表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

カニュ

クロエの住むヴォラスの中庭は、19世紀シルクの職人たちの組合のようなものがあったと言われている。シルクの職人はカニュと呼ばれた。決して労働条件が良いわけではなく、シルクがリヨンにもたらした繁栄を完全に享受していたわけではなかった。


 継続的に低下する給与の維持を求め、1831年、34年、そして48年に立て続けにシルクの職人が反乱を起こすのだが、その中心的な役割を果たしたのがこのヴォラスの中庭であったとも言われている。

 現在クロワルッスは、リヨンでも山の手にある少しハイソな雰囲気をもつ地区となっているが、わずか百年ほど前は荒くれ者の職人たちの牙城だった。


 そもそも、シルクの職人たちが住み着いたクロワルッスという界隈は、当時リヨンではなかった。リヨンの町を守るためにクロワルッスに城壁が張り巡らされたのは、これらシルクの職人たちを牽制する意味もあった。実際、ナポレオン三世はクロワルッスがリヨンに編入され、クロワルッス大通りを開通するにあたり、


 もはや要塞は必要ない。反乱を恐れ、強固な防御を備える理由がなくなった。相互の信頼関係とリヨン市民の愛国の象徴としてブルヴァール(大通り)がそれにとって代わるのだ。


 と述べたと言われる。


 幅36メートル、全長1.6キロの大通りには、リヨンでも数少ない毎日市が立ち、生活の大動脈となっている。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ