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星の書  作者:
5/15

-05-

 だれもがしる庭園。


 絶対のひとつ。


 くくられた楽園。


 不可侵のりょういき。


 我、世界を思う故に、我は箱庭に在りて、世界を識らず。



 

 

 胸いっぱい、緑につくられた空気を取り入れ、私は初めて瞼を上げた。


 鏡の世界から逃れて辿りついたこの世界は、やはり狭かった。

 反響の世界ほど圧迫感はない。

 むしろ周囲に並ぶ緑の垣根は、開放感を訴えかけてくるかのようだ。


「どうにか逃げられたか」


 空には厚い雲。

 周囲は緑、前には庭園と呼ぶべきだろう空間。

 薄くだが霧がかかり、今にも降りだしそうな暗さが辺りを隠そうとしている。

 その中に白く小さなテーブルとイスを見つける。

 いつの間にか、そこに腰を落として目を伏せているアルマゲスト。

 と、あと一人。


「“庭園”と申します」


 聞く前に名乗る真っ白な女性。

 逃げた先には新たな敵(かもしれない不気味な存在)が待ち構えているなど、知る由なかった私は再び視界が暗い闇に伏していく感覚に見舞われた。





 -05:庭園-





 異常に気付いたのは、欲したはずの芝生の硬い感触ではなく、もっと硬質で繊細な感触が背骨に悲鳴を誘ったからだった。

 アルマゲストが目の前にいた。

 痛みで我を取り戻した私は、いつの間にかテーブルについていて、そのうえイスに腰掛け、不安の表情を浮かべて手を握ってくる庭園の温度に思わず冷や汗を覚えた。


「あなたたちのことを教えて欲しいのですが、よろしいでしょうか?」


 アルマゲストと目が合う。


 私は引いた手を確かめてその熱を思い出し、庭園の言葉を反芻する。

 教えて欲しいとは何事か。

 私たちの何を求めているのだろうか。

 はっきりと自分のことを伝えることは容易だ。

 自己紹介できない人間なんていない。

 私は問題なくとも、アルマゲストのことを多く知らない。

 その上、アルマゲスト自身が饒舌に語ってくれるとも思えない。


 今こうしている間も、まばたきをするのみのアルマゲストは、その小さな口から音が発する気配を感じさせないことに徹底していた。


 ……私だけがそう感じているのだろうか。


「ここは“私の庭園”――例え、例外高時の“反響”であろうと、他の者は一切踏み入ることのできない世界です」


 庭園は言う。

 閉ざされた、ここはそういう世界。

 何者にも犯されることのない、ただし楽園ではない。

 庭である。

 その“限点”であると。


「なるほど」


 応答する私は、少なくともあの鏡老人が迫ってこれないという話を聞けただけで、胸につっかえていた恐怖の大半が霧散していくのを感じていた。


 しかし、アルマゲストが一言。

 “それでも敵だ”

 この世界に来てからの第一声にして、明確な敵意を庭園に見出していることから、この世界もアルマゲストの破壊対象なのだろうと悟る。

 静かに言い放ったアルマゲストに、庭園は結構と返した。

 私にはそれがどうにも不可解でならない。


「興味があって、私は庭を出ました」


 真っ白な女性は告白した。

 興味本位だと。

 その為にここにいて、アルマゲストと私にイスを差し出したのだと。


 この世界に誘導されたということだろうか。

 確かに、反響と遭遇した時のアルマゲストは異常をきたしているように見えたし、感じられたし、その通りでもあった。

 何よりも緊急脱出ということ、次に行く世界の方針を定めることなくやって来たのも事実だった。


「私は私に従って、あなたたちを知りたいだけです」


「知ってどうするんですか?」


 純白の女性が満足がしたいと答えると、アルマゲストはため息をついた。

 何事かと尋ねてみるが、アルマゲストは横に首を振るだけ。

 どういう意味だろう。

 庭園の答えも、アルマゲストの反応も奇妙だ。


 私が感じるに、この世界は間違いなくアルマゲストの破壊対象である。

 庭園が言うに、この世界はアルマゲストと私のことを知りたいが為に差し出されたという。

 アルマゲストはそれを馬鹿げているとでも思っているのだろうか。

 確かに、自らの命を投げ打ってまでして得るものが情報だけというのは、社会を経験してきた私には非効率的で、非生産的にしか思えない旨みのない話であった。


「星書、アルマゲストさんを知ることで、私の庭園は消えるでしょう」


 それを知ってなお、庭園はアルマゲストを知的に求める。

 果たして彼女の何が知りたいが為に、庭園は己の世界を差し出すのか。

 そして――卑怯かもしれないが――私は庭園の質問に便乗しようとしている。

 罪悪感を抱くべき瞬間だろう、はずなのに沈んだ瞼の裏には反響の声が響いていた。

 その反響が紡ぐ糸が、薄れかけていた己の疑問へと微かな結び目を創り、罪悪感を吸い込んで張る。


「庭園さんは、彼女の目的が知りたいのですか?」


 私から質問を始める。

 最初の返答は肯定だった。


「世界を消して得るものはなにか。

 それは情報ですか?

 それとも質量ですか?

 あるいは輪郭なのですか?」


 どれを集めるにしても、世界を一つずつ破壊していくのは確かにやり過ぎな気がする。

 情報ならインターネットでも集められるし、質量なら正しい食事と運動で少しずつ、それこそ輪郭と一緒に時間経過でどうにでも調整できる。

 視線をアルマゲストにやると、いつの間にか添えられていたティーカップを両手で包んでいた。どこから出したのやら。


「私も教えて欲しいな、アルマゲスト」


 自分の手元に視線を落とすとティーカップ。

 どうやら庭園のなせる技のようだ。

 ここが彼女の庭というのは間違いない。

 警戒を覚えているうちに、ようやくアルマゲストは口を開いてくれた。


「全て」


 短く。

 いや、短すぎる。

 そのくせ欲張りが過ぎる。

 言わせてもらえば、その為に世界を壊しているということが――今更過ぎるが――信じられない。


「どうしてですか?」


 庭園が、温和な目を細めてアルマゲストを見つめる。

 私も知りたい。

 なぜアルマゲストは世界を破壊するのか。


「“かえる”ため」


 紅茶を一杯。

 静かに口に運んで喉を通したアルマゲストの瞼が少しだけ持ち上がる。

 つられて私も一杯口に含む。

 知覚が伝えるものを解釈して、私の嫌いなダージリンだと気づくと、庭園が次の質問を繰り出してた。


「それは家族のもとにですか?」


 アルマゲストは首を傾げる。

 わからない、と私には訴えているように見えた。

 “帰りたい場所が家庭”という意味ではなく“家族とはなんだ”という意味で。


「その為に彼女……?……えぇと、シオン、さんが必要なのですね」


 一度視線を横にしたアルマゲストがすぐに視線を落として小さく頷く。

 なるほど、私は切符か何かのようだ。

 もしや、反響から切り抜けるためのアイテム的な、盾のような、防弾チョッキのような認識なのではないだろうか。


「それは大変ですね。シオンさんは、どうして彼女と一緒に行動するのですか?」


 その問いには横振りで対応する。

 私自身がその疑問に決着を見出した時に、私とアルマゲストの旅は終わるだろう。これは、予感である。私が切符のような何かであるなら、必ずしも生きている必要はない。これまでのアルマゲストを見てきているから余計にそう思える。

 破壊で得る。それが彼女だ。死であり、終わりである破壊を、万物にもたらす。

 私から生命活動の必要性が消え失せるのはいつになることやら。


「私の中に奇妙な予感があります。

 アルマゲストさんはシオンさんを殺さない。

 それが二人の終わりだと思います」


 紅茶を一気に飲み干すアルマゲストに目配せしつつ、自分のティーカップの中身がダージリンからカフェラテに変わっていることに匂いで気付き、ため息をつく。

 敵地において冷静沈着すぎるアルマゲストに尊敬を覚える。

 私もアルマゲストに倣って一気に飲み干そうとし、予想以上の熱と甘味にむせてしまう。


「アルマゲストさんはシオンさんが好き?」

「……」

「シオンさんはアルマゲストさんが好き?」

「言われてみると、そうかもしれません」


「アルマゲストさんは選ばれたの?」

「知らない」


「あなたたちはよく泣きますか?」

「泣かない」

「いえ、特に」


「庭園さんはひとりですか?」

「はい。庭ですから」


「シオンさんは鼓動ですか?」

「はい?」

「やはり、今の質問はなしとしましょう。では、これから向かわれる世界に予定はございますか?」

「……」

「たぶん、アルマゲストが決めていると思います」


「そうだ、お菓子もありますが食べますか?」

「いえ、おかまいなく」


「この庭は、いつもならどんな景色が見えるのですか?」

「それはアナタたちと共に過ごした時間がつくり出せる景色が見られます。似通うことはありますが、いつもなんて景色は御座いません」


(ダメだ、全くわからん)


「アルマゲストさんはどうして“星の書”なのか、ご存知でしょうか?」

「……シオン、行こう」


 繰り返される質問の中、アルマゲストは唐突に立ち上がった。

 僅かながら、表情が変化していることに気付き、私は庭園が消されてしまうのではないか、という不安に駆られた。

 しかし、一度大きく深呼吸をしたアルマゲストは、白き庭園に予想に反した一言を残す。


「また来る」


 と、言う。が、待ってほしい。

 私も庭園の殺意は感じなかった。だが、その扱いはどうなのだろうか。

 見方によっては助けてくれた彼女のこの世界に、また来るということは、不躾も甚だしくないだろうか。


「拠点」


 高低差もなければ温度も感じさせない平坦な声でアルマゲストは言った。

 しかし、当の庭園は笑顔でそれを承諾した。


「私はあなたたちのことを知りたいです。もっと」


 手を引かれて席を立ち、僅かに明るくなった空に向かって跳躍する。

 私たちは無言のまま、辛うじて会釈して庭園を後にした。


 改めて、庭を抜け出し世界の混在する漆黒へ入り込むと、言い知れぬ不安がこみ上げてきた。

 再び反響の襲来してくる可能性があるし、庭園がほのめかしていた反響以外の何者かたちの存在も気になる。そいつらが襲ってくる可能性も、アルマゲストの行動を考えれば決してないとは言えない。そもそも庭園に攻撃の意思があったら、私たちは消滅していたかもしれない。

 そんな不安を別の言葉に変えて、私は聞く。


「アルマゲスト、次はどんな世界に行くの?」


 彼女も、本音を別の言葉に変えているらしく、いつもより少しだけ長い間を開けてから答えた。


「シオンと一緒に居たい」


 私もそれには同意する。

 庭園に好意の程を問われたが、自覚できるほどの好意をまだアルマゲストに抱いてはいないものの、見出しつつある。

 いや、魅了されているのだろうか。正直、私自身にもよくわからない感情が芽生えており、その感覚は恋や愛に近しかった。


「アルマゲストは私にどうして欲しいの?」


 その問いに対する彼女の反応は早かった。

 一緒に来て欲しいと。

 少しだけ、泣きそうな顔をしていたアルマゲストに違和感を覚える。

 それと同時、既に次の世界に入り込んでいたらしい私たちは灰色の壁に激突していた。



 ――庭園内――



 二人を見送った庭園は椅子に座ったまま、指先だけを動かしてテーブルとティーセットを茂みの中に隠し、霧を解除して曇天を夜天に変えて静かに呼吸を繰り返していた。

 そんな彼女の前に、反響老人は立ち、無遠慮に問うのであった。


「ここに変わった2人が来なかったかね?」


 庭園は静かに笑みをつくり、一度瞼を落とす。


「探している。

 もし、あれが“星の書”と呼ばれるものの『真書』であるならば、我らの世界は終焉を迎えて無に帰す。君や他の世界、私の世界……理にさえ載れば“創意”すら破壊し尽くすだろう」


 老人の口元にははしたなく焦りがこびりついている。

 いまは、それが何よりも不愉快だった。


「エコー、二度と言いません。私の庭から出てお行き。

 いくら私から開放しているとは言え、“安らぎの理”を持つ私には不可侵でいてほしい景色に外ならない」

「我々の世界が危ういという、その中で安眠とな?」


 老人が夜空に退く。

 ガーデンチェアをリクライニングに変化させ、夜空を仰ぎながら眠りを目指す私は、ひとつの提案をする。


「“創意”に聞いてみては如何かしら?」

「……よかろう、どう変わろうが君は庭園でしかない。理解も協力も高望みであったな、申し訳ない」


 言い残して消える反響の言葉など全く入ってこない。

 それよりも今は気になることがある。


(ヒサナギ、シオン……?)


 反響も追っているあの2人は、実に奇妙だ。

 片や小さな破壊者。

 それなのに、片や――最後まで違和感しかなかったが、間違いなく私たちと同じ――“世界”の何かだった付き添い人。

 シオン。

 久凪詩音。

 なぜ彼女は破壊されない。なぜ、終わらることなく共に旅をしているのだろうか。

 考えれば考えるほど私にはわからない。


 所詮、庭園の私が意志を以て迎え入れた世界の二人は、それだけ興味を抱かせるに十分な異質混在。


(いや、分からない。あるいはそういう世界か。もう、寝ましょう)


 次の訪問に備え、今日も庭園に夜は落ちる。


 

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