0003
かくして彼は、あたかもヒツジの皮を被ったオオカミという存在を確立させた。
クラスでは地味に過ごし、たまり場で皮を脱ぐ……そういうスタイルだが、それは別に宣伝するつもりはなかった。
何故ならばそういうのは申告するより発覚したほうが効果が高いと、彼は知識から知っていたからである。
クラスでの立場の確立は、その底辺への苛めという行為から始まった。
実は彼もその底辺だと思われていて、彼を含む数名がその対象にあった。
「おうっ、畑中、パン買って来い」
「何パン? 」
「あのな、チョコミントとロールパンだ。後、コーヒー牛乳な」
「ふんふんふん……320円だな」
「暗算かよ。まあそれは良いが、今、金が無くてな、貸しといてくれ」
「あ、オレもオレも」
「オレも貸してくれ」
「帳面に付けるから、署名と捺印……まあ、右手の親指で良いから押してくれるか」
「あんだと? そんな事、いちいちやれるかよ」
「金が無いんだろ? だから1人当たり1万貸そうってんだ。なら、署名と捺印は必須だろ」
「おいおい、そんなに貸してくれるかよ。なら、書いても良いぜ」
「おー、ラッキー」
「オレもオレも」
かくしてクラスの中の不良と呼ばれる4人に対し、1万ずつの貸付は行われた。
帳面の体を成しているが、それは正式なる書類。
金利と返済期日とその罰則に関しては、豆粒みたいな文字で書かれてはいるが……
女将の人脈は多岐にわたり、その中にはヤクザの親分も含まれている。
クラスの不良連中の家庭環境は余り宜しくは無いが、さすがに極道に関係はしていない。
ただそのターゲットになる可能性はかなり高いが。
すなわち、小金持ちと言うか中流と言うか、叩けばいくらかの金になる家柄と言うべきか。
どのみちエスカレートするだろう貸付額の第一歩は、こうして計画のままに発動した。
その予測は的中し、1ヶ月もしないうちに追加の要求が来る。
追加額は1人4万円。
なので合計、5万円ずつの貸付になってはいるが、複利の結果がどうなるかなど、彼らは思う事もあるまい。
そもそも金利があるなどとは思っても居ないし、彼らは返すつもりなど端から無かった。
そうしてその翌月には更に5万ずつ。
ゴールデンウイークを控えた頃、10万ずつの貸付となり、既に1人当たり25万ずつの貸付金となっていた。
そして夏休みを控えた7月下旬、増長した彼らは遂に大型融資の申し込みというか、命令が発令される。
50万ずつ用意しろと。
まあこの一連の貸付のせいか彼が苛められる事は無かったが、貸付自体が苛めのようなものと受け止められていて、彼に対する感情は憐憫に近かった。
そうして各自に50万ずつ、1人当たり75万の貸付となる。
彼らは夏休みの軍資金が出来たとご満悦だが、もうじき彼らは破綻する。
せめて1年ぐらいは学生生活を味わわせてやろうかと、彼はまだまだ融資するつもりだった。
しかし、その50万がネックだったのか、彼らの行為は発覚する事になる。
引き出しに安易に入れていた彼らの中の1人が親にバレたのだ。
そして親の連絡網から他の面々の所持金がバレる事になり、その金の出所を突き止めようと動き出すに至る。
とんだ計画の破綻である。
まさかありがた迷惑という事も出来ず、彼は残念でならなかった。
だからこう言う事になる。
「あの、あれはあげたんです」
「君はそんな大金、どうやって手に入れたのかね」
「それは命令ですか」
「そうだ」
「ではその根拠を提示してくれますか? 法的根拠を」
「生意気な事を言うなっ。お前は被害者だろ。助けてやろうってのに、協力しないつもりか」
「助けてやる……ですか。誰が頼みましたか? 助けて欲しいと」
「貴様ぁ」
「まあまあ、田中先生、落ち着いて。ねぇ君、苛めは根絶しないといけないの。それは君だけの問題じゃないからなの、分かるよね」
「何を以って苛めと判断したのでしょうか? これは民間人による単なる金借行為、いわゆる貸付に当たります。まさかとは思いますが、法律よりも校則のほうを優先しろと仰いますので? 」
「はぁぁ、じゃあ君は苛めと思ってないのね」
「はい」
「でも彼らは返すつもりは無いそうよ」
「それはこの際、関係ありません。返済期日を過ぎても返済が無い場合、約款に基づいた罰則が彼らに訪れるだけの事です」
「じゃあ君はもしかして、最初から」
「過保護ですよ、先生」
「君は思ったより、いいえ、かなりしっかりしているのね」
「困りますね、内情は」
「分かりました。今回の件は、君以外という事で良いのね」
「恐らく小銭での決着になるでしょう。だからまだ継続する可能性は高い。後、チクった奴は更なる苛めに見舞われるでしょう。それこそ自殺に追い込まれるぐらいにね」
「それは絶対に許されません」
「24時間の監視ですか? それは不可能ですよ。それに可能だとしても人権侵害です。まさか憲法違反をしてまで苛めを根絶すると宣言しますか? 」
「じゃあどうすれば良いの? 」
「継続中です。毒はね、毒で中和出来るんですよ。ご存知ありませんでしたか? 」
「あれはどうなるの? 」
「大金になったら証文は善意の第三者に渡る事になります。いわゆる手形の割引のような行為ですね。もっとも、善意かどうかなんて誰にも分かりませんけど」
何処まで話してやろうかと、彼は少し躊躇した。
極秘のはずの計画の破綻、それが彼を少し投げやりにしていたのかも知れない。
対話のうちに法律知識も披露する羽目になり、人脈のあれこれも推測される結果となった。
その事は彼の失態かも知れないが、いかに知識を得たと言えどもまだ中学生。
甘いと言われても仕方の無い年齢にしては、巧くやっているほうかも知れないが。
ともかく、彼以外を被害者とした苛め問題は、不良グループ4人の停学1週間でひとまず終わりを告げた。
長期にならなかったのはひとえに金額の少なさであり、本命のはずの彼の否定により教師達の思惑は大きく外れたと言っていい。
そして夏休み中に彼らは暴発した。
「お前か、チクったのは」
「僕は断ったよ」
「本当だろうな」
「君達にはそれぞれ、75万円ずつ貸してるんだ。先生に知られたら僕だって色々言われるに決まってる。金の出所とかさ」
「確かにそうか。なら、他の奴らか、許さねぇ」
「殺しちゃう? 」
「お前、意外と大胆だな」
「チャカが欲しいなら段取り付けるよ」
「お前、そんな伝手まであるのかよ」
「あれ、もしかして知らなかったの? 」
「当たり前だろ。てめぇも他の奴らと同じと思ってたさ」
「ちなみに金の出所はギャンブルだよ。大当たりしてさ」
「お前、色々やってんだな」
「酒、女、バクチ、全部経験あるよ」
「嘘だろっ」
「で、チャカはどうすんの。死体の処分も込みだと千万単位になるけど、必要なら貸し付けるよ」
「どうなってんだよ、お前」
「如月組って知ってる? そこの幹部候補生って意味、分かるかな。かなり嘱望されてんだ、僕」
「なっ」
「くすくす、実はね、君達の借用書だけど、裏書には親分の一筆があってさ、だから反故には出来ないよ」
「あんだとぅ」
「まあ、別に返さなくても良いけど、そうなると相手が自動的に如月組になるだけだ。返すなら僕で終わるけど」
「返す、ぜってぇ返すっ」
「うん、で、追加融資は? くすくす」
「だぁぁぁぁ、借りるかよ、そんなヤバい金」
「まあそうだろうね。組のバクチで浮いた金、その使い道はクラスメイトへの貸付。だからこそ組も見逃してくれた大儲けだし」
「てめぇ、端からそのつもりかよ」
「返さない場合の保険と言うか、本当に返すの? 無理しなくて良いんだよ。オホーツクの密漁の人員はいつも人手不足なんだしさ」
「も、もう言うなっ。とにかく、お前じゃなければ良いんだ」
彼は別に嘘を言っている訳じゃない。
女将の伝手で如月組の親分にも面識はあり、バクチ場で大儲けしたのも事実である。
そしてその金の使い道と聞かれ、今クラスメイトに金を貸していて、足りないから稼ぎに来たと話したのだ。
そうしたら親分が証文の裏書をしてやると言われ、破綻の暁には証文の受け渡しを以って今回のバクチの儲けの件はチャラにすると。
そんな訳で組の賭場から800万せしめた訳だけど、彼らが返済するなら散財しに行くつもりなのだ。
バクチの儲けはバクチで流すと、これが暗黙の了解になると思うがゆえだ。
ちなみに公営ギャンブルのノミにも手を出しているようで、たまに冴える勘として、大穴の予想を出した事もあった。
それで組が大損をせずに済んだ事が何回かあり、その意味での幹部候補生でもある。
つまり、将来を嘱望されているのはその才能であり、後はクレパーさでもある。
淡々と当たり前に対策をし、対象の生死を想像しても留まる事は無い。
殺しの現場を見せても飄々としており、拷問の見学の後で当たり前のようにレアなステーキを食べたりする。
濃密な血臭の中でも平気な顔をして笑い、トマトジュースが飲みたいなどと平気で口にする。
それに加えてバクチの才能となれば、手離す選択肢は存在しない。
彼が幹部候補生となったのはそういう理由もあるからだ。
精神以外のあらゆる物が抜け落ちた彼の本性を以ってすれば、どんな事態を見ても動揺するはずもなし。
どんな残酷に思えるような事を見ても、それが彼の心に何ももたらさない。
それゆえにそれが人の肉であろうと、肉からステーキを連想し、食べたいと自然に思うだけであり、赤い色からトマトを連想しただけである。
そんな彼を見て、それをまともだと思う者は居ないが、それゆえにその道では有望と思われた。
一見普通の少年、実は悪魔。
そんな印象を与えてしまうような彼は、本気で後の幹部にと嘱望されていた。
夏休みが終わり、彼らからの融資の申し込みは途絶えた。
しかし融資額は更に増加した。
それは苛められていた者達からの要請によるもの。
親に言えない金。家からとか盗れない。でも渡さないと殴られる。そんな相談を受けた彼は、それなら融資すると持ちかけた。
そうして不良4人組の懐は以前以上に豊かになり、その中から彼への返済が行われていた。
元は彼の金とは露知らず、彼らは新たな資金源と信じ切り、更なるエスカレートをしていったのである。
毎月50万、秋にはそれが80万になり、冬には100万になった。
気付けば彼らは苛められっ子達からそれぞれ、500万近い金を得ており、さすがにそうなるとその金の出所に不審を抱く。
既に彼のほうの返済は終えており、問題は無いはずなのに新たな問題。
そして苛められっ子達を詰問し、彼らもまた金を借りている事を知る。
融資先は例の彼。
思えば最初に彼と同じく署名捺印をしたなと思い描き、まさかと思って証文を見ると、そこには連帯保証人の文字。
慌てて奪い取って破いて捨てて、それで終わると思うのが少年の甘さ。
裏書を見もせずに破いたが、親分の名前と捺印も破かれていた。
手袋をしてゴミ箱からそれを取り出し、ビニール袋に入れてカバンの中へ。
「てめ、畑中、何を取った」
「いけないなぁ、親分さんの裏書のある証文を破いて捨てちゃ」
「んなっ、おい、石本っ、てめぇ、まさか」
「おいおい、そんなのまだ信じてんのかよ。おい、畑中、いい加減にしろよ。そんな与太話が通じると思うなよ」
「じゃあ検証してみる? 」
「ああ、何だってやってやらぁ。けどな、損害賠償ってのは分かるよな」
「そうだね。検証の結果が不満なら、それはするから心配要らないよ」
「ふん、そんなハッタリ、甘いんだよ」
『もしもし、如月組? オレ、悪魔。うん、繋いでね……』
「くっくっくっ、なーにが悪魔だよ、この中二病が」
『ああ、親分さん? 実はね、親分さんの裏書のある証文をさ、破いた奴がいるんだ……確保しているな……当然だよ……夕方迎えを出す……分かった』
「うん、芝居ご苦労だな。それでどうなるんだ? 」
「組から迎えが来るそうだ。放課後、校門前で待ってればすぐ終わるから」
「おいおい、石本、ヤバくないかよ」
「そうやって信じてやるから付け上がるんだ。こんなの嘘に決まってるだろ」
そうして放課後、校門前で石本と彼は到着を待つ。
実は既に校門の裏側に尖兵が居て、逃げた場合の保険になっている。
そして黒塗りの車が校門前に停車する。
「お勤めご苦労様です」
「へいっ、で、こいつですか」
「うん、命知らずだよね。で、これが破いた証文。指紋は取れると思うから、後はよろしく」
「畏まりやしたっ」
「おいおい、待てよ、むーむー」
哀れ石本君は拉致され、その末路は興味も無い彼であった。