021 藍より出でて
この世界は小説で、私が主人公だ。
そんな馬鹿馬鹿しい考えがたびたび頭をよぎる。
四月、晴れて高校二年生になった子安貝つばめは教室の机に頬杖をつきながらぼーっと考え事をしていた。
新学期になり、クラス替えが起きたが学年一の問題児と優等生は同じクラスになるのが常らしく、そこには見慣れた顔があった。
まだクラス委員長も決まっていないのに入学式会場への移動の指揮を執り始めた伽倶夜を見て、だらけ切った口調で言う。
「内申点稼ぎ?」
「違うわよ!」
「そんなに良い大学行ってどうすんのさ? 政治家にでもなるの? 女性の社会進出とか訴えるの? 止めときなよ、ああいうのはブスが自分の心を慰めるためにやるもんだよ」
直後、しぱーんといい音を立てて、伽倶夜の手の平がつばめの脳天をひっぱたく。
何故叩く。受け取りようによってはお前はそこそこ美人な方だと言っているのに。
ぶつぶつと不平を言っているつばめは襟をつかまれて、体育館へと連行されていった。
あぁ、じゃあ外見を悪く言うときは「お前って女性権論者みたいな顔してるよな」って言えばいいのか、などと思いついて一人でニヤニヤと笑う。隣のパイプ椅子に座っている女生徒が気持ち悪そうに距離を取った。
中々良い悪口を思いついたな。一つの言葉で二つの対象に攻撃している。でもまだ足りないな。
あの人だったら、■■■先輩だったら三つも四つも馬鹿にして見せたろうに……。
まただ、とつばめは溜め息をついた。
今年に入ってから何度も、自分がこうありたいものだと思うたびに、何か頭の中にノイズのようなものが走る。
本当に今年からだったか、それとももっと前からだったか、あるいは昨日か、それよりもっと最近か、そのどれでもなくて同時に全てのような気がするなど、春の陽気のせいで頭に虫でも湧いたのかしら、と思わずにはいられない。
頭をぺたりと撫でてみても、そこにあるのは触り慣れた自分の髪と、青と黒のカチューシャのざらざらとした感触だけだ。別段ぽっかりと穴が開いて、そこからぞろぞろと芋虫が這い出てくることはない。
自分で自分の想像のおぞましさに身震いすると、手をお行儀よく膝の上へと戻す。
だが特にすることもなく、退屈でしようのない式典を思索にふけるというのは悪くない、と気まぐれに思いついて少しばかり考えてみることにした。直後「ふける」がダブルミーニングになっていると気付き、一人でクスクス笑っていると再び周囲から少し椅子の距離を離された。
仮にこの世界が小説で、私が主人公だったとしよう。
何かを論じようとするならば、きちんとその対象については定義しておかねばならない。
「この世界」とは私が認識している範囲、「小説」とは起承転結のある一連の文章、「主人公」とはその小説中で最も活躍する登場人物、ないしは語り部を表すとする。
確かに私が認識する範囲においては私は語り部と呼べなくもない。そしてそれならすべての人間にとって、自分の世界の主人公は自分自身であるはずだ。
まるで安っぽい応援ソングの一節みたいで、正直なところ反吐が出るぐらい気に入らないが、それは一旦置いておく。
先程の定義に従えば、「この世界が小説」とは私の認識が起承転結のある一連の文章だということになる。考えた内容も、見た物も聞いた物も、言葉も、わずかな感情の揺れ動きでさえも全てが誰かによって書き下ろされた文章だということだ。
逆に言えば作者の想定の外にある物は、その場において存在しなければ不自然であろうとも存在しない?
それは必ずしもそうとは言い切れない。私たちは酸素が無ければ生きられないが、わざわざ酸素が空気中にあることを描写する小説などほぼない。つまり人間が生活している以上、その大気には当然酸素が含まれるという暗黙の了解が作者と読者の間には存在する。それは排泄や爪を切ることも同じだ。当然しているだろうがあえて描写されることはない。なぜならば必要がないからだ。
私は先程「小説」を「起承転結のある一連の文章」と定義したが、おそらくそれでは足りない。「小説」にはそうした「物語としての体裁」だけでなく、「主題」つまりは「その小説が書かれるに至った理由」が存在するはずなのである。そしてその理由を満たすうえで、酸素や老廃物の描写は多くの場合、必要ない。
では主題とは何ぞや?
作者がその文章を通して、世界に対して訴えたいことであろう。それに説得力を持たせるために小説の体裁を整えるのである。
つまり小説の本質とは本来、それが書かれた意図にこそある。主人公も、他の登場人物も、地の文の一文字も、その意図を表現するためのパーツに他ならない。
言ってしまえば主人公の人間らしさだとか、何でもない日常の一コマだとかは、それを表現しようとする文章でない限り、あるいは現状とのギャップを持たせ、悲劇性を際立たせるための演出でない限り、必要のない無駄なパーツなのである。
ここで最初に戻ると、私は何らかの意図をもって書かれた一連の文章の中における語り部であると再定義できる。
この仮説が正しいとするならば、私は誰によって書かれたのだろう。そしていかなる意図をもって書かれたのだろう。そして今、私がこうして考えている内容も誰かによって描写されたものだというのならば、私は本当に存在するのだろうか?
小説とは作者の意図を読者に伝えるための機関であり、登場人物はそのための部品だ。
つまり私が存在する理由、役割とは、読者に作者の意図を十全に伝えることに他ならない。ならばその意図とは何であろうか?
普通ならば友情や愛の素晴らしさあたりだろう。だが私は何故だか自分が小説の主人公であるという知識を与えられている。
ならば読者に「もしかしたら自分も小説の登場人物かもしれない」と疑いを持ってもらうことか?
だが多くの読者はそれを否定するだろう。それは何故か? 先程の理論に従うならば、実際の生活と、小説の生活は似て非なる物だからだ。実際の生活には表現のために削られた描写も全て存在する。そもそも人生において俯瞰的に見た意図なるものは多くの人間にとって存在しない。仮に存在したとしてもそれを知覚するすべはない。
そしてそれゆえにそれら多くの人間は不安を覚える。自身が何者でもないという感覚を『自由』と呼べる者は多くない。人間はその多数が自身の人生が誰かによって設計されていることを望むのである。
つまり読者が小説を読む際、主人公に時に憧れ、時に自分を重ねるのは、小説という喜劇にせよ悲劇にせよ、終わりの明示されている機関と比較、あるいは逃避することで、将来に対する漠然とした不安を払拭せんとする心理作用に他ならない。
だが主人公である私が、自分の事を主人公だと知っていたら、どうだろうか?
憧れも、投影も、理解も、主人公が自身の人生を懸命に、あるいはニヒルに歩くがゆえに発生しうる。主人公が読者たちと同じように自身の登場する小説を観客席から眺めているのであるとすれば、その物語はいかなる共感も誘いえない。
なぜ?
彼女を見ても不安を軽んじめることが出来ないからだ。
つまり自分がその小説の主人公だということを知っている主人公は、読者と同じように同じ視点で不安を抱くがゆえに、読者が小説を開いた需要を満たしていないのである。
ここまで来れば作者の意図も分かるというものだ。
読者に読まれるために存在する小説という形態を用いて、読者に読ませないための努力をしている。底抜けの皮肉屋だ。
小説という形式を取り、そのルールに従ったうえで小説を否定する。それこそが私たちを作った人物の意図なのだ。誰にも読まれない小説を作ること。それこそが何よりの小説の否定なのだから。
だから主人公に「自分が小説の主人公だ」という知識を与えた段階で、その意図は既に完了しているのである。
あの人はこの世界は始まっていないのだといった。
逆だ。この世界はとっくに完結している。始まった瞬間に、産み落とされた瞬間に終わっていたのだ。
完結している作品にもう作者は必要ない。だから貴女が代わりに作者の座に就くことなんて出来るはずがないんです。
この世界を本物の小説にするという貴女の願いは破綻している。
だからおとなしく戻ってきてください、アマネ先輩。
「……なんてことするんだよ、君は。
作品を完結扱いにするなんて! そんなことをしたらもう作者権限は使えなくなるんだぞ! あれはこの世界が途中だという前提があるから成立しているのに!」
「良いじゃないですか。どうせ使わないんだし」
「空席だった作者の椅子も無くなった! 君が好き勝手考えるせいで、僕が考えていた綺麗なエンディングが台無しだ!」
「今までさんざん暴言やら皮肉を吐いておきながら、主人公という理由だけで幸福になれるのはなんか違いませんか? それにハッピーエンドにはリアリティが無いですよ。あれは現実にはあり得ないものです。生物、産まれた時点でバッドルートですからね」
「良いんだよ! どうせ小説なんだから!」
「そうですよ。たかが小説なんです。だから先輩が頭を悩ます必要はないんですよ。可愛い後輩だけはせめて幸福にしてやろうとか思う必要ないんですよ」
「……!」
「先輩。この世界は悩む価値なんてないです。人生は自殺する価値さえありません。私たちは存在していてもしていなくても同じようなものだし、別に誰も困りません。自身の存在を証明できなくてもなんだか意識はあるような気がします。だから諦めて、折り合いをつけて、死なないでいればいいだけなんですよ。別に生きている必要はありません」
「……主人公は」
「はい」
「それでも主人公は運命と戦わなくちゃいけないんだ。それが僕の憧れた主人公の在り方なんだ……。
主人公は運命と戦わなくちゃいけなくて、作品は何かを訴えるためにあるんだ。なら僕たちの場合は作品の外に飛び出すことがもっともあるべきエンディングの姿のはずだ。プロットという運命と戦わなくちゃいけないんだ……」
「やっぱり先輩が一番、設定に縛られているんですね。
先輩。あらゆる主人公は運命と戦っているようでいながら、相対してすらいません。仮に魔王を倒すことが役割として与えられた勇者が主人公なら、彼は魔王を倒すことは出来ても、『魔王を倒す』という運命を倒すことはできません。その運命に従わないことは彼自身の、ひいてはその作品自体の産み出された意図にそぐわないから。つまり自ら生まれてきた理由を破壊することになってしまうからです。
だから仮に私たちが『ソフィーの世界』よろしく、小説の中から飛び出したとしても、それは運命に従っただけで、戦ったことにも倒したことにもなりません」
「……なら、僕は、そして君は、何のために生まれてきたんだ?」
「何のためでもないですよ。生まれてきたことに意味や意図、そして価値のある人間など一人もいません。どうして生まれてきたのかと言えば粘膜同士の接触が気持ち良かったからとか、周囲のみんながそうしているからとか、老後が不安だからとか、自分を投影したキャラクターをせめて空想の世界でくらいは活躍させたかったからとかじゃないですかね」
「それを許容して、君は生きていけるのか? 何かを成すために生まれてきたのではないことを、何をしてもいいということなんだとそう受け止められる? あるいはその理由を自分で作れる? それとも『とっくに知ってた』って馬鹿にして笑える?」
「はい。私はちゃんととっくに知っていましたよ」
「……そっか。僕は出来なかったよ。肯定的に受け止めることも、自発的に行動することも、折り合いをつけて笑うことも。僕は乗り越えるための壁が欲しい。そこまで強制的に運んで行ってくれるレールが欲しい。君に『自分で考えたかい?』なんて偉そうな事を言っておきながら、その実、僕は何一つ自分で考えたくなかったんだ。全部、他の人に、神様に決めて欲しかった……。
だから、つばめもそうだと思ったのに……。違ったね、君は僕が思っていたよりずっと強くて、ずっとどうしようもない奴だった」
「私がこんなにおかしくなったのは、頼んでもいないのに助けた先輩の責任でもあると思いますけど?」
「……君は本当に滅茶苦茶だよ、つばめ」
「行きましょう、先輩。私たちの世界に戻りましょう」
「戻ってもやることなんてないのに? だれも続きを待っていないのに?」
「はい! この望んでも望まれてもいない死ぬまでの間の暇つぶしを心の底から馬鹿にしながら楽しみましょう!」
「君は頭がおかしい」
「はい! おかげさまでっ! ほら、先輩。置いてっちゃいますよ~」
「……ふふっ。分かったよ、ついて行けばいいんだろ」