなこともしない。
「私も寝るね。おやすみ~」
温かい飲み物で心を落ち着けた後、ミーチャも自室へと戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
残ったのは一人。
「…………」
人がいなくなってしまえば、騒がしさとは無縁の環境。それに合わせて静まり返った部屋。騒がしさの余韻を感じ、読んでいた本を閉じるのはイッチーである。
明かりとなっていた魔法を打ち消し、暗闇に身を置く。暗闇と静寂。相性の良いその二つが、彼はとても好きであった。落ち着くのは勿論であったが、真に求めるのはそれではなかった。
入ってくる情報が自然と遮断されるため、過去を思い出すのには適した環境であるのだ。勿論魔法により、自分で同じように環境を整えることもできる。しかし、それでは今一つしっくりこないのであった。
理由ははっきりしていないが、自然にというのが彼の中では重要な要素の一つでもあった。
イッチーが思い返していたのは、今日あった戦闘のこと。あの場面であの対処は最適だったのか。あの魔法の代わりに、別の魔法の方が良かったんじゃないか。膨大な選択肢の中から、取捨選択を繰り返していた。
一人反省会である。全く同じ状況に陥ることは、ほぼありえないと考えていいだろう。それでも成功と失敗を区別し、失敗を成功へ、成功を大成功にするにはどうするべきだったのかを考える。この行為を止めることはなかった。
『守らなきゃいけないから』
『ずっと隣に立っていたいから』
『いつまでも一緒にいたいから』
流れ込んでくる感情。
自分にできるのは、それを支えること。支えられるだけの力を、いつまでも磨き続けること。必要だと頼られた時、それを裏切らないようにすること。そうしたいのだ。
精霊は、睡眠を必要とする者と、必要としない者の二つが存在する。高位の存在になるにつれ、睡眠を必要としない者が増えていく。イッチーは後者であった。
彼の瞑想は、日が昇り始めるまで続く。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ふぁ、ぁ~……ぁ?」
くしくしと目をこすり、目を覚ます。夢など見る暇も無い程に、ぐっすりとした質の良い睡眠が取れていたらしい。気が付けば日が昇っていた、そんな状態であった。
身体を起してみるものの、頭はまだ覚醒しておらず、少し違和感を感じる口をもごもごとさせるばかりである。
「……ぁ~ん~?」
寝起きがすこぶる悪い訳ではなかったため、程なくして頭も冴えてくる。ここがどこで、傍にいるのは誰なのかを把握したのだった。
「おはよぉ~」
「うん、おはよ」
神子が上半身をベットに預け、ミィを見つめていた。そのため目線はすぐに合った。
「えっと……」
自分でベットに入った記憶がない為、少し混乱している様子のミィ。神子が自分の部屋で待機していることも、よりミィを困惑させていた。
「えへ、ミィって結構お寝坊さん?」
「おねぼう……?」
神子の言葉を反芻し、チラリと時計に目を向けてみる。いつもは針が七を示すよりも前に起きているミィであったのだが……
「六、七……八?」
習慣になっていた時間よりも一時間以上遅れている。そのことに、ここで初めて意識が向いたのだった。
朝起きたら、顔を水で洗ってスッキリさせる。ご飯の準備をしたり、時間にだらしない――常にだらしないミーチャの世話をしたり。洗い物をして、お掃除をして、お菓子を作ってみることも。
そんな生活リズムの中で、一時間というのは大変に貴重な時間であった。ただ、迷惑はミーチャを除いて誰にもかけていない。困るのはミーチャであるが、彼女が日頃からやっていれば良かった、というだけであるので自業自得であるのだろう。
悪い事をした訳ではないのだが、罪悪感や不安、怒られるんじゃないかという負の気持ちが大きくなっていく。血の気が引くのを感じるミィであった。
「あっ、うぇっ、どどどどどうしよっ!?」
パニックになると体が上手く動かないもので、ミィもベットの上で慌てるだけでに留まっていた。
「あははっ、落ち着いてミィ。どーどー」
「そ、そうだね。まずは落ち着いて……」
「はい!」
「あわわっ、やっぱりこんなことしてる場合じゃないよね!?」
「どーどー」
「おち、落ち着かなきゃ……はー、ふー」
「はい! どーどー」
「うぇっうぇっ!? 急いで、おち、落ち着かなきゃ……?」
「あっはっは! なにそれ、ミィってホント面白い!」
すぱこーんっ! と、誰もいないお家にそれだけが響き渡ったのだった。