第七十九話 おかえり
いつも通りに、いつもの時間に、いつもの席へ。
いつも通りだからこそ、いつも通りじゃない事が起きる。いつも通りだからこそ、いつも通りじゃないことに敏感になる。
「ん~? 何か今日調子良い……かも?」
「いっつも寝てるからじゃないですか? あ、でもそれなら毎日調子が良いことになりますね」
部下上司の関係を気にしない二人の会話。最初は気を遣っていた部下だが、それもいつからか無くなっていた。
こんな調子なのも日常。
上司の気まぐれも日常。
ピッ
小さな変化。観測員の注意がいく。しかし、それも一瞬。別の事へ意識が逸れていった。
ピッ
小さな変化。再び観測員の注意がいく。正直問題ないように思えた事だったが、二度も気になった事を無視するわけにもいかない。一応報告書を作成。
問題なしと処理され、無数の解決済みの山に埋もれていく。
「今日は運動、いいんですか?」
「今日はずっとここにいるかなー。その方が良いってゆーか、そうしたいってゆーか」
いつも通りから少し違った流れ。半日が過ぎ、お昼ご飯を終えた頃。
「…………?」
…………
「…………」
…………
「…………! ほ、報告!」
一人の観測員が声を張る。珍しい事ではないので、次の言葉を待つ。
「上空に異常反応観測!」
上空? と多くの職員が疑問を持った。
「高度……数万メートル! 大きな魔力が一つ、いえ二つ! 遠すぎて情報が足りませんっ」
待つしかない。得体の知れない存在が近づく間にできたことは、精々戦闘準備くらいであった。
「距離一万を切りました! 波長パターン出ます! これは……人です! 上空の巨大な魔力反応は人のものと思われます!」
膨大な量の情報が光面のウィンドウに出ていく。いくつも浮かぶそれに、職員の視線が集中する。距離が遠いせいか数値が安定しないようで、全ての職員が必死で状況の把握に努めていた。
「先輩!」
波長パターンは人ではあるが、データには存在しない反応。つまり未知の生物である可能性も否定できない。
部下は自然と頼っていた。自分で判断し自分で処理してきた人間が、この非常事態に他人を頼ったのである。何故なのか。
「映像出して。対象が小さくても構わないから!」
「はい! ……映像出ます!」
新たにウィンドウが浮かび上がる。そこには青い空と白い雲が映っていた。
「……」
「……」
誰もが小さな異常も見逃さないよう、全ての神経を集中させていた。
「あそこっ、拡大して!」
ウィンドウに丸が映し出され、その指示に職員が素早く従う。
拡大された映像には、確かに人らしきものが確認できた。恐らく人なのは間違いないだろうと誰もが思い、では一体誰なのかと誰もが疑問に思う。
敵襲なのか、そうでないのか。敵の奇襲にしてはおかしい。攻撃もないし、そもそも発見されている。色んな事が確定できず、非常に困ってしまう状況だった。
「……対象は人であると確定。魔力反応もほぼ安定、攻撃性は無し。この件は偶発的な事象だと考え、我々は現在より二名の保護を優先。担当は伊組壱、弐、参班。各班長は集合。他は速やかに別件へ移る事」
あのぐーたらだった上司が班長三名に指示を出し、外へと向かっていく。
扉を抜ける間際。最後にウィンドウへ目を向け、足早に去っていった。
残った部下は、別件の処理を開始しつつ思う。“流石だった”と。冷静になってみれば、自分でも対処できた問題だっただろう。しかしあの時、あの瞬間にできていなければ意味が無いのだ。それを理解し、部下は後悔ではなく憧憬していた。自分もああなりたいと。到達すべき高みを再確認し、部下は本日も業務をこなしていくのだった。
「あー疲れた。久しぶりに声張った気がする」
そう言って歩くのは、先程までぐーたらしていた上司である。担当班より一足先に目的地へと向かっていた。
かつかつと響く足音。それが徐々に感覚が短くなっていく。早歩きになり、駆け出し、遂には飛行しだす上司。
彼女をそうまでさせたのは、やはり上空に現れた“二人”が原因だろう。あの場では明言しなかったが、本人は誰なのかを確信していた。上司自身の持ち得るデータのおかげだったと言える。
一秒でも早く会いたかったのだろう。全速力で向かっていたため、すぐに息を切らしてしまう。真面目にトレーニングしておけば良かったと少し後悔しつつ、外へと出る。
「あと、少しっ」
木々の枝や葉っぱを押しのけ、そのまま一直線に高度を上げていく。
「保護担当班はターゲット落下予測地点で待機!」
遅れてやってくる三つの班への指示をだし、ぐんぐんと空へ近づいていく。
「……見えたっ」
雲の合間に人影を捉える。
込み上げる感情が抑えられない。もっと速く。もっと高く。もっと近くへ。
くるくると回転する二人に向かっていく。
落ちる二人も彼女に気付いていたようだ。彼女へ身体を向け、彼女へ向け手を振り……彼女がその全てを無視する。
「え、ちょ」
「せっ、あ、待っ」
制止の言葉も届かない。全てを言い切る前に、凄まじい勢いで二つの点が交差する。
「……っ!」
「……っ!?」
当然衝撃は凄まじいものになる。落下していた二人は衝撃で息が漏れ、驚きで声が出ない。当然急上昇していた上司にも少なからずダメージはあるだろう。
しかし、彼女は痛みなどどうでもよかった。
やっと無事だと分かった。やっと戻ってきた。やっと会えた。溜まりに溜まった彼女の感情が溢れる。
流れる涙として。
抱き着く力として。
漏れていく声として。
二年。
世界が徐々に変わり始めて二年が経つ。
二年。
二人が消えて二年が経つ。
二年。
そして。二年を経て、ようやく二人が戻ってきたのだ。
「おかえりなさい」
たった一言。彼女から出た言葉だった。
「……あぁ、ただいま」
「……ただいまです、先輩」
たった一言。二人が返した言葉だった。
しばらくの間。ゆっくりと。
三人は空に包まれて、再会の時間を過ごしたのだった。
作中で三人が再会しましたね。
次は誰と再会を果たすのか。お楽しみに。