001 「死ね」
「『死ね』って言葉、よく使われるじゃないですか」
「記念すべき一話からコレだよ……。
よく、は使われないだろう。一部のインターネットやゲームの中だけだ」
「うちの弟が、あ、小学生なんですけど、ゲームをしながら『死ね、死ね』って言ってるんですよ。だからそういう言葉遣いはやめなさいって叱ったんですけど『皆、言ってるし』って真面目に聞かなくて」
「まぁ、その理屈は間違ってはいないな。だから僕も嘘をつくし、悪口を言うわけだし」
周囲の方が先に腐っていたのだと、口をへの字にして皮肉気に笑いながらほのめかす。
「またそういうこと言う~。先輩のそれは趣味でしょ」
「言うようになったね、つばめ」
「おかげさまでっ!」
つばめと呼ばれた少女も負けじと皮肉で返すが、先輩と呼ばれた生徒は楽しそうにくつくつと笑うだけだ。
「で、弟くんになんと言い聞かせたんだい?」
「『皆がやっているからといって、それをやっていいわけじゃないのよ』って言いました」
「模範的だな。普通だな。退屈だな。教師かよ」
「ひどいっ。じゃあ、先輩ならなんて教えるんですか?」
よよよ、と袖口で涙をぬぐうわざとらしい演技をしてから、一転明るい声でつばめは聞いた。
「ふむ……。『君は優しいんだな』と言うかな」
「……その心は?」
「『死ね』というのは云わば、相手の未来への否定だ。その相手ないしは自分自身の過去の行いに憤り、不愉快を感じた時に出る言葉が『死ね』だ。
より正しく言い表すならば『もう私の前に金輪際、現れるな』が適切だ。ね、優しいだろう?」
「どこがですか。一方的な絶縁宣言じゃないですか」
「そう、ただの宣言なのさ。本当に殺そうという意思があるわけではない。私は今、不愉快ですというのを周囲に対してアピールしているに過ぎない。前時代のコギャルの『ムカつく~』とかと同じだ」
「先輩って本当に私と一つしか違わないんですよね?」
後輩の茶々にごほんと咳払いをして先輩は続ける。
「つまり私は今、不機嫌ですと周囲に教えてくれているわけだ。親切だろう? まぁ。言葉が悪いことは事実だから、『死ね』じゃなくて『ムカつく』にしなさい、と教えるのがいいだろうね」
「それ絶対、『ムカつくは良いのかよ~』って返されると思うんですけど」
「良い。胸を張ってそう言うべきだ。そして僕が今言ったとおりに説明したまえ。たとえ屁理屈でも説明の筋道が通っていれば子供も大人も納得する。
一番反発を呼ぶのは、ただそうあるべきだからとか、そうすべきだからとかで相手の言葉を否定し、説明しようとさえしないことだ」
「屁理屈って言ってるし」
「子供はとかく周囲の影響を受けやすい。おそらく弟くんの周りにそういった言葉を多用する存在がいるんだろう。同級生とかね。その同級生もどこからか影響を受けているのだろうが、まぁ、それは推して知るべしだ。
だから屁理屈じみた面白可笑しい理屈で説明すれば真似するようになると思うよ」
「なんか少し納得した自分が悔しい……。
うぅん、じゃあネット上でよくある殺害予告もそうですか? あれは『死ね』じゃなくて『殺す』ですけど」
「ネットスラングは鳴き声みたいなもんだからなぁ……。不快の訴えという意味ではほとんどがそうだと思う。もし仮に本気で言っているのだとしたら、それはそれで言葉を間違っている」
「その心は?」
「本気で相手に消えて欲しいのなら、未来の否定だけに留まるべきではない。相手の過去と、今も否定すべきだ。それには二文字ではちょっと足りない。
お前をぶっ殺してやりたいけど、お前程度のために手を汚すなんて馬鹿馬鹿しいから自殺してくれないかな? という意図を込めて、真心を込めて悪意を送るべきだ。
だから正しく言い表すならば『お前なんて生まれて来なければ良かったのに』が適切だ」
「先輩は、優しくないですねぇ」
その無関係の人間さえまとめて不愉快にさせる言葉を受けても、つばめは楽しそうに笑っている。
それでこそアマネ先輩です、と称賛の言葉さえ口にした。
「言葉は武器だ、とよく言うだろう? ならばその本懐を全うさせてやらなければ、言葉に失礼というものだ」
アマネがそう言い終えると同時にチャイムが鳴った。
「先輩。六限、終わりましたよ。帰りましょ」
「もう少し、このままがいいな」
つばめの膝枕に頭を預けたまま、アマネが言う。
似た者同士、授業をさぼって保健室に来たところでばったり出会ったので、こうして二人揃ってベッドの上でだらだらとしていたが、もうすぐ養護教諭も戻ってくるだろう。
でも追い出されるまではこうしていたいと、むずがるようにつばめのへその辺りを頭でぐりぐりと押して継続を訴える。
ぐいっと視界から天井を遮るようにつばめの顔が近づき、額が触れそうな距離で見つめあう。
「帰りましょ」
「分かったよ」
ホームルーム中のため、まだ誰もいない昇降口を通って校舎から抜け出す。
「あ、先輩。私、アイス食べたいです」
「いいねぇ。食べて帰ろうか」
「校則で買い食い禁止ですよ。ワルですねぇ」
「それを聞いて余計食べたくなった。よし、早く行こう」
「待ってくださいよー、先輩」
二人の少女は笑いながら校門を抜けた。その姿を見ていたのは花壇の枯れかけたアジサイだけだった。