第百三十八話 経験済み
空気を震わせる影の激動。その影響か、もとより古いだけなのか。
白い石が磨り減った際に発生した、目には映らないほどに極小な砂ぼこり。時折に舞って揺らめき、静かに重力に引き寄せられていく。
乾いた匂い。ただ、目に見える風景が純白なせいなのか。それすら上品な物に錯覚させられるような、白い匂い。
ただ、それらがジーン達に届くことはない。
阻むのは仄かに甘く、重い匂い。小腹をつつく可愛らしい、軽やかな。跳ねるような空気。
脳を奥まで蕩けさせるのは、それらのもの。
「まぁ、細かいことはいっか。とにかく、僕はそれで未来について知ることができたんだよ」
詳しい内容に関しては説明しない方向で話を進めていくリィである。細かく説明している時間は無いという判断と、面倒くさいといういい加減な気持ち。割合的には2:8くらい。
未来が一様にして崩壊する運命にある。その事実を知ったものの、だからといって自分に何ができるというのか。未だ子供であったリィとて、全てを解決できる力があると思いあがることはなかった。
いくつもの世界が無駄に散っていった。ということは、そのいくつもの世界の自分も失敗したという証明に他ならないからだ。
なまじ利口であったからこそ、一人絶望に落ちていったのだった。
「どうして相談しなかったんだろうね」
当時のリィは、何をしても無駄だと早々に諦めてしまったのだ。父にも、母にも。誰にも打ち明けることなく、いつ訪れるかも分からない終わりに怯える日々。
それからは楽しいと感じることも、嬉しいと感じることもなくなっていた。
何をしても無駄だから。
知ってしまったからこそ、何もかもを心の底から向き合うことができなくなってしまったのだ。
「それで、立ち直ったきっかけはなんなんだ?」
「簡単なことだよ」
妹が生まれたから。
彼の希望となったのは妹の存在だった。
初めて見た時の記憶は、既に霞んでいて鮮明に思い出すことはできない。また、その時の記憶を無理に思い出そうともしない。
一際に大きな希望に出会えた。その事実だけで十分なのだ。
ぷにぷにだったんだろう。温かかったんだろう。良い匂いがしたんだろう。
ただひたすらに、可愛かったんだろう。
「妹のおかげで、僕はまた前を向こうって思えたんだ」
なんとしても守りたい。
そんな存在ができたのだ。俯いて生きている暇はなく、火山噴火のように噴きあがる生気に突き動かされるままに動き出す。
妹が生きている内に世界が崩壊する可能性が僅かでもある以上、その未来を放っておくわけにはいかない。
「星導神を呼びだしたのは、ジーンの助言があったから。星を導く存在がいるのかもしれない、って推測があったからさ」
どういった経験から、その答えを導いたのかは記されていなかったが。
ミィと過ごした十数年。いくつもの試行を重ねて、いくつもの思い出を作って、いくつもの苦悩を乗り越えて。
たった一度の裏切りを経て。
「この世界はね。一度崩壊が起きてるんだよ」
「嘘はめっ、なのですよ? うーちゃんは知らないのです。つまり、起きてないってことなのです」
全てを知る権利を持つ創造神。その自分が把握していない過去など、嘘だと断定できる作り話でしかない。
もしも、本当に世界が崩壊する事態になっていたのなら、どうして気付かなかったのか。起きていないのだから、気付くも何もない。という結論に至るだけ。
「嘘、だったら良かったんだけどね」
「……説明するのですよ」
認められない話だとしても、うーちゃんは聞く姿勢をやめることはなかった。
止むことのない雨のような影の勢い。ゴリゴリ削られていくミカの魔力。共にげっそりとこけていくジーン。仕方なしに、自らの魔力を貸し与えるチャチャ。ミカのサポートに入るイッチー。
難しい話にうんざりだと、防壁の外へと抜け出すソチラ。ちょっと食後の運動に……と、軽い感じで飛び出していく。それを追いかけたい気持ちを抑え、うーちゃんの隣を離れられない使命感を優先するタマであった。
こっくり、こてん。ふわふわ、ぽてん。小さく口を開け、睡魔と奮戦格闘中の夜桜。マインヴァッフェの調整を終え、クッキーを楽しむエル。
「崩壊が起きた原因は僕も知らないよ。でも、実際に崩壊は起きた。僕はそれを止めるために星導神を呼んだんだ。崩壊を防ぐには、星導神の力が必須だからね」
「……力を使ったから、眠りについた。ってことか」
「ご名答」
「でも、星導神の力だけじゃ足りなかった。本来、崩壊しないために世界を導く役割しか持ってないからね」
「神の力でも足りない……?」
しかし、それは既に想定済みの状況だった。ジーンが遺した情報にも記されていたからだ。
ただ、それを解決するための方法までは情報がなかった。書かれていたのは、その状況になった時点でゲームオーバーなんだという消極的な言葉だけ。
「だから僕は必死になって考えたよ」
当初のリィは星導神を呼びだす力がなく非常に焦っていた。条件が揃わなかったのか、そもそも星導神など存在しないのか。
星導神を呼びだして万事解決! とはならなかったため、あーでもないこーでもないと繰り返す日々が続いていた。
星導神を呼び出す方法。もしも崩壊が起きた時、それを中断させる方法。
「どうして彼女を呼べなかったのか分かる? 答えは単純。神だったからさ」
「どうして、神だと呼び出せないんだよ」
「それはねぇ、君たちが言う唯一の能力について話さないといけないねぇ」
元々唯一の能力というのは世界の力。この星が本来持っているはずだった、自然と呼ばれるはずだった現象。
それが、何かをきっかけにして星から失われていった。代わりに、人や精霊、もっと言えば動植物がそれらの力を持つようになっていったのだ。
一言で言えば、唯一の能力は元々神の力の一部であるということ。
「それこそ神が世界を弄りまわした結果なのではないか。って、ジーンは考えてたみたいだね」
「……うーちゃん、むずかしーお話しは分かんないのです」
「えっと、思い当たることが?」
「え~? なんのことなのです? うーちゃん何もしてないのですよ」
思い当たる節があり過ぎてあたふたするうーちゃんである。なんとか誤魔化そうとすればするほど、疑いが確信へと変わっていくだけであった。
「……ありゃ? そういや昔、うーちゃん言ってなかったっけか。気に入らないことは変えていったってな」
「……そーんなこと、ないのですよ?」
ここぞとばかりに可愛さアピールで乗り切ろうと奮闘するうーちゃん。もはや可愛さというよりも威圧の方が上回ってきてしまっている気が。
ジーンやチャチャ達は変わらず何も言わないが、ティティやタマ、リィには全くもって効果なしであった。
「うーちゃん。ごめんなさい、しよ?」
「う、うーちゃん悪くないのです!」
「わざとじゃねぇのは分かるけどよ……」
「ティティまで……」
意図してやってきたことではない。世界の崩壊を望んだわけでもない。
にもかかわらず、責められることに寂しさと胸に刺さる辛さを覚えるうーちゃん。先程までの笑った顔は消え表情に陰がかかる。
だったら、自分のしてきたことは全て間違いだったのか。たった独りで生きていくことが正解だったとでもいうのか。
人というのは、基本的に他人には興味がない。うーちゃんを知らない人間からすれば、それで世界が救われていたのならうーちゃんに孤独だろうが関係ない。と、そう言葉にするだろう。
犠牲があれど、自分達が満足できる結果になるのならその犠牲すらも許容する。
「ご、ごめんってば。そんなに落ち込まなくていいって」
タマとうーちゃんとの間で、この話題に対しての重要さに大きな差があったのだ。タマは初めて見るうーちゃんの表情に焦ってしまう。
いつものように笑って言い返してくるかと思えば、深刻な顔で空気が重くなっていく。そこで自分は間違えたのだと、反省することになったのだった。
と、暗く重い空気になってもティティの様子は変わらない。
「今更、んなこと気にすんなよな」
「そう、そうだよ。うーちゃんが悲しんでたら、私達も悲しくなっちゃうよ」
一度落ち込んだ気持ちが、再び元気を取り戻すには時間がかかる。タマやティティの言葉は嬉しいが、それで全ての悩みが消えることはなかった。
私が独りを貫いていれば。原因が自分にあると知ってしまったら、そう考えずにはいられなかったのだ。
「ままま、結果的に僕たちがこうして出会うことができたんだ。為す術なく崩壊に至るよりもよっぽど良いよ。うーちゃんがやってきたことは、正解そのものだったって言えるね」
自分の発言で場の空気が乱れたことを悪く思い、全力でフォローに回るリィである。
崩壊の原因がうーちゃんにあろうとなかろうと、最終的に解決できれば問題無い。意図して崩壊へと導いていたわけではないので、うーちゃんには罪はないと判断するリィであった。
無理やりにでも逸れ始めた話を戻すために、リィは続けて話始める。
「んー、それでね。その借り物の力じゃ、神を呼び出すには至らなかったってわけさ」
「でも、結局は呼び出せたんだろ?」
「まぁ、偶然みたいなものだったけどね」
世界が崩壊していくということは、神の力が崩壊していくに等しい。
リィ自身が神の領域へと近づいたわけではなく、神自身がリィの手が届く範囲へと近づいていっただけであったのだ。
世界の崩壊のおかげで、神を。星導神を呼び出せるようになったとも言える。
「彼女が神から堕とされた存在になったからこそ、僕の顕現の力で呼び出すことができたんだよ」
もしかしたら大きく変更あるかもです。ないかもです。