第七十六話 繋ぐ一族
「レイ、一人で外に出ちゃダメだって。いつも言ってるよね?」
小さな少女は今日もまた怒られていた。
「……」
一応頷いてはいるが、この様子から明日もまた一人で歩き回るだろう。
ある日を境に、レイは頻繁に出歩くようになった。それまでもそういった日はあったが、毎日ではなかった。
ルークスが理由を聞いても、いつも答えは決まっていた。ジーンにも、チャチャにも、同じように答える。
「あのね、おかえりっていえるように、ずっとまってるの」
ただいまを聞きたいと、そうレイは言う。ルークスでも、ジーンでも、チャチャでもなく。勿論三人の姉でもない。
本人も誰を待っているのかは、分かっていないようだった。それが不可解でもあった。
そして、レイは今日も家を抜け出す。昨日怒られたばかりだが、これだけは譲れなかった。
声がかけられ、期待をもって振り返る。今日は待ってる人が来てくれるのかな? 顔も分からない、声も知らない誰かを。それでも彼女は待ち続けていた。
「レイ? 何してたの?」
チャチャおねぇちゃんは好きだが、待っている人ではなかった。
「うんとね、こんくらいのお石をさがしてたの」
いつも磨いている丸みを帯びた石を見せるレイ。
どうしてか、それを聞くチャチャ。帰ってきた答えは、
「いなくなっちゃったから。もういっこつくってあげるの」
誰の事を言っているのかチャチャには分からない。ただ、一つ思い当たるのことはあった。
いつも待っているという、その人の分ではないのか。しかし、それでは矛盾してしまう。既に死んでしまった人を、レイは待っていることになるのだ。本人がそれを理解しているのかは別として。
それに、そもそもレイにはいないのだ。最近死んでしまった身近な人物など。
家に戻ってから、ルークスにこの話をした。しばらく席を離していたかと思えば、手に何か持っていた。
「わぁ、ありがとう!」
大事に受け取ったのは、石だった。なにやら特別なものであるらしく、魔力を宿していた。それこそ、毎朝磨いているあの石と同じように。
これで一人で出歩くのが減るかもしれないと思ったが、そんなことは無かった。変わらず、毎日、誰かをまっていた。
そんな彼女を不思議に思う姉達だったが、その中でも一人だけ。長女であるメイだけが。彼女だけは何も変わらず、その話題に触れることは無かった。
ただ一つ、時折見せるあの顔。悲しみと嬉しさと、そして困惑と。それらが混ざった表情を作ることがある。それは、決まってレイがその“ある誰か”の話をする時だった。
ルークスがその存在に気が付いたのは、レイに渡した石を手に入れた時だった。
「よよっ、今日はどうしたんよ」
特に予定は無かった面会。しかし、予定は無くとも嬉しいことには変わりない。よっちは声を弾ませ、用件を聞く。
「いやな、気になる事があって」
レイの事を話すルークス。そして、一つだけ思い当たることがあるとも伝える。すると、彼女も心当たりがあるらしい。
「よよよ~、また、増えてしまったんよ?」
「……恐らく」
「すぐにいくんよ?」
「……」
答えを待つこと数秒。ルークスは立ち上がり一言。
「行こう」
二人が向かったのは地下。長い階段を降り、ごつごつとした岩肌が目立ってくる。四人程並んで降りられそうな階段を、二人はぴたりと隣り合って降りていく。
下へ降りていく程、雰囲気が変わっていく。魔力を帯びた岩肌が、ほのかに光ってきたのだ。わざわざ光を作らなくても問題ない程度に輝いている。
降りきった先には、扉があった。申し訳ない程度に装飾もなされており、それらも随分と古くなってしまっているようだった。
よっちが扉に触れ、魔力を流す。すると扉に文様が浮かび上がった。その演出に少しテンションが上がってしまったルークス。後で家にも造ろうと心のメモを残すのだった。
消えていった扉の先には浮遊する物体があった。何かの結晶なのか、光を反射し綺麗に輝いている。
近づいて分かったのは、何やら模様かあるということ。それが文字であるということ。
透き通った結晶を前に、ルークスは文字を確認していく。
ロザー・グナツクラン
イスキー・グナツクラン
ミカキ・グナツクラン
知っている名前を順に確認していくルークス。しかし、ここに残された名の人に会ったことは無い。正しくは、彼らを覚えてはいない。
メシュ・グナツクラン
ライ・グナツクラン
アスカ・グナツクラン
確かに会っているはずのなのだ。しかしルークスは、世界はそれを覚えていない。
ここに刻まれるのは、魂がここへと行きついた証拠。ある使命を遂げたという証拠。
アイ・グナツクラン
見覚えの無い、新しく刻まれた名前。
名を指でなぞり、何度も何度も名を呟く。
「アイ」
どんな風に呼んでいたのだろうか。
「アイ」
何が好きだったのだろうか。
「アイ」
どんな最期だったのだろうか。
「……」
何も覚えていない。思い出すことが出来ない。最初から、この人物がいなかったかのように。
この気持ちを味わうのも何度目だろうか。刻まれた名を見返すルークスは、気持ちの整理を無理やりにでも進めていく。
「実は、よっちは知ってたんよ」
「……ああ」
自分で気付くまでは言わないように。二人で決めていたことだった。
「一週間も、かかった」
「記憶が、存在自体が無かったことになるんよ。仕方ないんよ」
それでも、大切だったはずである存在を忘れてしまっていたのは事実だ。
毎回だった。ここに来ると、彼らの使命を思い出す。
穢れの浄化。それが、この一族の使命。
穢れとは、この世界を汚染する物質。
本来、穢れの浄化は精霊の役目でもあった。しかし、この世界は既に精霊は消えてしまっていた。当然穢れは溜まり続け、結果として目に見える形で顕現する。
今回は、ジーンがPと名付けた存在。あれは穢れの化身だったのだ。
ここである疑問が生まれる。どうしてアイの存在が記憶から消えたのか。
まず、アイの一族は半精霊である。ただし、長女もしくは長男のみが、半精霊として生まれてくる。
そして彼らは一様にしてある力を持っている。それが浄化の力だ。しかし、精霊よりもその能力は劣る。では何で補うのか。
存在の消滅。
それを代償に、浄化を行うのだ。
そして、彼女が存在しない世界へと生まれ変わる。
浄化はここで行われる。代償によって得たエネルギーを使い、穢れを自身に封印。膨大なエネルギーを抑え込めない人の器は、エネルギーに飲み込まれる。残るのは魂。
魂は封印された穢れとともにここへやってくる。結晶体と融合し、時間をかけて浄化するのだ。
そこで魂は解放され、使命を果たしたことになる。その際に、その者の名が刻まれることになる。
そして、使命は受け継がれていく。長女亡き今、誰がその役目を継いだのか。
それは血縁者であり、かつ一番年上である者。つまりはメイだ。現在はメイがその使命に縛らることになる。
また、彼女には記憶がある。名を刻まれている、一人一人の軌跡が記憶として甦るのだ。
事実を知り、それを誰かに告げることは許されない。
気が狂いそうになるのか。それは違った。全ての想い全ての誓いが、己のものとなるからだ。
自分を犠牲にする道に縛られるのは、悲しい事、おかしい事。他人はそう思うかもしれない。
それでも彼女には誇りであり、否定する他人は許せないことなのだ。
こうして何年も、何十年も。彼らは戦い続けている。
ルークスは、そんな彼らを近くで見てきていた。その記憶は無いが、この事実だけは知っている。
「アイ、おつかれさま」
顔も、声も、交わした言葉も覚えていない。そんな彼女に言葉を贈り、気持ちの整理を完了させる。
そして、結晶の下にある石を拾い上げる。幼女組が必死で磨いていたのは、彼女らの親である人の魂の、意志の残滓。
アイ以外の四人は親については何も知らなかったが、アイが強制的に磨かせていたのだ。わざわざ五つにさせてまで。お墓もアイが建てたものだったりする。
そんな“いし”を手に、ルークスはその空間から出る。よっちの退出が完了すると、再び扉が現れた。
それを気にすることはなく、階段を上っていく二人。
自分が生きる理由は二つ。
一つ目は全てが過ぎたこの世界を見届けること。
二つ目は全てが過ぎたこの世界を創らないようにすること。
階段を上る、長い長い時間。その時間をルークス――ジーンは、過去に思いを馳せらせることに使ったのだった。