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聞こえ方が違う、ということ

 聞こえ方が違う、ということは、『世界』 の 『見え方』 が違うことなのだと、小説を書き始めたとき思いました。


 例えば、アスファルトの道を歩くシーンを私にとって分かりやすいように書こうとすると、こうなります。



 コツ、コツと靴底がアスファルトを踏みしめる。時々ガッ、ジャッという音が混じり、整備の適当さにため息が出た。



 はい、どこの辺りで道路が整備が適当だと思ったのか分かりにくいと思います。でも、私からすると整備の適当な道路はこんな感じなのです。ちなみに、音の聞こえ方は普通な友人は道路の整備状況は見れば分かるそうです。


 これの何が困るか、というと、小説を書くというだけではなく、普段の会話でも話が通じないことが出てくることです。

 実際にあったことだと、ブラウン管テレビの時代、学校で、画面は真っ黒でしたが、音がしていたのでテレビの電源がついていると先生に指摘したところ、ついていない、と不機嫌にさせたことがあります。後でテレビをつける時に逆に電源を落としてしまったので、私の指摘が正しかったと感心されましたが。


 これだと笑い話ですみますが、家電製品の調子が悪い、だとか、車のギアがドライブになっていない、だとか、場合によっては善意からでも相手を不快にさせてしまうことを言う可能性がありますし、させたことが多々あります。


 元々アスペルガー症候群で相手の感情が読みにくいので、余計な苦労をしました。

 それも良い経験だった、と思うことにしていますが。

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