第5話 見知らぬ空の紅い鳥
『…ル…ソナ……きて…お…て…』
強い風音の合間、かすかに声がする。遥か遠くからのような、しかしすぐ隣にいるような。
その声が自分の意識に形を残すにはあまりにもか細く、すぐにまどろみへと沈んでいく。
『お…きて…』
声は何度も俺を呼んでいるようだ。しかし、目覚めの悪い朝のような倦怠感がその声に反応するのを拒む。全身を包む冷気によって目を開ける気力さえ失われたようだ。だんだんとそんなことを考える目的、意味をもわからなくなる。
暗闇へ落下する鉄のように意識は黒に塗られていく。
風音、冷気、落下…。
……まさか……
『起きて!ペルソナ』
突然の金切声に驚いて目を開ける…だが目は開かない。その時、鋭い寒さに改めて気がついた。
『慌てないで。火を使うのよ』
まぶたの表面に熱が生まれた。閉じた目から見えるまぶたの裏が赤く染まり、氷が溶けていく。
俺の予想が正しければここからは最高に澄み渡っていて、天地創造の神にでもなったかのような素晴らしい眺望に臨めるはずである。
恐る恐る目を開くと、予想どおり、群青色の雲海に赤く染まった地平線。それは今まで見た景色のどれよりも美しく、凍った唇から無理やり感嘆の声を漏らさざるを得なかった。
わずか1秒後には落胆のため息に変わっていたわけだが。
『さあ、どうしましょう』
なんとかできるか?
『もうほんとに力の残量がないけど』
やらない手はないだろう。
『まあそうね』
背後から赤い光が見え、振り向くと大きな翼が生えていた。滑空しろということらしい。
『どこに着地するの?』
言われて下方を見渡す。すると、遥か前方に穴を見つけた。群青色の雲海にぽっかり空いた、藍色の穴。その穴の奥の壁寄りには岩山のようなものが見える。
あそこにしようか。
「滑空を続ける間、少し思ったことを言っていいか?」
『ええ。しばらく暇でしょうし』
グレイプニルを奪取したときはもう日が昇っていたのに、ここはまだ朝日が少し見えるだけじゃないか。そもそも、なぜ俺はこんな上空に放り出されてしまってたんだ。
『エインヘリャルの未知の力みたいなものかしらね。あの激情体と関係あるのかしら』
激情体か。結局あの二人は何者だったんたろうな。
かなり戦闘慣れしていたようだが。
そんなことを話している間にもう大穴が間近に見える距離まで来た。
少しずつ高度を下げて、旋回する…おっと!
不意の突風によりバランスを崩す。
『早く体勢を立て直して!』
口で言うのは簡単だがこれかなり難しいぞ。
体勢を立て直したときにはもう雲すれすれを飛行していた。すぐ前にはあの岩山。だが勢いは落ちている。
『このままあそこに着地するのね。そんなことを思いつくなんてなかなかチャレンジャーなのね』
これでも一応衝撃耐性はかなりあるし、銃弾ぐらいは弾くことができるもので。
『冥狼兵ってそもそもなんなの?』
古代文明の『ヒト』の遺伝子をモチーフにしていろいろな機能をつけた戦闘用の生物ってところか。
それよりもう着地地点だぞ。衝撃に備えとけ。
『あたしはエインヘリャル。冥狼兵なんかよりずっと硬いのよ!』
そうだったな。古代兵器エインヘリャルは破壊不可。無理っていうわけではないが、その方法を知る者は俺の知人にはいない。
しかも、他のエインヘリャルの力がまったく通じない。例えば、他のエインヘリャルの力で熱してもエインヘリャルは熱を持たないし、どれだけ硬いものでも切ることができる能力でもエインヘリャルは切れない。
数秒頭の中で回想してから、視界を前に移す。足を前に伸ばし、着地の衝撃に備える。
背中の発炎音が途切れ途切れになっている。もう限界が来たか。
近づいてわかったが、これは岩山というより塔のような形をした大岩といったほうが正しいようだ。
ぶつかるぞ!
足をものすごい衝撃が襲う。身体を支えきれず、前のめりになる。
そのまま静止…できず、額を打ちつける。
視界が揺れ、上下前後が逆転する。それはつまり…
急な斜面と滑らかな岩肌は俺の身体を抵抗なく転がした。
足掻きも虚しく転がり続けること十数回転、目に木の板のようなものが映ったかと思いきや次の瞬間には背中に一際大きな衝撃が走った。
こうして俺は宙空から生還できたのである。
いつもは土曜日の午後に投稿しているのですが今回は1日ずれてしまいました。これからは土日のどちらかに更新しますのでよろしくお願いします。