第2話 エインヘリャル
『あなたの心をあなたに。あなたの身体をあたしに』
その「石」がつぶやくと、凄まじい熱気が手から腕、腕から全身へと伝わる。そして身体は爆炎を放つ。
凄まじい熱気ではあるが、火傷をしているわけではない。苦しいとも思わない。何かを心の底から湧き立たせ焼き尽くすような…そうだ、実際に温度があるわけではない。イメージのようなものなのだろう。
ただ不思議な感覚の中で惚けることしか実行できない。
しかし、あの爆炎に相当する爆風が発生したことは確かであり、この細長い空間の最奥を吹き飛ばしたようだ。
ならこの光はなんなのだろうか。それこそ爆発した薬品のような閃光を放っている。
『そんなことを気にしている暇はないわ。早くここから出ないと』
そうだった。
爆炎は収まり、ダクトは再び暗くなった。が、さっきの爆風で吹き飛んだところに穴が開いてそこから光が差し込んでいる。昨晩遅くに脱走を開始してから、いつの間にか夜明けを迎えていたようだ。
「外だ…」
思わず声が漏れる。あれが外の光…。この「グレイプニル第二支部」から抜け出す希望の光。
人一人がやっと通ることができる細いダクト内を、つっかえながらも匍匐前進する。鼓動は高鳴り、興奮に身体が震える。
『ちょっと、あたしを置いて行かないでよ』
その声は出口を前に興奮に支配された精神を呼び戻してくれた。
たしかこの石だったな。
もうあと何メートルか先の穴から差し込む光がダクト内を薄ぼんやりと照らしている。
その光に照らされ、今右手に握っている「石」の全貌が明らかになった。
手のひらに収まる大きさの透き通った桃色をした六角柱…この「石」、どこかで見たことがあるような…
思い出した。「エインヘリャル」古代兵器の一つだ。たしか人間の感情をエネルギーに変換して、使用者それぞれの「能力」を引き出す代物だとかなんとか…
ということは今の爆炎のこのエインヘリャルによって引き出された能力によるものだったのか。
ならなぜこんなところにエインヘリャルなんかが落ちていたんだ?
『詳しい説明は後。今は考えないで先に進んで!』
でもエインヘリャルは喋ったりしない。この声の正体は一体…
『早く!追っ手が来ちゃう』
ああ、わかってるよ。でも身体がつっかえて思うように動けん。
もうちょっとだ。
あと少し…
やっと左手が出口の縁をつかんだ。後から右手も前に出し、身体を引き寄せる。外だ!
朝焼けに目がくらみ、乗り出した上半身から下に落ちた。尻を打ったがそんな痛みは気にならない。
外界の光がこの身を照らしているのだから。自由を手に入れた感動に涙すら浮かぶ。
目をくらませる朝焼けと少しの涙を拭う。そして目を閉じ、余韻に浸る。
改めて娑婆の景色を、と目を開く。そこには…
多数の銃口、禍々しい黒色の武装に身を包んだ兵士たち。完全に取り囲まれていた。
『仕方ないわよ。あれだけ無駄な時間をかけた上、あなたみたいなトップシークレットの脱走なんだもの』
周囲の修羅場もそうだが、その声に妙な余裕を感じたので、矛盾から来る違和感が精神をさらに混乱させる。
「脱走兵を確認。直ちに処分する」
非情な一声と共に、発砲音が轟く。
人は死ぬと、死ぬ直前の景色が永遠にスローで再生され続けるという話を聞いたことがあるが、今現在の状況がこれなのだろうか。きっと今頃、自分の身体は木っ端微塵で地面に転がっているのだろう。
後悔はしない。そう決めていた。それが唯一の信条である…いや、もう過去形か。最期に脱走という決断をした自分を褒めてやらないとな…
『まだ死なないで!あなたにはあたしに協力するという義務が残ってるのよ』
この声は…そうか会話ができるということはまだ死んでないってことだ。しかし、この時間が止まったような感覚、この魂は生きるか死ぬかの境地にあることは確かだ。ここで動かなければ…
まどろみは一撃、額を強く叩いて晴らす。
全身の筋肉を全力で動かし、伏せる。銃弾は頭上で爆ぜた。
「次弾装填!」
やつらの声だ。次を避ける自身はない。
『何言ってるの、まだあたしがいるじゃない。エインヘリャルは感情の力で動く。生への欲をもっと!』
こんなところに「希望」は残っていた。なんだって諦めたら終わりなんだよな!
そうだ、「生きたい」
生きて自由になるんだ。
『そうよ、あたしの名前はジュリィ。ジュリィ・リトリネア。さあ、能力を使うのよ』
ジュリィ…これがこの「希望」の名前か。この力、惜しみなく使わせてもらう!
決意と同時にまたあの爆炎が立ち昇った。
イメージだ。この能力はただ発炎するだけでなく、炎の概念そのものをも弄ることができるようだ。実際にさっきは常温であれほどの爆風と閃光を放った。
ならこうするのはどうだ…
主人公の名前は作中では未定です。もう少ししたらジュリィが名付けてくれるはずですのでその時まではご辛抱を。