第百二十九話 それは懐かしく
気持ちが、心が救われた。だから皆満足するだろう。
「そんなわけがない」
イッチーは一人呟く。誰に反応してもらうつもりもなかった。
「あなたは、不満?」
少女はぬいぐるみを片手に抱え、反対の手は一人の男と繋がせていた。どちらも見覚えのある、よく知る人物。
勘違いの可能性はないか。前の景色を否定したくなるイッチーであった。
「納得は、できない」
「彼女が救われたのに?」
ジーンがチャチャの命を奪うことはなかった。その結果は果たして最善だったのか。何一つそうであったと確信できる要素がない。そうイッチーは感じてしまったのだ。
「……本当に救われたのか? あいつが世界を壊す。その可能性がなくなったわけじゃない。もっと言えば、破滅に導く可能性の方が圧倒的に高いのは、変わっていない」
「ふふっ、あなたにはそう見えるのね」
何がおかしいのかイッチーには分からなかった。チャチャが望んだのは、ジーンによって命を奪われる未来。世界の崩壊を防ぐために自分の幸せを捨てたのだ。
それが最善。それ以外は悪であると、彼女はそう判断していたのだ。
「あの場に居なかったから、仕方ないのね」
「何を知ってる?」
「彼の力。全てを意味のあったものへと昇華させ得る、夢のような力」
笑っているのか、小さく目を細める少女。隣に立つ男と互いに視線を交わし、再びイッチーへと向き直る。
「そんな力が本当にあるか? あいつ自身でさえ把握してないのにか? どうしてそこまであいつを、その男を信じられる?」
小さな姿をしたチャチャ。見慣れた姿のジーン。イッチーは目の前に立つ二人へと質問を投げかける。
「守るって、約束してくれたもの。それだけで、十分」
「…………」
「ま、そんな言葉じゃお前は納得しないよな」
するわけがない。やれやれと、呆れたようなその様子がイッチーをイラつかせる。
「そもそも、二人はなんなんだよ。夢か? 幻覚か?」
「いいえ、私は私。彼は彼よ」
「答えになってないんだが」
「すまんな。久しぶりにお前に会えたもんだから、こいつも舞い上がってんだよ」
「ふふふっ、ジーンってば冗談が上手なんだから」
知っている二人だが、違和感しかない。チャチャの話から推測すれば、目の前の二人はこの世界、自分の知る世界とは違う道を歩んできたジーンとチャチャなのだろう。と、そう判断するイッチーであった。
その時取った行動の少しの違い。それが大きなズレとなって全く違う結果となる。それは違った歴史を進んできた世界と言える。同じ人物でも、考え方や見た目が変わってくるのは当然なのだろう。
別世界の住人であろう二人は、ただ言葉を並べていく。まるで全てを理解できるのが当たり前だというように、淡々と話だけを進めていく。
イッチーが口を挟んでも、ちびチャチャは薄く笑って聞き流すだけ。何かとイッチーをいじるように話すのも、狙ってやっていることだろう。
「私達の世界も、あなた達の世界も。辿り着く先は同じ。姿形は違えども、世界の破滅という終着点は同じなの。不完全な世界の結末は、変わらない」
「起きた時期、起こした人物の違いはあるけどな」
「長く続いた世界もあれば、私達が生まれる前に崩壊した世界もあるの」
「……だったら、俺らが何をしても意味はないってか? 結果が変わらないから、好きなようにさせるべきってことかよ!」
イッチーはちびチャチャの身体が強張っていること、心なしか表情が暗くなっていることに気付く。
「……すまん。怒鳴っちまった」
「いいの。怒れるのは、あなたが諦めてないってことだから」
触れれば消えてしまいそうな、崩れてしまいそうなほどに弱弱しいちびチャチャ。そんな彼女を見ていると心が痛い。そう感じるイッチーであった。
「大丈夫よ、安心して。あなた達のやってることが無意味? そんなわけがないじゃない」
「最後まで全力で足掻け。そうすりゃ掴めるはずさ」
その想いは、限りなくイッチーの背を支えるものだった。まだ具体的な方法など何一つ聞かされていないが、二人の言葉、表情、迫力には沢山のものが詰まっているのだと、イッチーは胸が熱くなる。
「……ひとつ、聞いていいか?」
「ダメって言ったら諦めるのかしら」
「あーもー分かったよ。確かめた俺が馬鹿だった。じゃあ聞くが二人は、その、この世界の破滅を止められなかったんだよな」
「そうなるわね」
躊躇うことなく、イッチーの問いに答えるちびチャチャ。
その姿からはおよそ負けたという事実を何とも思っていないかのような。それがどうしたの? とでも言いたげな様子であった。
目の前の二人は全く動じることのない状況に、戸惑ってしまうイッチーであった。
「どうして……笑っていられるんだよ」
「笑える理由……? さぁ、どうしてかしら」
「…………」
「ふふっ、冗談よ。そんなに怒らなくたっていいじゃない」
ちっとも話が進まない。そろそろ本気で怒ってもいいんじゃないかと、そう思い始めるイッチーである。
「私が、私達が笑えるのは希望が消えていないからよ」
「希望……?」
何もかもが終わってしまったこの世界に、どんな希望があるというのだろうか。取り返しのつかないこの世界には、まだ救いがあるのだろうか。
いや、無いはずだ。そんなものあるわけがない。
「困ったことにあるんだよな」
イッチーの気持ちを読んだのか、別世界のジーンがため息交じりにそう答えた。
「誰かが助けに来てくれるってか? それとも過去からやり直せるってか? どんなインチキを隠してんだよ」
「ふっ、相変わらず頭固いのね」
「あんだとぉ?」
「助けも来ないし、やり直す方法もないわ」
「……だったら何があるんだよ」
早くこの謎の解いてみてよ。ちびチャチャはクイズを出しているかのように、イッチーの悩む姿を楽しんでいた。もっとも、イッチーとしては別に自分自身で真実を見つけたいわけじゃないので、鬱陶しいだけであったが。
早く答えを教えてくれと、うんざりとした様子でちびチャチャの次の言葉を待つ。
「私達の希望はあなた達よ」
自信満々に言い切るちびチャチャ。その小さく胸を張っている姿は、どの世界でも似たようなものなのだな。と、この状況でそんなことを考えてしまうイッチーであった。
「俺達? 冗談もいい加減にしろよ。そんな力は無ぇぞ。そもそもお前ら二人でも無理だったんなら、俺達でも無理だろ。別の世界と俺達の世界なんて大した違いは無ぇだろ」
「困ったことに、それがあるんだよなぁ」
「この世界のジーンいつも困ってんな……じゃなくって、あるのかよ」
我慢ならずちいさくツッコミを入れてしまうイッチー。「やっと調子も戻ってきたみたいね」と、ちびチャチャに笑われてしまうのであった。
誰か代わりに説明を聞いてくれ。そんな泣き叫びたくなる懐かしい感情を押し殺し、絶対にその感情を二人に見せないように務めるイッチー。一度深呼吸をして、心を落ち着けるのであった。
まぁ、二人にはバレバレであったが。それは言わぬが花。二人もわざわざそれを伝えることは――
「ふふっ、可愛い」
「わぁぁぁぁ!」
ちびチャチャは我慢できなかったみたいだね。