第八十六話 解放
耳を覆いたくなる程の怒号が響く戦場で。一つは碧と白、二色の閃光を伸ばし。一つは精霊の解放を謳い。一つは一面の軍勢を相手に一歩も引かず。
「君も精霊を従えているみたいだ。良い戦いが出来そうだよ」
「……」
男の後ろに控えているのは、小さな精霊。髪や肌は傷つき、表情も抜け落ちてしまっていた。目に光は無く、その瞳には何が映っているのか。
「ほら仕事だよ! さっさと動けよ愚図が」
彼は精霊の髪を掴み、乱暴に指図をする。その行動にチャチャ、イッチーの常識が崩されていく。
精霊は道具。それが彼らの考えであるらしいとは聞かされていた二人。それを目の前にし、感情が沸きあがるのを自覚する。
「……叫べ」
己の腕を前に掲げ、精霊はそう呟く。その言葉に続き訪れるのは、まさに想いの塊。耳を覆いたくなるほどの、悲しい叫び。
「今、助けてあげるから」
叫びが吹き荒れる中、悠然と歩きだすチャチャ。その行動に驚くのは、征服派の男。
「おい、手加減してんじゃねぇっ! 帰ったら罰だからな!?」
罰、という言葉に青褪め魔力を捻り出す小さな精霊。始めから全力だった彼に、これ以上どうしろというのか。それが分からない時点で、男の実力も分かる。
精霊が如何に魔法を発動しようとも、二人にはダメージすら与えることはできない。チャチャは魔力で自らを覆う。それだけで、彼の攻撃を無効化できていた。実力の差があまりにも違い過ぎたのだ。
「……っ!?」
遂には精霊の前に立つチャチャ。彼の全力を一身に受け、それでもなお無傷で立ちふさがる。
「大丈夫?」
一言。そう問いかける。
「……ぁ」
少年の手を取り、逃げようとするその手をしっかりと掴む。少年が手を引いたのは、捕まると思ったからではない。
「私が、助けてあげる」
チャチャの、自分を心配する彼女の手が。
「ふ、はははっ! 馬鹿な奴だ! 自分からダメージを受けに来るだなんて!」
流石のチャチャでもゼロ距離では防御も出来ない。彼女の手から血が噴き出したのだ。そして瞬く間に突風に乗り、霧散していく。
「だめっ……! はな、して……」
「何を言ってるんだ! これはチャンスだぞ、もっとやるんだ!」
少年の意志など関係ない。命令である限り、彼はそれには逆らえなかった。男は敵であるチャチャが何をするのか、何故こんなことをしているのか。何も分かっていなかった。ただ、ダメージを与えているという事実だけに目がいっていた。
「……ぁあ……あああぁぁ!」
己の意志に反して発動が続く彼の魔法。灰の気流に乗り、劈かんばかりに荒ぶる音。激しい振動の波は、触れる物全てを破壊へと導いていく。
チャチャの手先の皮は既に裂け、傷は彼に繋ぐ腕を上っていく。常時回復を続けるも、ダメージがそれを上回っていたのだ。
僕はただ、皆と一緒にいたかっただけなのに。ただ、お話してるだけでよかったのに。
僕の声が綺麗だ、って。僕の声が好きだ、って。だから僕も自分の声が好きだった。
……いつだっただろうか。彼と出会ったのは。誰も来ることの無かった森の奥深くに、彼は来た。
静かな森で、彼はこう言った。
『今からお前は俺のものだ』
彼は最初から乱暴だった。良くも分からないうちに、僕は彼に隷属化していた。
『最初の命令だ。この森をぶっ壊せ』
反抗が許されることもなく、僕は森を破滅へと追いやった。目の前で壊されていく大好きだった場所。目の前で死んでいく大好きだったあの子達。
大好きだったもの全てが、大好きだった“声”によって壊れていく。皆を喜ばせるためのものが、皆を傷つける武器に変わった瞬間だった。
「――」
彼女が何かを呟いている。分からない。
「――」
聞こえない。
「――」
聞きたい。
「――」
いやだ。もう、嫌だよ。
「――」
…………助けて。
「――」
誰か助けて!
何かが割れる音がした。何かが砕ける音がした。
目の前に見えるのは、名前も知らない女の人。でも、これだけは分かった。
「……ありがとう」
少年が倒れ込み、それを受け止めるチャチャ。彼を抱え、その場を去っていく。
「は? おい、待てよ。何してんだよ!」
状況を正確に判断できない男はそう叫ぶ。精霊は解放され、既に自分の制御下にない事に気付かなかったのだ。
「おい起きろよ! 起きないと帰ったら罰だぞ!?」
チャチャを追いかけようとして、一歩踏み出す男。だが、次の足が踏み出ることはなかった。
「なんだよお前。邪魔するのか!?」
道を塞ぐように、イッチーが男の前に立つ。イッチーが男に向けるのは、無。
「……」
「や、やるかっ!?」
イッチーが無言を貫く中、男は身構えそう言った。イッチーのやるべきことは、この男を捕縛し保護派の本部へと連れていくこと。
拙い魔法を発動させ、自分の敗北など考えることもなく。男は、暗転した世界で初めて恐怖を覚えたのだった。
チャチャが一人の精霊を救ったその頃、ミィへ接触を試みる影が一つ。魔物の合間を縫って彼女へと近づいく。
上空から見れば一目瞭然ではあるのだが、地上では魔物の影に上手く隠れてしまっている。魔法を使えないミィにとって、気配だけで感じ取ることは、戦場では不可能に近かった。
「ちょーぉ!」
「ピヨピヨ-ッ!」
また一体の魔物へとチョップをかまし、囲まれないように場所を移動するミィ。ただ、既に十メートル程にまで近づいている影には気付いていない。
「そいやっ!」
攻撃へと転じるその一瞬。完全に対象へと意識が移っているその瞬間に。
「きゃっ!?」
不意にミィを揺らす不可視の力。身体は動くが、それが移動に繋がることはない。ジタバタと手足を動かすだけに留まっていた。
魔物以外の敵がいることを失念していたミィは、ここで初めて焦りを覚える。どうすればいいのか、混乱した頭は上手く働かない。しかし、ただ一言こう叫ぶことに成功した。
「た、助けてっ!!!」
声の通らない戦場でのこの行動は、完全に間違いであった。誰に届くことも無く、誰に知られることも無く。攫われてしまうだろう。まぁそれは一般的な、彼らを知らない者の常識であるが。
「ちょっとミィ落ち着いて!? 既に僕が助けた後なんだけど!」
チラと、そう声がする後ろへ目線をやるミィ。
「あれ、ミカ? でも、ん?」
絶賛混乱中のミィであった。
「あは、失敗しちゃった?」
プカプカと浮かぶミィとミカ。その下から、つまりは先程までミィがいた場所から声がする。
「いやー、絶対いけると思ったんだけどなぁー」
つま先で地面を蹴り、悔しさを示すのはミィを攫おうとした征服派の女。
「あ、私サイラ。よろしくね?」
何がよろしくじゃ。そんなん嫌じゃ。そんな気持ちを隠すことなく、ミィは舌を出しサイラを拒否する。
「べぇー」
「あは、嫌われちゃった?」
失敗を気にしていない様子のサイラであった。
「ん~、出来れば私についてきて欲しいんだけど?」
「嫌に決まってるでしょ!」
「ま、しょうがないか。それなら……えいっ!」
サイラは指を突き出し、真っ直ぐにミィを捉える。ミカはそれが攻撃の動作だと思い、すぐさま射線から外れるように移動した。
ゥゥウウウン!
が、二人のすぐ横で何かが通り過ぎる音がした。
「あは、避けられちゃった?」
最初に向けられた場所ではない。避けたのにもかかわらず、二人のすぐ横を通り過ぎたのだ。更に言えば、ミカは避けられていなかった。前方に展開した結界があったおかげで、攻撃が逸れたのだ。
「次、いくよ?」
再び向けられる彼女の指。結界と彼女の攻撃がぶつかり合い、キィィィンと音を響かせる。
その音に、自然と恐怖を感じるミィ。でもそれは一瞬のこと。すぐに平静を取り戻す。
「…………」
幾度となく続く彼女の攻撃を受けるミカは、無言で状況を整理していた。動き続けても結果は変わらず。こちらが攻撃をしようにも結界が破られないようにしなければならないため、リソースを大きく割けずにいた。
「あは、楽しいねぇ~!」
そもそも、彼女自身の戦闘能力が高いのも原因であった。ミカの繰り出す攻撃は、中途半端とはいっても常人では耐えられるはずもない威力を出している。それなのに、完全に防ぐことはなくともサイラはダメージを最小限に抑えていたのだ。
戦闘が始まって一分が経った頃。
「なるほどね」
ミカはそう呟き、ある魔法を発動させる。
「まぶしっ……」
強力な光。それはサイラを照らし、彼女の影を強調することになる。よく見ればもぞもぞと動いているのが分かる。
「あは、もしかしてバレちゃった? かな?」
それでもサイラに動揺はなかった。
「ミカ?」
何一つ理解できないミィは今も奮闘する相方に聞く。
「んー、一言で言うならば精霊が上手く隠れてただけ。って感じ?」
サイラの足元に伸びる影。その中に、その影の本体が精霊であったとミカは言う。ほぼ同じ座標から魔力の反応があったために、精霊の存在に気付かなかったのだ。勿論それは、サイラ及びその契約している精霊の技量があったから。だからこそミカを上手く騙すことができていたのだ。
サイラは常に魔力を手に集めていたのだが、それは魔法発動のタイミングを誤魔化すためであった。初めにサイラ自身が標準を合わせるように指をさし、一度目の魔法が放たれる。そして標的が移動した後、精霊が本命を撃つのだ。
サイラの指差しは、その直線上に攻撃が来ると思わせるため。魔法で探知されるのも対策済み。気付かれる前に始末するのが彼女の戦闘スタイルであった。
「分かったところでどうしたの? って感じなんだけどね」
実質ミカ一人での戦闘。防戦一方であった。
「あは、結構しぶといんだね?」
突破口を見つけられないまま、時間だけが過ぎていく。それはサイラも同じではあったが、彼女は戦闘を楽しんでいる分、気が軽いというものであった。
まぁそれもすぐに終わりが来るわけで。
「助けに来たわ!」
救出した精霊を本部へと転移させ、他にも何人かから解放してきたチャチャが割り込んできたのだ。渾身の鉄拳を振り抜き、慣性で地を滑った後でチャチャそう宣言した。
ただ、油断することなくサイラを観察する。手応えはあったが目的は精霊の解放だ。隙を見て行動を起こす必要があった。
「あっは、きついね~」
頭から紅い一筋が垂れ落ちる中、彼女は楽しげにそう呟き、再び動き出す。それでも彼女が人間である以上、ダメージを誤魔化すことはできず、彼女の動きは徐々に鈍くなっていったのだった。
「――これで終わりよ」
仰向けに寝そべる彼女の首元に刃を突き付け、チャチャは言う。
「あは、は。こりゃ、参ったね……」
やり切ったと。傷だらけで、血だらけな顔。しかし、彼女に後悔の表情は無かった。
「じゃ、好きにさせてもらうから」
「あは……それ、私に拒否権ないでしょ」
手を翳し、チャチャは精霊を解放するため行動を開始した。
「今、助けてあげるから」
…………反応が無い。
「……もしかして」
「ん、どうしたの? 連れていかないの?」
チャチャは一つの可能性を考えた。神子から聞いた話では、隷属化した精霊は必ず助けを必要としている。どれだけ心に縛りを設けても、完全に抑えることは出来ないのが隷属化であると。だから、それにきっかけを与えるだけで隷属化からは解放され、精霊は自由になれる。
反応が無いという事は……。
「あ、もしかして。精霊の解放とか考えてた? あは、それ無理だから」
「どうして!? あんた何したのよ!」
分からないから。いや、認めたくないからこそ、チャチャは声が大きくなる。
「うーん、と。確か、道具化? んーなんだっけ。 まぁそれだと限界があるから私が取っ払ったの。ちゃーんとお話して、相棒としてこうして戦ってる訳。ね、いいでしょ。相棒って響き」
つまりはミカやイッチーと同じ様に、サイラと契約した精霊は自分の意志で彼女と共にいる訳である。理由は彼女と契約した精霊自身が未だ一言も話さないため、何も分からない。
「ま、それは後でいいか。とりあえず、私達の本部に連れてくから。……話、良ければ聞かせて」
ゴッ。
「え?」
切り替えの早い事。チャチャはサイラの意識を刈り取り、本部へと送る。決して物理で殴ったなんてことは無く、勿論、魔法を使って眠らせた。打撃音は気のせいである。
「んー、彼女で最後かな」
戦場のど真ん中で、チャチャは言う。ミィを傍に、敵を寄せ付けない圧倒的な強さを見せつけていた。もっとも、主に魔法を展開しているのはイッチーであるが。
ただ、それもいつも通り。誰もツッコミを入れることはなかった。
「じゃあ、後はこのいっぱいの魔物を倒すだけ?」
「ん。急いで片づけてジーンに合流しなきゃね」
「ま、俺達なら楽勝だけどな」
いつの間にか聳え立つ大きな壁を見て、二人は言葉を交わした。壁はジーン達の邪魔に入らないように、イッチーが築き上げたものだ。
本格的に殲滅へと行動を開始した彼女らによって、数分後。数万を誇った魔物の軍勢は、その姿を消していたのだった。
こうして一つの戦場は終わりを告げたが、ジーンとゼーちゃんによる戦いはより激しくなっていく。
憎しみに嗤う精霊とそれに全力で答える青年。
殺したい。助けたい。
壊したい。取り戻したい。
互いの想いの終着点。どちらの願いが叶い、どちらの願いが消えるのか。それを見届けるのは、誰なのか。
運命は既に決まっている。