第百二話 かつての英雄
少し時間は戻り、ジーン達が穴に吸い込まれた頃。
町を抜け出すことができた二人は、無事に調査ポイントに到着していた。
「ここで合ってるよな」
「ジーン達はいないね」
着いた先には、瓦礫が幾つも転がっているだけ。
見通しが良い訳ではないが、ジーン達の魔力反応が無い。そのことから、近くには誰もいないと判断するしかなかった。
既に日は落ちて、辺りは真っ暗になっている。野宿をしているのならば明かりくらい見えるだろうし、どうしたものかと頭を悩ますことになった。
「せっかくだし、私達だけで調査しちゃう?」
周辺には強力な魔物の生息地はない。たとえ戦闘になったとしても、十分に対処できるという自信が二人にはあった。
調査といっても、具体的な指示はされていない。妙な場所や魔力反応が無いか、適当に確認をするつもりだったソチラ。
何もしないで帰るのは時間が勿体ない気がしたため、タマの提案を受け入れることにする。
「今日は時間を無駄に使っちゃったからな。少し頑張ろうか」
「じゃあ、あっち見てくるね」
足首程にまで伸びた雑草を踏み荒らし、ソチラは調査という名のお散歩を開始する。
最初に向かったのは、背丈ほどの高さまで積まれた石が集まっている場所。夜桜とジーン達が出会った場所でもある。
建物の壁だったのだろうと推測はできるが、今にも崩れてしまいそうな程に古くなっていた。
「……ん? これは、何て書いているんだ?」
何気なく拾った瓦礫に、違和感を覚えたソチラ。
汚れかとも思ったが、タマに聞いてみようと判断する。頭の隅に調査の文字が残っていたため、普段より用心深くなっていたおかげであった。
「なぁタマ。これどう思う?」
「は? そんな汚い物持ってこないでよ」
辛辣な返しには慣れているソチラ。この程度では折れることは無い。
「いやいや、何か書いてあるんだってここ」
「目、腐ってるんじゃない? 大丈夫? お医者さん行く?」
こんな言葉もなんのその。ソチラにとっては日常会話レベルである。慣れとは怖いものであった。
「あ、分かる? 最近遠くの物が見づらくなってきてるんだよな……」
「……今も?」
「いやまぁそうなんだけど、問題ないかなって」
「この馬鹿っ! 後々もっと酷くなったらどうするのよ! ちょっと見せなさいっ」
言葉はとげとげしいタマではあるが、ソチラを蔑ろにしている訳ではないのだ。
今も目の病気を心配し、その場で検査を始めるくらいにはソチラの事が大事なのである。
「ちょっとタマ。今じゃなくても」
「馬鹿は黙ってて」
「…………」
瞼の上から指を置き、魔力を指に集中させて異常が無いか丁寧に確認していく。
目に仄かに熱を感じたため、ソチラは大人しく待っていることにした。
こんな真似ができるのは、契約した精霊だからではない。タマ自身の能力によるもので、長年の経験、確かな知識、観察力、絶妙な魔力制御のおかげであった。
「ホント馬鹿。心配して損しちゃった」
「……と、申されますと?」
「あーやめやめ。今日はオシマイね。町に戻って明日にしましょ」
説明をすることも無く、タマはソチラにそう告げる。
問題だったのは疲れ。目だけでなく、身体中に疲れが溜まっていたソチラ。
タマと契約して以来、修行に訓練に鍛錬。パートナーが優秀であったために、多少の無理をした時もあったのだ。
自分に足りない能力を底上げする為の努力を近くで見ていたのは、他の誰でもないタマである。
「明日もこっちの調査はジーン達に任せて、私達は町でお仲間探しね」
仲間探しは建前である。本音は気分転換や休息をさせたいだけであったタマ。
作戦? 任務? そんなもの関係なかった。その決断から見ても、タマの中での優先順位が分かるだろう。
「いや、調査は人数が多い方が」
「ダメ、絶対ダメなの! 絶対ったら絶対なんだからねっ!」
二人の会話はそれで終わりとなった。
ソチラが何も言い返さなかった訳ではない。タマが言葉を続けなかった訳でもない。
ぱっくりと闇が口を開け、その場に居る全てを飲み込んだ。真っ黒な半球は、そのまま地面の中へと潜りこんでいく。
ジーン達を飲み込んだ闇と同じく、ソチラとタマも逃げることは出来なかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「おいっ、どういうことだよ!」
「あら? おしゃべりの時間は無いわよ?」
「おわぁっ!?」
闇に飲み込まれた後、ソチラ達は一人の女性に出会っていた。
「なんだよここ!? 真っ暗だし、急に襲われるし!」
「説明ありがとう。でもほら、ほらっ、ほらほらっ! 隙が多いわよ?」
ただ、それが良い出会いであったのかは、今の状況を見れば分かるだろう。
会話をする暇もなく襲い掛かってきた女性に、防戦一方のソチラだった。
「タマも急にどうしたんだよ!」
「…………」
初撃はタマのおかげで防ぐことができたが、以降は全く戦闘に参加してこない。ソチラ一人では、反撃することさえできずにいた。
そうこうしている内に、彼女の攻撃がソチラのガードを抜ける。
「これで、終わりよっ!」
二メートルはあるだろう大きな剣が、ソチラの身体に吸い込まれていく。
「ぬわぁーーーー!!!」
万策尽きたか、恐怖でパニックになってしまうソチラ。
もうあとは流れに身を任せることしかできない。身体は彼女の動きに対応できず、頭だけが妙に働いている。
一瞬が何秒にも感じ、目の前の出来事を徐々に受け入れていく。
ここで死ぬんだな。そう諦めて、最後の足掻きすらしない。
「……? あれ?」
思考が正常に戻った時、急速に鼓動が早くなり汗も溢れてきていたソチラ。
「勝手に諦めてんじゃないの。しっかりして」
少し離れた場所には、恐怖の象徴となっている女。すぐ隣には希望の象徴である契約者。
救われたのは命だけではなかった。一度は諦めた生への道。もう一度立ち上がる勇気を貰うことになった。
「私がいるんだから。そう簡単に殺らせる訳ないでしょ?」
手も足も出なかったソチラを背に、タマはそう宣言する。
「言ってくれるじゃない」
一瞬で距離を詰められるが、全く焦りを見せないタマ。それは、敵の動きについていけないからではない。
タマの目は確実に女の姿を捉えていた。
女は自分の動きが完全に見切られていることを不気味に思い、一瞬武器を振るう手に迷いが生じてしまう。
その隙を見逃すことなく、タマは反撃に出る。
「っ、くそ!」
「ふーん、その程度で私に勝てるとでも? 赤ん坊からやり直したらどう、おばさん?」
理性が吹き飛ぶとはこういったことなのだろう。
タマの一言に、先程感じた不気味さなど忘れて二人に突っ込んでいく女であった。
目に赤い光が灯り、怒りの感情をあらわにしている。完全に二人を殺すことだけを目的とした殺戮者が、再びタマの目の前に現れる。
「だめ、話にならない」
タマに吹き飛ばされ、再び女との距離が遠くなっていく。
何度も地面を跳ねた後、ようやくその勢いが止まった。女はゆっくりと立ち上がり、再び戦闘態勢に入る。
「ってことで、後は任せるね」
「ふぇ?」
実家にでも帰ったかのように気を抜いていたソチラ。
タマの言葉をすぐに理解できない。
「お休み貰う前の最後の任務。サポートはするからあんたが倒すのよ」
「いやでも」
敵は二人の打ち合わせを待ってくれない。
「来たよ?」
「のわぁぁ!?」
女の攻撃を寸前で防ぐことに成功するソチラ。そしてその後の攻撃も防ぎ、隙をついて反撃することにも成功した。
この事実に、ソチラ自身が違和感を覚える。
「さっきより、動きが……?」
「このガキ……なに、どういうことっ!?」
ソチラが彼女の動きに対応できている。しかし、それはソチラが急に強くなった訳ではない。
先程のサポートというタマの言葉。それが答えであった。
「ちょっと結界を張っただけよ。特別な結界を、ね?」
何をされたのか理解をした後、急に女の様子が変化する。
「……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だっ。そんなハズはない!」
「あ、やっと気付いたの?」
二人の会話に全くついていけないソチラ。はてなマークを頭に浮かべ、ただ聞くことしかできない。完全に蚊帳の外である。
「だって、そんな……純霊はあの方が滅ぼしたんじゃなかったの!?」
剣を振るう手を止めることなく、女とタマの会話は続く。
ソチラとの戦闘は、僅かにソチラが有利に進んでいく。
「確かに、私達の仲間は皆死んじゃった。でもね、五人は生き残ったの」
「はぁっ! ……でも、たった六人だけならいいわ。私がここで死んでも、私達にはあの方がいるんだから問題ないわね」
ダメージ覚悟の一撃も上手く決まらず、女は一旦距離を離す。
女の言葉を聞き、タマは心底呆れてしまう。
「はぁ、もしかして知らないの? あぁ、それも無理ないか」
「何のことよ」
タマの言葉を聞き、イヤな予感がしてしかたがない。聞きたい気持ちと、聞きたくない気持ちが半分ずつ。
もしかしたら。自分の勘が外れてくれと願うばかりの女であった。
「あなたはどれだけの時間封印されていたのか分かる?」
「……五年」
「五年ねぇ、本気で言ってる?」
「…………」
「あなたが封印されてから、もう数千年の時が過ぎてるのよ」
女はその言葉を受け入れることができない。驚くとか、そんなレベルではないのだ。
数千年。自分の生きた時代から数千年後の風景を想像できるだろうか。
数年、数十年の時間でさえ、目まぐるしく変化する世界である。数千年など夢物語の範疇で語るしかなくなるだろう。
「そんなもの信じられない!」
勢いの乗った一撃を上手く逸らし、反対に傷を負わせるソチラ。
落ち着けば対処できるのだ。ソチラが力を十全に発揮できるのなら、この状況なら負ける要素は少ない。
しかし、簡単に負けてくれるような相手でもなかった。
「っ、まだ早くなるのか!?」
疲れを知らないのか、時間が経つほどに女の動きが早くなっていく。
「あ、言い忘れてたんだけど。この結界って時間制限がついてるから、早く倒さないと駄目だよ?」
「それを早く言ってくれっ!」
言っていたところで結果は変わっていなかっただろう。全力を持って対処して、それでも倒せなかったのが事実である。
しかも、時間が経つほどにソチラは疲れるが、敵は力を増していく。
既に有利不利が逆転し始めていた。
「ははっ、あなたも馬鹿ね! 一緒になって私を殺してれば良かったのに」
「あなたこそお馬鹿さんなんじゃない? 私はいつでもあなたを殺せるの。訓練相手に丁度いいから、こうして戦わせてあげてるだけだよ」
タマの言葉を信じることは無い。自分の命が既に握られているだなんて、納得できるはずはなかった。
この結界さえ無くなれば、後はなんとかなる。そう信じて女は戦い続ける。
しかし、思うように戦いを進めることができない。何故、どうしてという気持ちだけが増幅していく。
自分の力は戻ってきているのに。
身体を守っていた鎧が破損していく。アップヘアにまとめられていた髪が解ける。頬に一筋の傷ができる。
「どうして貴様を殺せにゃい!」
「にゃい、だって! 戦いながら喋っちゃダメだよ?」
女は激しい戦闘と焦りから、平常心とは程遠い錯乱状態に陥ってしまっていた。
戦闘能力では確実に上回っているはずなのに、ソチラを押し切れない状況が続く。
「ごめんね、あなたにも事情はあるのは分かってる。でも私にもやらなきゃいけない事があるの」
「俺も、ここで死ぬ訳にはいかないんだ」
ユラユラと、ソチラの身体から黄金の光が立ち昇っていく。
「貴様……そう、そうなんだな」
「分かったかしら? これでもこの馬鹿は、かつて私達純霊と共に戦ってくれた一族の子孫なの」
結界は既に消え、純粋な戦闘力での戦いになっていた。
両者共に傷つき、血を流した。互角の戦いだ。最初は手も足も出なかったソチラだったが、女と同等に戦えるようになっている。
「それも、限界突破の血筋よ」
「……純霊に越血か。初めから勝ち目は無かったということね」
悟ったような顔をする女。ようやく納得がいったと、逆に気が楽になったようだった。
「まあ、それで諦める私でもないんでね」
キリとしたツリ目に、改めて赤い光が灯る。
長く揺れる髪を、改めてまとめ上げる。
首に下げられた指輪のような物を握りしめ、長く祈りを捧げる。
「ありがとう。さぁ、とっておきを見せてあげる」
そう言って、女は右手を突き上げる。
「これは……」
「流石は四帝ってことね」
とぐろを巻くのは彼女の赤龍。彼女の守護神である意志ある赤龍。
巨大という一言では足りない程に、圧倒的な気迫を誇るその存在。
自然を相手にしているかのように、底など計り知れないその存在。
『我が子に仇なす愚か者よ』
『我が命尽きるまで』
『存分に』
『その選を悔いるがよい』
雷炎が迸る炎獄の渦。
無数の炎刃がソチラを焼き尽くさんと押し寄せる。
両手では足りない。
「剣・三刃」
炎刃がソチラの身体を焼く。
「剣・四刃」
まだだ。
「剣・五刃」
まだ。
「剣・六刃」
足りない。
「剣・七刃」
足りるはずがない。
「剣・八刃」
もっとだ。
「剣・九舞」
限界など関係ない。
「剣・壱零舞」
宙に舞う八つの剣と両手に持つ剣を操り、際限なく湧いてくる炎龍の猛攻を凌ぐ。
しかし、計十本の剣でも全てを防ぐことはできない。
腕が、頬が、脚が。防ぎきれなかった炎刃に焼かれていく。
既にソチラの体力は限界が近い。魔力も底をつきかけている。それでも、諦めることはなかった。
限界など関係ない。
カチリと、ソチラの中で鍵が外れる。枷が外れたと言ってもいい。隠されていた真の力の一部が解き放たれる。
「黄金騎士、エルドラド再臨ね」
「舐めないで。この馬鹿はあの英雄を超えるんだから」
「……そう。それが見れないのは残念ね」
「ふふっ、安心して。呪いから解き放たれれば、好きなだけあの世で見物できるから」
「あなた達の教えね。それは、とっても楽しみだわ」
果ての無い炎獄の中。黄金の光は一層に輝きを増していき、今ここにかつての英雄が顕現する。
「奥義・夢幻刀舞」
御仕舞い。
炎龍とソチラの戦いに決着がつく。炎龍は消え、倒れた女だけがそこに残る。
「……王国はどうなったの」
「もう無いわ。あなたが封印されてから、すぐにね」
「レイカは、ジュゼはキシュ―は」
「皆死んだか封印されたよ。まぁ、こっちも残ったのは私とお姉ちゃんだけだったけどね」
「…………あの方は」
「私のお姉ちゃんに封印されたわ。純霊隊隊長って言えば分かるかな」
「……ティティ・リィリィ、か」
「そう。エルドラドの契約者にね」
「だけど、知らなかったな。ティティ・リィリィに妹がいたなんて」
「まぁ、意図的に隠されていたしね。しょうがないよ」
文字通り命をかけた死闘。女の死は近い。
「この身体を持って生まれたことを憎んではないけど、何だろうね。何だか悔しいよ」
「あなたも自然の摂理に従って存在する命。必要だったから生まれたのよ」
「役割を、果たせた、のかな」
「うん、大丈夫。私が、私達があなたの死を無駄になんてさせないよ」
「……あり、がとうね。あぁ、なんだか。……安心したら、眠く、なって……」
「おやすみなさい。ゆっくり、休んでいいんだよ」
「そう、させて……もらうね」
「さようなら、アスカ」
「…………」
炎龍帝アスカ。
彼女の最期は、静かに。
彼女は最期に笑って。
炎龍に抱かれ、静かに消えていく。
寂し気な炎龍と共に、永遠に。




