002 一人称っていつ変えました?
「一人称っていつ変えました?」
「うん?」
アマネが歩きながら行儀悪く、口に咥えたアイスの棒をタバコでもくゆらすように揺らす。
「私は幼稚園くらいまでは自分の事、『つばめ』って名前で呼んでたんですよ。小学校に入ってからもしばらくそうだったと思います。
でもなんだか急に恥ずかしくなって、『私』って言うようになりました」
「僕はずっと『僕』だよ」
「はい、嘘~。初めて会った時、『私』って言ってました~」
「バレたか」
アイスの棒を用水路に吐き捨てて、いつものように皮肉気に笑った。
「なんですぐバレる嘘をつくんですか」
「一日一回つかないと落ち着かなくてね」
「病気かよ」
「あと一人称に関しては、自分の事を『僕』って言ってる痛い人扱いされて、事あるごとに周囲の空気が居たたまれない感じになるのが好きだからだ」
「病気だよ……」
「本当のことを言うと、001話冒頭で読者に僕が男かもしれないと思わせるための申し訳程度の叙述トリックを惰性で続けているだけだ」
「……徹底してますね、先輩は」
呆れたようにつばめは溜め息を吐く。
「それよりもさ、何故つばめは一人称が自分の名前であることを恥ずかしいと思ったんだい?」
「う~ん。やっぱり子供っぽいからじゃないですかね。子供だったら可愛いですけど。先輩も昔は自分の事、『あまね』って呼んでた覚えないですか?
……あ、なんかギャップで可愛いですね。普段可愛くないから」
「一言多いんだよ、君は」
ぺしっとつばめの頭にチョップを落とす。
「その『恥ずかしい』はどっちなんだろうね。子供っぽい自分自身が恥ずかしいのか、そういう一人称を使うことで周囲に子供っぽいと思われるのが恥ずかしいのか」
「両方じゃないですか? 周囲に子供っぽいと思われている自分自身が恥ずかしくて、嫌になるんじゃないですかね」
「自我が確立し、自と他の区別が着き始める頃にそう思うようになるのだろうけど、他者が自分を呼ぶように自身を呼称することが何故、羞恥心という形で表れるのだろう?」
アマネは自の時には自分を、他の時にはつばめを指差して大仰な身振りで問題を提起した。
「自分を客観的に見れていない、って突き付けられるからですかね。……あれ? 自分を他人の目線で見るっていうなら一人称が自分の名前でも間違っていないような……」
「自分自身を一人の他者として見てしまっていること。その精神分裂的振る舞いが幼児的であり、周囲の奇異の目を寄せる。周囲からの疎外感が、やがて羞恥心に変ずるってところかな?」
「え~、でも客観的に判断することは独断より良いことっていうのが、一般的じゃないですか」
相手の目線に立って考えましょうとかよく言いますよねぇと不満げにつばめが言う。
「確固とした主観があることを前提としたうえで、それを抑えてでも他者がどう考えるか慮るのがいわゆる『大人』の振る舞いだということだろうね。客観性にさえ節度が求められるというわけだ」
「でも前提に主観があるなら、どうあがいても主観を通した客観じゃないですか?」
「勿論そうだとも。しかし当然のように『相手の気持ち』や『第三者目線で』という言葉がまかり通っている。人間は基本的に自分の考えていることしか本当には分からないのにだ。いや、それさえ怪しいかもしれないがね。
しかしそれには折り合いをつけて、多くのお説教は『人の気持ちを考えて発言・行動しましょう』というルールで〆られる。
おそらくだが、実際には発生の順序が逆なんだろう。協力して仕事に取り組むことが最も効率よく、最も大きな利益を産み出すからルールの方が先に出来た。利益だなんだを美しく言い換えて『周りの事を考えましょう』となったわけだ。
より大きな利益が出るのは良いことだ。その大きな利益のためにちょっとだけ我慢しましょうなら筋が通るが、周りの事を考えるのは良いことだから周りの事を考えましょうではトートロジーだ。結論ありきだから無理矢理な感じがするのさ」
「でもそこまで分かってるのに先輩は周りの事、考えてないですよね」
「一人が足をひっぱった時の集団の無言の圧力、すごい好き」
うへへ、と気持ち悪い笑い声をあげている。
「だから友達いないんですよ」
「一言多い」
ぺしっ。
「あ、コンビニ寄ってもいい?」
「さっきアイス買う時、寄ったじゃないですか。何買うんですか?」
「久しぶりにいっぱい喋ったから喉乾いた」
「……」
そのジト目は「やっぱりぼっちじゃん……」と言っていた。