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欠陥少年  作者: 潮原 汐
6/11

 件の競技について、先輩から訊き出せたのは以下のことだ。

 その競技には二人一組で参加する。

 その競技はエキシビジョンであり、チームの得点には関わらない。

 その競技の参加者は、当日に募集される。

 そして、肝心の障害の中身は、競技開始までわからない。

 最後に先輩はこう締めくくった。

「見ていて、実に面白かったよ」

 そんなの知ったことか。

 どれも予想できることばかりで、有益な情報は一つもない。これで対策を練れというのは無茶な相談だ。別に対策なんて無くとも一位は取れるのだが、「何も考えつきませんでした」と言ったとき、先輩はどんな行動に出るだろう。

 先輩が俺に対して結果だけでなく、過程での面白みを期待しているのはオムライス作りでよくわかった。

 その先輩の期待に反するとき。

 家に行くのを断っただけで、自殺すると脅してきた人である。それ以上に突飛なことをするに違いない。

 何か、先輩を納得させるものが必要だ。

 とにかく先輩の注意を引けるもの。そこに焦点を絞って頭を捻る。

 そして放課後。

「やあ、永野龍太郎君」

 俺はカンニングの際に教えてもらった電話番号を使って、先輩を学校近くにある河川敷に呼び出した。

「君の方から声をかけてくるなんて珍しいじゃないか。それに体操着を着て来いとは、何をする気だい?」

 学校指定の体操着姿の先輩はにんまりと笑みを浮かべて、下から俺の顔を覗き見る。同じく体操着姿の俺は、それを手で押し返してから、芝居じみた仕草を心がけて咳払いをした。

「特訓をします」

「む?」

 先輩が短く唸る。

 それだけでわかる。かかった。

 心の内でガッツポーズを決め、俺は続けた。

「一位を目指す上で、俺達に最も欠けているもの。それは先輩の体力です」

「はっきり言ってくれるね」

「今更隠すようなものじゃないでしょう」

「まあね。しかし永野龍太郎君、今日はもう木曜日だよ? 今から特訓して間に合うのかい?」

「間に合わせます」

 腰に手を当て、大きく胸を張る。

「俺にかかれば、時間なんて問題になりません」

「おお! 君がそういうのなら、そうに違いない。さっそく特訓を始めようじゃないか!」

 すっかり乗り気になっている。本当に単純だ。

 頭の上にワクワクという文字が見える先輩に、俺は頷いてみせた。

「ええ、始めましょう」

 特訓と言い出した一番の目的は先輩のご機嫌取りだが、他にもう一つの目的があった。

 実際のところ、俺は先輩がどれほどの運動音痴なのか知らない。

 歩道の縁石渡りもできないから、きっと運動音痴なのだろうと、勝手な推測を立てているに過ぎないのだ。

 バランス感覚が極端に悪いだけで、筋力や持久力は人並みという可能性だってある。

 特訓とは言っているが、することは体力測定だ。


「まずは特訓で怪我をしないよう、準備運動をします」

「よしわかった!」

 俺が体を動かすのを見ながら、先輩が真似をする。特別複雑な動きは一つも無いのに、先輩の動きは既にぎこちなかった。

「大きく息を吸って、吐きながら体を前に倒します」

 立ったままゆっくりと体を前屈させる。手のひらを地面に突いて支えにし、上目遣いで先輩を窺う。

「くっ……、ふうぅっ! ふんーっ!」

 何度も反動を付けて体を曲げる先輩の指先は、地面はおろか、靴にも足首にも届かない。膝より少し下の辺りでプルプルと震えている。

 柔軟性はバツ、と。


「では体を温めるために少し走りましょう」

「うむ!」

 威勢の良い返事をする先輩と並び、早足程度の速さで走り出す。

 まだ気温も高いし、日差しも強い。とりあえず一キロくらいでいいか。

 そう思った矢先、まだ目標の三分の一も走らない内に、

「はあ……、はあ……、はあ……、はあ、はあ、はあはあはあはあ」

 先輩の息はみるみる荒くなっていった。

「な、ながっ、の、はあ……りゅ……たろ、くん……ちょっ、と、はあ、はあ……待ってくれ、ないか……うあっ」

 足がもつれて転ぶ先輩。俺はしばらく足踏みして待つが、先輩が起き上がる気配は無い。

 持久力もバツ。


 先輩が回復するまで、待ち続けること三十分。

 ようやく息が整った先輩は俺が買ってきたスポーツドリンクを煽る。

「ぷはっ、体に染み渡っていくのがわかるよ。さて、永野龍太郎君、次は何をするんだい?」

「次って、大丈夫ですか?」

「うむ、心配はいらないよ。だいたい、これは特訓だろう? 厳しくて当たり前じゃないか。せっかく君がやる気を出してくれたんだ。私も、頑張らなくてはね」

「ん、ああ……そうですか」

 訂正も反論も飲み込み、適当な返事でごまかす。

「それじゃあ、次にいきましょう。特訓らしく、筋力トレーニングです」

「まかせたまえ!」

「最初は腕立て伏せから」

 肩幅に足を開いて膝を着き、雑草の上に体を横たえる。同じく手も肩幅に開き、体幹がまっすぐになるよう意識して体を持ち上げる。

「うむ! う……む、むぅぅ~」

 先輩が俺の真似をして横になり、体を持ち上げようとする。

 持ち上がらない。

 一向に、持ち上がらない。

「む~、むぅぅ~、ふん~!」

「はあ……」

 筋力も、バツ。

「先輩、膝を着けば持ち上がりますか?」

「む~、ん? 膝を着いていいのかい?」

 先輩は膝を着き、上半身だけを持ち上げる。震えてはいるが、これならなんとかできそうだ。

「膝をついたままでいいので、腕立て伏せをしてみてください」

「よし!」

 震えてはいるが、先輩は二回、三回と体を持ち上げ、五回目で力尽きた。

「はあ……、はあ……これでいいのかい?」

「ええ、上出来です」

「……」

 先輩が驚きを浮かべる。

「なんですか?」

「いや、君が素直に誉めてくれるとは思わなくて……」

「そんなに驚かなくたっていいでしょう。実際、先輩は膝着きで腕立て伏せが出来たわけですから」

「まあ、そうだけれど」

 先輩がむう、と唸る。

「君と出会って四日。風に聞く噂と、私が君に抱く印象はどんどんかけ離れていくよ」

「噂、ですか」

「私は君が、冷血で傲慢で高慢知己な糞野郎だとは思わない」

「本人を前によく言ったものですね」

「陰口ならいいというものでもないだろう?」

「まあそうですね。でも、そういうのは好きに言わせておけばいいんです。先輩が思わないだけで、それが俺の本質かもしれない」

「違うね」

 先輩が真剣な眼差しを向けてくる。それは、ほんの少しだけ、写真で見た子供の頃の先輩の目に似ている、ような気がする。

「何を、根拠に」

「根拠なんてないけれど、自信はあるよ。君は噂のような人間じゃない」

「四日でわかるものですか?」

「例え四日でも、私たちは肌を重ねた仲じゃないか」

「その言い回しは止めてください!」

 俺の抗議は、先輩に豪快に笑い飛ばされたのだった。


   *


「いち……、はあ……、にい……」

 さっき教えられたことを思い出しながら、膝をついたままの腕立て伏せを繰り返す。

「……、ごっ」

 目標の五回を終えて、床に伸びる。

「膝つき腕立て伏せ、五回、五セット、終わったあ……。えっと、次は?」

 ごろりと床を転がり、テーブルに置いたノートの切れ端を手に取る。

「腹筋のトレーニング、か」

 特訓の後、彼がくれたメモだ。私でもできる筋力トレーニングのメニューが、イラスト付きでわかりやすく書かれている。

「本当、なんでもできるなあ」

 胸の奥底が痛い。

 痛みの原因はわかってる。

 これは――

「ただいま」

 玄関の扉の開く音と、母の声が聞こえる。慌ててメモをポケットに押し込み、まだ姿の見えないお母さんへとあいさつを返す。

「おかえり」

 間を置かず、リビングの扉を抜けてお母さんが入ってきた。

「あら? 体操着のままなんて、珍しいわね」

「えっと、体育祭が近いから、練習しようって言われて、放課後にちょっとね」

「体育祭かあ……、ふふっ、あなたのことだから、転んじゃわないかしら。大丈夫?」

「大丈夫じゃないかも……」

「あらあら」

 お母さんが床に寝転がったままの私を見下ろして笑う。

「まったく、駄目な子ねえ」

「うん、本当に駄目だめ……」

「とりあえず、早く着替えちゃいなさい。汗をかいたままだと、風邪を引くわよ」

「はーい」

 テーブルに手をかけて立ち上がり、脱衣所へ向かう。汗で湿った服を脱ぎながら、ほっと息をついた。

 運動で火照った体に、ぬるめのシャワーは最高に気持ちいい。目を開けたまま見上げる。目にお湯が入って染みるけど、流れているしずくのどれが私の涙で、どれがお湯なのかは区別がつかない。

「着替え、ここに置いておくわね」

 突然お母さんに声をかけられて、シャワーを浴びているはずなのに、背筋が凍った。

「う、うん! ありがとうママ」

 大丈夫、大丈夫、大丈夫……。

 自分に何回も言い聞かせた。

 跳ね上がった鼓動が落ち着くのを待って、お風呂場から出る。お母さんが準備してくれた服に袖を通している時、洗濯機が動いているのに気がついた。

「あ、私の体操着、洗ってくれてるんだ」

 何かを忘れている気がする。

 胃の底からこみ上げてくるような不安。

 その正体は、リビングに戻ってすぐにわかった。

「あ……」

 お母さんはソファに座って俯いていて、どんな表情をしているのかは見えない。

 でも、笑顔だけはありえないと思った。

 だって、テーブルの上には私がお風呂場に行く前には無かった、しわくちゃの紙が置かれているから。

「――ねえ、これは何?」

「あ、のね、その……」

 喉が張り付いて、声が掠れる。

「特訓メニュー、その一、膝つき腕立て伏せ、五回、五セット。その二――」

 お母さんが、メモに書かれていることを、声に出して読み上げる。

「――以上で終了。続きは明日。……何よ。何なのよこれは。これは!」

 金切り声に身が竦んだ。思わず目を閉じると、間髪入れずに押し倒された。頭を痛みが襲い、世界に光が飛ぶ。

「これは何これは何これはなにこれはなにこれはああああああ! これは何よおおおおおおお!」

 襟を掴まれ、強引に揺さぶられる。

「駄目でだめ駄目だめ駄目だめなあなたが、何でこんなもの!」

「おかあ、さん! 聞いて! おね、がい!」

「なんでなんでなんでなんでなんでえ! これは、ここおここここれ、これ、これは」

「それは、今日、クラスの子に無理やり……」

 急にお母さんの手から力が抜け、私の体はまた床に叩きつけられた。

「ごほっ、ごほっ……」  

「無理やり?」

「う、うん。私は駄目な人間だから、せめて足を引っ張らないように特訓しろって、クラスの子たちが無理やり持たせたの」

「それじゃあ、あなたは、やっぱり、駄目なのね?」

「そうだよ、お母さん。私は、お母さんがいないと駄目な私だよ」

 お母さんが私の上から降りて立ち上がる。そして、私の手を引いた。

「そう、あなたは私がいないと駄目なのね」

「うん」

「うふふ、私が必要な、私よりも駄目な子……」

 お母さんが、私を優しく抱きしめる。私も、お母さんの背中に手を回した。

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