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欠陥少年  作者: 潮原 汐
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 もやもやする。

 学校へ向かう足が、いつにも増して重い。

 あれから一晩、俺は二つの気持ちの間を行ったり来たりしていた。

 ろくでもないことばかり頼まれるのだから、もう先輩とは関わりたくない。

 そう思う一方で、俺が写真を見てしまってからの先輩の変わり様が気になる。

 先輩は俺に帰れと言った。突き放されたのだ。もう面倒ごとに巻き込まれないで済むではないか。

 しかし、写真を見たことで先輩を傷つけてしまったのなら、一度会って謝るのが筋だとも思う。

「はあ……」

 どうして俺がこんなことで悩まないといけないんだ。先輩にかかわると、本当にろくなことがない。

「おはよう、永野龍太郎君」

「うわあっ!」

 突然、目の前に先輩の顔が現れた。俺は驚きのあまり、仰け反り過ぎて尻餅を着いてしまった。大声を出したこともあって、周りにいた通行人の視線が集まる。

「おやおや、大丈夫かい?」

 先輩が手を差し伸べてくれるが、俺はそれを無視して立ち上がった。

 尻を払い、咳払い。

「あっはっは、照れる君はなかなかかわいいものだね」

「くっ……」

 先輩のあっけらかんとした笑い声で、先ほどまでの悩みも吹き飛んだ。

 やっぱりろくでもない。

 笑う先輩の横をすり抜け、早足で歩く。

「まだそんなに急がなければならない時間じゃないだろう? ゆっくりと行こうじゃないか。でないと私は疲れてしまうよ」

「どうして一緒に行くこと前提なんですか」

「それは理由がほしいことかい?」

 そんなことを話している間に、俺のシャツの裾は、先輩にがっちりと捕まれていた。俺は諦めて歩く速さを緩める。

「逃げませんから離してください。シワになります」

「うむ」

 いつもの先輩だ。

 にやけた笑顔に、こっちの都合を考えない行動。

 落ち込んでいる様子も、怒っている様子も無い。

 もしかすると、俺が深く考えすぎていただけで、本人にしてみればただの気まぐれだったのかもしれない。

 つくづく、先輩だ。

「さて永野龍太郎君」

「なんです」

「昨日はすまなかったね」

「はい?」

 考えたそばからこれか。

「まさか忘れたわけじゃないだろう?」

「ええ、まあ、覚えていますよ」

「私から呼んでおいて帰れというのは、あまりにも自分勝手だった」

「……先輩から自分勝手なんて言葉が聞けるとは思いませんでした」

「馬鹿な私だって、それくらいの言葉は知っているさ」

「冗談ですよね……?」

「ん?」

 先輩は首を傾げる。

 呆れて言葉も出てこない。まあ、どんな言葉を用いたところで、先輩とまともな会話なんてできないだろうが。

「そうだ永野龍太郎君」

 先輩が芝居じみた仕草で手を叩いた。

「今週末に何があるか、当然知っているね?」

「うっ、……ええ」

 似たような質問をされたことがある。

「雨が降らなければ、体育祭があります」

「その通り!」

 これはもう予感ではなく確信だ。先輩が次に話すのはこう。

 そこで君にお願いがあるんだ。

「そこで君にお願いがあるんだ」

 やっぱり。

「無理です」

「まだ何をお願いするのか言ってないよ」

「先輩が体育祭に向けて俺にするお願いなんて、一つしかないじゃないですか。『一位になりたい』、でしょ?」

「君、天才を通り越して超能力者にでもなったのかい?」

「こんなの俺じゃなくたってわかりますよ!」

 思わず大きな声を上げてしまったせいで、再び視線が集まる。そこから逃げるように、止まっていた足を慌てて動かした。

「でも、どうして無理だなんて言うんだい?」

 先輩が隣に並びながら訊いてくる。

「君は天才じゃないか」

「俺の才能の有無は関係ないでしょう? 一位を取りたいのは俺じゃなくて、先輩なんですから」

 先輩の運動神経の悪さは、出会いのきっかけになった縁石渡りで確認済みだ。今日は木曜日で、体育祭は土曜日。たったの二日では、先輩の運動神経はどうにもならない。手を貸そうにも、体育祭はクラス対抗で競うから、先輩とは敵になる。

 もうしたくはないが、追試験のようにイカサマをするのも無理だ。試験監督の教師一人と全校生徒を騙すのとではわけが違う。バレずに行うのは不可能だろう。せめて俺が実行委員であれば、或いは実行委員に協力者がいればなんとかできたかもしれない。それも今更考えたって手遅れだ。もうどうにもならない。

 しかし先輩は口の端を吊り上げた笑みのまま、お決まりといわんばかりに、指を一本立てた。

「料理と同じだよ。私一人では駄目でも、君と二人ならできる」

「二人ならって……」

 俺にチームの垣根を無視しろとでも言うのか。間違い無くつまみ出されるぞ。

「まあ、君は一年生だからね。知らないのも無理はない」

「二年生の先輩になら、わかることがある、と」

「その通り。いいかい永野龍太郎君」

 先輩がずいっと顔を寄せる。

「我が校の体育祭には、ずっと昔から続く、とある競技があるんだ」

「つまり、そのチームが関係なく二人で出場できる競技に一緒に出てほしいと」

「……君、本当に超能力者じゃないんだよね?」

「もう超能力者でいいですよ……」

 とにかく、先輩のお願いとやらはわかった。それがどんな競技であれ、直接手を貸せるのなら、先輩に一位を取らせるのは容易いだろう。カンニングのときとは違って、疚しいことも無い。

 ならいっそ、さっさと手伝うと言ってしまった方が楽じゃないか? 断られた先輩は、何をしでかすか全く予想が付かない。

「はあ……、わかりました」

「おお」

 先輩の両手が、俺の右手を包み込む。

「永野龍太郎君、私と一緒に出てくれるんだね?『愛の障害物競走』に!」

「ええ――えぇっ!?」

 耳を疑う言葉が聞こえた。

「まさか君が、こんなにもすんなりと引き受けてくれるとは思わなかったよ」

「待って、待ってください! 先輩、今なんて言いました?」

「え? えっと、うーむ」

 腕を組んでしばし唸る先輩。

「なんだったかな」

「たった今のことを忘れないでください! 『愛の障害物競走』のことですよ!」

「あっはっは、まさか君が」

「ええ俺もまさかそんな競技に誘われるとは思いませんでしたからね」

 歩幅を大きくすると、先輩は半ば駆け足で追ってくる。

「君、歩くのが速いよ」

「やっぱり出ません」

「む?」

「『愛の障害物競走』なんて、頭の悪そうな名前の競技には出られません」

「そ、そんな……今さっき、君はわかりましたと言ったじゃないか!」

「その言葉もさっきみたく忘れてください」

「なんでいきなりそんなことを言うんだい? ひとまず、待ちたまえ」

 先輩に腕を掴まれるが、構わず引き摺ったまま歩き続ける。

「出ません出ません、そんな怪しい競技には出ません」

「いったい何がそんなに嫌だと言うんだい?」

「言わなければわかりませんか?」

「わからないよ。私の頭の出来は、君だってよく知っているだろう」

「ああそうでしたね、馬鹿でしたね」

「そうだよ、だから言いたまえ~!」

 手で掴むだけでは振り払われると思ったのだろう。先輩は俺の腕をきつく抱き締めた。柔らかな感触が腕を包む。

「ああ、もう! いいですか、つまりですね!……その、つまり……、『愛の障害物競走』ですよ? それに、二人で出るってことは、ですよ? そういう関係、って、ことじゃないですか」

 顔が燃えるようだ。

 これはなんだ?

 どうして、うまく口が回らない?

「そういう関係とは、どういう関係だい?」

「くっ、それは…………カップル……とか……」

「カップル? ああ、ああカップルか!」

「大きな声で言わないでください!」

「あっはっは、なんだそんなことを気にしていたのかい、永野龍太郎君」

「そんなことって……」

 なんで先輩はこんなに余裕なんだ?

 逆にどうして、俺はこんなに余裕が無いんだ?

「永野龍太郎君、そのような心配はいらないよ。なにせ、『愛の』とは名前ばかりだからね」

「は、え?」

「昔は確かにカップルが愛を競うものだったようだけど、今はただの障害物競走なんだ。出場するのだって、男女に限られてるわけでもない。去年優勝したのは、女装した男子二人組だったくらいだよ」

「それじゃあ、俺と先輩が出ても、勘違いする奴は」

「いないだろうね」

 こともなげに言う先輩。

 それを聞いて、急速に思考が冷静さを取り戻していく。同時に、羞恥が俺を苛んだ。自分は何を考え、何を言ったのか。俺の頭は先輩の頭と違って、容易く忘れてはくれない。

「誤解も解けたことだし、出てくれるんだろう」

「……嫌だ、とは言わせてくれないんでしょうね」

「なあに、私は君が実にうぶな少年であると知ってしまっただけだよ」

「くっ……」

 にやにやにたにたと、先輩の笑顔が実にねちっこい輝きを放っている。

 どうして結局は先輩の手伝いをすることになるのか。

 目下、最大の疑問である。


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