表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/347

第八十九話 正直であれ




 大樹にとって、青年と向き合うことは己と向き合うことでもあった。青年を自分に重ね、青年が自分とは違うと気付き、己と青年を認める。


 永く続いた叱責の嵐は、彼によって静けさを取り戻すことになる。新たな道を拓く可能性を前に、大樹は姿を創り出す。


「……何か、用事でも?」


 久方に出された大樹の声はとても小さく、そして掠れていた。元々声帯を必要としない彼。なのにも拘らずその姿を(かたど)ったのは、青年の影響であろう。


 かなりの年月を生きる彼の言葉は、非常に弱々しい印象を与えることになった。それは彼の性格によるものであり、脆弱な存在であることが現れていた。


「話したいこと……というより、えっと、伝えたいことがあって」


 ほんの少し前までは力強い表情をしていたのに、今の青年は言葉ははっきりとしないし困惑の表情へと変わっていた。雨に濡れた服と髪がよれよれになり、余計に青年の変わり様が強調されていた。


 大樹はそれを疑問に思うが、静かに彼の言葉を待つ。


「すいませんでした」


 青年は頭を下げ、絞り出すかのようにそう言った。


「……それを、何故私に?」


 謝られる理由が思い当たらず、大樹は青年へと疑問をぶつけた。そもそも、大樹は彼と会った事すら無いはずであるのだ。大樹は彼を知っていても、彼は大樹を対話の対象として見ている訳ではなかった。


「ここにあなたが、ゼーちゃんのお父様がいることをある人から聞きました」


「……やめてよ。私は、もう父親だなんて名乗れない」


 他人にゼーちゃんの父親だと認識されることの無かった彼にとって、その言葉は嬉しくもあり、そして悲しいことであった。


「いえ、あなたはいつまでも彼女の父親です。ゼーちゃんがそう思い続ける限り、あなたはそうあるべきなんです」


 青年の言葉に、ひどく怒りを感じる大樹。何を知っているのだと、言葉にならない感情が生まれる。


「ゼーちゃんが言ってました。大好きなお父さんにあげたものがあるって。その、手に持っているものですよね」


「……確かに、これは彼女がくれたものだ。でもね、ほら」


 握られた手の中には、今にも崩れそうになっている石の彫刻があった。


「彼女が、自分で壊していったんだ。君が来る前にね。嗤っていた。嬉しそうだった。楽しそうだった」


「……それは、ゼーちゃんの意志じゃないと思います」


「いいや、彼女の意志だ。心の奥底に眠っていた感情だよ。私を恨んでいた彼女の意志だ」


「……」


 それ以上青年から言葉がでることはなかった。


「君は、優しいんだね」


 そこで初めて、大樹の顔が和らぐ。青年の言葉に対し怒りを覚えたことを気にもすることなく。彼の気持ちを考え、彼の考えに優しさを感じたのだ。


「俺は、ただ助けたいだけです。それで嫌な事を思い出す人がいるとしても。ゼーちゃんのために、できることをやりたいんです」


 一人の為に、それなら自分が傷ついても構わない。大樹は、そんな彼を優しいと捉えた。


「私の気持ちも考えてくれたら、嬉しかったんだけどね」


 自分に嫌がらせをする彼を、優しいと判断したのだ。


「なんだか、複雑な気持ちだよ」


 大切な娘のために頑張る存在。嬉しくもあり、悔しくもあり、殴りたくなる衝動があり。


「私は、私には何ができる? 何をしてあげられる?」


 青年は大樹に考えを伝え、それを聞いた大樹は暫く考える。


「正直、それが彼女に届くのかは分かりません。それでも、できることは……」


「全部やっておかないと、だね」


 男二人。企みは密かに行われ、水面下で動き出す。ただ一つ言えるのは、何故この二人で決めてしまったのかということ。


 救えなかった男二人が知恵を絞ったところで、生まれるのも救えない答えの一つだろうに。娘の気持ちも分からない父親に、憎しみの対象である青年。

 二人がそのことに後悔するのは、作戦を実行した後である。


「それでは、また来ます」


「うん。それまでには、私も力を蓄えておくよ」


 失敗など恐れもせず突き進む。その姿勢だけが評価されるべき点なのかもしれない。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




「うん? どこか行ってたの?」


 勘の鋭い彼女が言った。


「いや、大した用事じゃないよ」


 ゼーちゃんの父親との打ち合わせを終え、お家に帰ってきたジーン。雨に濡れた事実を隠蔽し、転移もバレないように慎重に行ったはずなのに。彼は疑われていた。


「嘘。ずうっと部屋にいなかったもの」


 長い時間出掛ける時は、必ず誰かに伝えていたジーン。それが今回無く、誰もが不思議に思っていたのだ。


「精霊との繋がりも意図的に弱めてたみたいだし」


 どんな会話していたのか、どんな場所なのか、どんな感情だったのか。それが分からないようになっていたという事だ。


 重要なのは、“意図的に”という部分。


「言えない事でもしてたの?」


 それをズバッと聞ける彼女であった。褒めるべき点なのか、咎めるべき点なのか。当然彼女の魅力の一つであった。


「いやそんな。ちょっと話が長くなっただけで」


 チャチャの魅力的な一面は今、ジーンを追い詰める武器になっていた。もっとも、別にジーンは悪い事をしていた訳ではない。正直に話せば済むのに、彼はそれを隠そうとした。


『いやだって、なんか恥ずかしいじゃん?』


 やってみたはいいものの、暫く経った頃にやってくる何とも言えない気恥ずかしい感情。ただ、『知られたくない』。それがジーンの気持ちであった。


「ふーん」


 ザクザクと、野菜を切る音が続く。夕飯の当番はチャチャであった。


 変な緊張が走り回るこの空間。その場を離れることも出来ず、居心地のいいはずの椅子に座ったジーンの背には嫌な汗が流れる。


「エプロン姿マジかわいい」


 不意に聞こえるのは、ミカの声。


「えっ?」


「えっ?」


「えっ?」


 感情を読まれたジーンが顔を真っ赤にし。振り向いたチャチャは、それがジーンの感情だと悟り、顔を真っ赤にし。今まで我関せずを貫いていたミィまでもが、当人ではないからこそ生まれる逃げ場のない恥ずかしさから顔を赤く染め。


 ――バタン。


 たまらずミィが退出。


 ――バタン。


 『ちょっと嫌な雰囲気だったからね。お礼は要らないよっ』そんなセリフを、ジーンにだけ聞こえるようにして吐き去っていくミカ。


 ――バタン。バタン。


 何も知らず入出したミーチャが一瞬でミィ達に拉致され。


「……」


「……」


 不思議な空気に包まれる。完全に退出のタイミングを失ったジーン。夕飯当番をほっぽりだす訳にもいかず、逃げられないないチャチャ。


 どうしてこうなった。


 そんな状況を見守るのは、


「いっつもあんななの?」


「ええっと、前よりも悪化してる気が……?」


 ドアの隙間からのぞき込む二人。神子にミィであった。


「あっちで何かあったのかな?」


「あっち……?」


 コソコソと会話する二人は、いつの間にか友達のように親しくなっていた。


「うーん。まぁ、僕関係ないしいいけど」


「えぇ、関係大アリだと思うんだけど……」


 戦場から戻った後、ジーン達とともに状況の整理をした神子。ゼーちゃんの契約者の話をするにあたって、ミィに関する話もした。母と知り合いであったことから、親近感を持っていたミィはこのまま夕食も一緒にと誘ったのである。


 それを了承した神子は、事情を話して不安が解消できたのかいつもの調子に戻り、ミィと交流を深めたのである。


「ミィが幸せなら他の人はどうでもいいの」


「じゃあミィの為に、あの二人をなんとかするの手伝ってよ」


 神子の態度に流され、今では友達感覚で接しているミィであった。


 ――がちゃっ


「二人して何やってるんだ?」


「うぇっ!?」


「ぴゃっ!?」


 開かれたドアの前には、ジーンの姿が。会話に夢中で警戒が疎かになっていた二人は、驚きのあまり尻もちをついてしまっていた。


「いや? ご飯まだかなぁ、って」


「そ、そうそう。ミィも手伝おっかなぁって」


「?? ならいいが……」


 変な疑いがかけられる前に、『ミィ達は準備があるので』と神子の手を引き部屋の中へと入っていくミィであった。

 ジーンはというと、トイレついでに自室へと逃げるというのが彼の狙いであったため、二人の思惑に気付くことはなかった。


「ちーねぇ、何か手伝う事ある?」


 いたって普通に、いつも通りに声をかける。


「ん~、料理の方はもうすぐ終わるし、盛り付け手伝ってくれる?」


「りょうかい!」


 びしと敬礼をし、とててーっと準備に取り掛かるミィ。となると、ぽつーんと神子がぼっちになるわけで。


 だけどそんなこと気にしない。神子は座り心地の良さそうな椅子に座り、せっせと働く二人を見守ることにしたのだった。


 ゆったりとした、ほっこりとした時間が流れる。


 しかし、現実は急速な変化の連続である。そんな時間は永遠に続かなかった。


「わったしがいっちばーぁあぁんじゃなぁぁあい!?」


「別にそんなに驚くーぅぅう!?」


 現れるなりそう騒ぐのは、スイとフー。一番じゃないことに驚いたのではない。二人とも、神子がいたから驚いているのであった。いつものんびりとしているスイが騒ぐのは貴重だと、その場に居たチャチャとミィはちょっと嬉しくなったのは、二人の秘密である。


 精霊達には伝えていなかった神子の存在。情報を共有した後、帰ったものと思っていたため、皆が一様にして驚くのであった。


「そろそろかな~……あ?」


 ジーンが戻ってきた頃には何とも言えない緊張感が漂っており、ぴとといつも以上にくっつくスイを宥めるのが大変だったという。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ