第十六話 契約
「初めまして、でいいんだよな?」
ジーンがそう声をかけると、その精霊はにっこりと笑った。
「ジーンからしたらそうだね! でもね、僕はジーンがちっちゃい時からずうっとそばにいたんだよ! えへへ、知らなかったでしょ?」
嬉しさのあまり、笑いが止まらない様子の精霊。僕と称しているから、この精霊は男の子なのだろうと判断するジーンだった。
「えっと、そうだな。君は……なんて呼んだらいいかな?」
「僕の名前? 名前はまだない!」
「いや、断言されても困るんだけど」
「ジーンがつけてよ! 僕、かっこいい名前がいいなっ」
もっと困るんだが。そう言いたい気持ちを抑えるジーン。キラキラと目を輝かせて待っているので、断ることができないジーンなのである。
ただ、それに待ったをかける人物がいた。
「ちょ、ちょっと待って! 名前の前に、あなたは何の精霊なの? 火や水じゃなさそうだし、風?」
ジーンと精霊の間に割って入ったのはミィだった。
「あっ、ジーンと会わせてくれてありがとう! でも、僕のことは僕自身もよく分かんないんだ」
質問には答えられない、とミィに対して頭を下げる精霊。
「(……名前どうしよう)」
自分が何の精霊なのか分からない、なんて事もあるんだなぁと思いつつ、ジーンはどんな名前にしようか思考を巡らせていく。
「なになに、どうしたの?」
チャチャも異変に気付いたらしく、二人の話に入ってきた。今はまだ精霊の存在を認識できないため、チャチャにはジーンとミィの二人しか見えていない。
「あっ、ちーねぇちょっと待って。ちーねぇにも見えるようにしないとね」
ミィがチャチャの手を取る。
「ん? 何の話?」
不意に手を繋がれ不思議に思うチャチャであったが、すぐに先程と同じくミィが輝き始める。そしてツッコミを入れる間もなく、ミィは別の事に意識をとられてしまった。
「……ふぇ?」
「こんにちは! 僕はジーンの精霊だよっ。名前は……ジーンに今考えてもらってるんだっ」
ニコッと笑って挨拶をする精霊。突然の事過ぎて、チャチャは理解が追い付かない様子であった。
「(しっかりしているように見えるが、やんちゃ君がチラチラと顔を見せてるな……名前は……えっと……)」
目の前で起きていく出来事を眺めつつ、ジーンもっと深く思考の海に沈んでいく。
「それよりも、分からないってどういうこと!? そんな話聞いたことないんだけど!」
「そんなこと言われても困るんだけど……」
精霊の言葉に納得できないミィは質問を繰り返す。そんな彼女を、どうしたものかと視線を彷徨わせる精霊君。
状況を掴み切れてはいないが、取り合えずミィを宥めようとするチャチャ。「落ち着いて。深呼吸よ、深呼吸」とミィに言葉をかけ続ける。
「名前も分からないって、ほんと何なの……」
「僕だって知りたいくらいだよ」
「ま、まぁまぁ。二人とも落ち着いて」
三人の騒がしいやり取りをバックグラウンドミュージックに、もっともっと思考を巡らせるジーン。そして、閃いたのは、
「ミカ……それだ!」
突然のジーンの声に、皆が驚いてしまった。少し恥ずかしいという気持ちはあったが、それ以上に伝えたいという想いの方が強かったジーン。そのまま言葉を続けていった。
「ミカ、ミカだよ。今から君の名前はミカにしよう。どうだ?」
「ねぇ、どうしてミカなのか聞いてもいい?」
ミカ本人ではなくチャチャが聞く。他の二人も理由を聞きたくて、それぞれがジーンに視線をぶつける。
「その、なんだ。なんだか、神様からの贈り物って感じがしたんだよ。だから神を反対から読んでミカ」
実はパッと思いついただけで、音の響きが気に入ったからという理由もあったのだが、それは口にしないジーンであった。
「ミカ。僕の名前はミカ……うん! すっごい嬉しい! ジーンありがとっ!」
何度もその名を呟いて、そしてそのたびに笑ってくれている。そんなミカを見ているだけで、嬉しくなってしまうジーン。
ただ、ミカという名前はともかく、理由に関して思う所がある人もいるようで……
「か、神様からの贈り物って……」
「笑っちゃダメだよちーねぇ……」
「よし落ち着け、落ち着くんだぞ俺。誰に笑われようが、それでも本人が喜んでくれてるんだ。気にしなくていいじゃないか」
ぷるぷると身体をふるわせ、笑いを堪えている二人を見たジーン。一層に恥ずかしさが溢れ出すが、気にしないというふりをする。
笑ってる二人を気にしたら負けなんだ、と気持ちを切り替えようとした矢先。
「でも意外! 神様の贈り物なんて、背中がムズムズするようなちょっと恥ずかしいセリフが、まっさかジーンの口から出るなんてねっ!」
「ぶっふぉ!」
「ぶっふぅ!」
「……」
ミカの言葉でミィとチャチャが遂に吹き出してしまう。二人とも本人を目の前に、笑い死にそうなくらいキャッキャと笑っている。チャチャなんて、何度も手で地面をバンバン叩いていた。
よーく見ると、ミカも少し口元がプルプルと……
「ぷっ」
この時、初めてジーンは気付いた。
「このパーティーには俺の味方がいねぇ!」
つい心の叫びが出てきてしまったジーン。こんなことで心を乱していてはこの先心配だと反省して、身体も心も鍛えねばと気持ちを改める。
三人が笑って、ジーンが落ち込む。ジーンに言いたいことがあるミカであったのだが、ジーンの顔を見た後、笑いを堪えることが出来なかったらしい。
くるりとジーンに背を向け、ミィとチャチャに混ざってミカも笑いだす。
「あー、おもしろ。それで、契約っていうのはもう終わったの?」
笑いが治まってきたチャチャが、何も出来ず立ち尽くすジーンにそう聞いた。いじけていたジーンも、チャチャにそう言われて契約のことを思い出す。
「ミィ、ミカ、どうなんだ。もう、契約できたのか?」
笑いが落ち着きつつある二人に問いかけるジーン。
「えっとね、まだ出来てないよ。契約の仕方は、精霊によって方法が違うんだけど、ミカ君? は何すればいいのかな?」
「はい! それでは契約の儀を始めるね!」
契約方法を聞かれ、ミカは元気いっぱいに答える。ジーンと契約できることが嬉しいのだと、それだけで三人に伝わるというものであった。
そしてミカは目を閉じる。しばらくすると、ミカの魔力が高まっていくのを感じる三人。
「すごい……どんどん大きくなってく……」
チャチャが呟く。そしてミカは、徐々に召喚された時の様に光り輝いていく。
「なにこれ、こんな力の強い精霊なんて初めてかも……」
ミィは驚きのあまり口が開きっぱなしだった。
「それじゃあ、始めるね。僕との契約は誓いの口付け……ジーンお願いできるかな」
「えっと……ほんとにか? 流石に抵抗あるんだが……ミィ?」
予想していなかった事を言われて、少し動揺してしまうジーン。ミィに真偽のほどを聞いてしまった。
「ま、まぁ。そんな子もいたから、しょうがないんじゃないかしら」
そんなやり取りの間もミカは、今か今かとうずうずもじもじとしている。
「……覚悟を決めただろ。大丈夫さ、頑張れ俺……よし」
「……この姿じゃ嫌だった……? だったら、これならどうかな」
中々求めていたものが来ないので、心配になったミカがそう言った。
すると、先ほどまで何となく男の子っぽかった顔が、少女のものに変化していく。女神や天使のような、神秘的な雰囲気を感じる。絵に描いたような美しさがあった。
精霊だからなのか、ミカだからなのか。それもジーンには分からなかった。
何も分からない。契約して、自分にどんな変化が起きるのか。この精霊はどんな子なのか。何が好きで、何が嫌いなのか。何も分からない。
だからこそ、この出会いにワクワクしてしまっている。そのことに、ジーンはまだ気付いていない。
「いや、顔がどうこうの問題じゃなかったんだけどな……よし」
ジーンが覚悟を決めた。そして、徐々に二人の顔が近づいていく。
ミカがジーンの手を取り、一言呟く。
「ジーン……僕に合わせて」
その様子を恥じらいもなく、まじまじと観察する者。恥ずかしそうにして手で顔を隠し、しかし、しっかりと見えるように指の隙間から覗く者。
そんな状況の中で遂に二人の唇が重なろうかという時、突然光が強くなった。
「ちょ、何なの眩しい……!」
「これじゃ……見えないよぉ……」
二人とも目を開けられないまま時間が過ぎていき、そして光が収まっていく。
「契約は終わりっ。これで、いつでもジーンは僕を呼び出せるからね!」
ジーンの手を掴んだまま、ミカがぴょんぴょん飛び跳ねる。
ミカが少女の姿のままで、違和感しかない二人だったが、それよりも大事なことがあった。
「あの光は何だったの……!? 最後まで見れなかったんだけど!」
「あははっ。見られてたらジーンが集中できないかも、って思ったからね」
ミカとチャチャが言い争いを始めてしまった。そんなことでムキになるなよ、とジーンは思ったが口には出さない。
わざわざ自分から巻き込まれに行く必要はない。そうも思ったからである。
「詳しく教えなさいよね!?」
「やだよ~」
遂にはチャチャがミカを追い回し始めてしまう。機敏な動きでミカを捕まえようとするチャチャだが、それをするりと避けていくミカ。
無駄に高レベルな鬼ごっこが、そこに繰り広げられることになった。
そんな二人は無視して、ミィはジーンに話しかける。
「それで、契約して何か変わったかな?」
実は最後まで見れなかったのが、ちょっと残念だったミィ。しかし、それを表には出さない。いや、出していないつもりでいたのだが、ジーンにはそれが伝わってしまっていた。
そのことについては深くは考えないように決めるジーンである。
「……いや、魔力が上がったとか、力が湧いてくるとか、そういうことはないな。成功、してるのか?」
色々と魔法を発動させながら、以前と変わらないそれに不安になるジーン。
「成功はしてるよ。その証拠にほら。そのネックレス。ミカからのプレゼントだから大切にね」
ジーンの首に掛かっていたネックレス。それは仄かに光を帯びていた。
実はミィがチャチャに渡したものと、ほぼ同じ性質のものだったりする。
そして、契約のことをミィが説明していく。精霊と契約し、お互いがお互いを認め、尊敬しあい、時にはケンカがあって。信頼した二人の繋がりが太く、強く、しなやかになるほど、発揮される力が変わってくるらしい。
「今のままじゃミカの力を十分に扱いきれない、ってことか。まだまだ先は長いな」
足し算ではなく掛け算。精霊の力はそういうものだと、ミィが説明を加える。
「どれだけ強くなれるのか、少し楽しみだな」
ハッキリ言ってここ数年は、魔物との戦闘で苦い思いをしたという記憶がないジーン。正直、これ以上の強さを求めてはいなかったのだ。
しかし、魔力制御や魔力量が原因で試せないことも多くあった。もっと自分に力があったら、と何度も感じたことはあったのだ。
そして今、新しい力の扉が開いたことで可能性が一気に広がった。もしかしたらあれも、もしかしたらこんなことだって。やりたいこと、やってみたいことが溢れて止まらない。
そんなことを考えていたジーンだったが、ミカの声で我に返る。
「じゃあ、僕はもういくね。ちょっと疲れちゃったから……また明日!」
何かから逃げるように、ミカがぽふっと消えていく。
今のジーンはこれからのことで頭がいっぱいだった。だからこそ、鬼のような形相でのそっ、のそっと近づいて来るチャチャに気付くことが出来なかった。
角度的に、ミィがいち早くそのことに気付く。
「あ、あははー、今日もいい天気だなぁ」
そう言って、自然にジーンから遠ざかっていくミィ。
自然も不自然もない。誤魔化し方が非常に下手、下手過ぎるミィであった。
「は? 急に何を……!?」
ガシリッ
「ちょ~っと。お話しを窺っても?」
鬼に捕まった瞬間である。言及されれば恥ずかしいというもので、一切を口にしないジーンであった。
こんな時間でさえ、少し楽しいと感じてしまう。随分と独りだったのだ。必要以上に気を遣わない存在ができて、楽しく笑ったり怒ったりする。
そんな時間が、今はとても大切に思える。だからこそ絶対にやり遂げたいのだ。
未知の存在を知り、この先どうなるのかも分からない。具体的な解決法も、今は見つかっていない。それでもやってやると、そう思えた。
2019/11/29追記
チャチャが最初からミカが見えていた部分が不自然だったので、そこを修正。
誤字脱字、話の流れを修正。
ミカの口調が気になったので、敬語を使わないような方向で修正。