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星の書  作者:
4/15

-04-

 目を覚ますと私がいた。


 はて、と首を傾げてみると、目の前の私も同様の仕草を遅延なく返してくれた。

 手を伸ばしてみると、その鏡面に触れて真相に気付いた。

 なるほど、種も仕掛けもない、露骨なまでに大きな鏡が私の前にあった。


 しかし、理解できないのは、眼前のモノと全く同じ鏡が三枚、私を完全に包囲しているということだ。


 アルマゲストが“勇気”を葬ってから辿りついたこの世界は、どういう状態なのだろうか。


 前の世界のように文明の色が見受けられない。

 その前の世界のように自然が彩を飾っているわけでもない。

 私が初めて波紋に触れた砂漠のように、生命を感じることも一切ない。


 この世界は天井があった。

 低くて、私か座っていることしかできない低さだ。

 床や天井も、やはり鏡である。

 何が起きているのだろうか、知る術が見つからない。

 この状況を解決に導ける可能性を秘めた、アルマゲストも見つからない。


 いや、待て。おかしい。


 狭い。

 息苦しい。

 どこにも自分しかいない。

 冷たいような、暑いような曖昧な空間。

 唯一の救いは、光源もないのに、この世界を視認することができる、ということ。

 しかし、その唯一さえ帳消しにしてしまう混乱が私の中に起きている。

 アルマゲストは、アルマゲストだろう。

 認識がおぼつかない。

 目を瞑り、暗闇の中で必死に呼びかけ、呼び起こし、呼び戻す。果てしない、水平線に囲まれた(いかだ)から放り出され、それでも一本の細いロープを手繰り寄せて筏に戻ろうとするが如く、抜け落ちていてはいけないはずの常識を瞑目の闇の中、独り危うく息を荒げて手繰る。


 再び瞼を上げると途切れてしまう、そんな危うい揺らぎの中で、私は自分を取り戻す。


 そうだ。

 私が『アルマゲスト』だ。

 この鏡は何だ。

 どうして自分がわからなくなる。

 見えている自分を見失うとはどういうことだろうか。

 それがこの世界の真理(かみ)なのだろうか。

 壊さなくては。

 これまでの世界をそうしてきたように、例外なくこの世界も破壊しなくては。


 しかし、身体が動いてくれない。

 痛みはない。

 身体に異変は見られない。

 でも、動かない。指一本すら。

 辛うじて瞼が上下し、呼吸ができる程度にしか、私の身体は機能していない。


“そうか、君が噂の新人か”


 私は思わず目を開いた。

 頭に響いた声は誰のものだ。

 この鏡の世界の住人にしては、頭が痛い。

 いままでいくつかの世界を見てきた結論から逆流するならば、この頭痛は根源によって響くモノ。

 つまり、世界の中心だ。

 消えてなくなればその破滅が世界に連鎖してしまう責任を背負った核。

 あるいは脳、あるいは心臓、あるいは主人、あるいは最上、あるいは絶対点、あるいは、神。

 世界によって呼び方の異なるその概念がいま、私の目の前に居た。


 老紳士の姿を写した鏡は、私と向き合っていた。




 -04:反響-




 “わたしは君に手を出すつもりはない”


 老人は宣言する。

 なにもしないなら、こちらから壊すのみだ。

 しかし、身体が動かなければそれも叶わないだろう。

 自分が鏡によって囲まれていることが反射で分かる。

 どうしようもない空間。

 いや待て。

 まただ。

 これもおかしい。

 さっきは少しでも身体が動いた。

 それなのに今は瞬きと呼吸しかできない。

 目の前の老人はなにもしない、とは言っていたが。

 果たして、その宣言はこれからを意味するものなのではないか。

 既に何らかの処置が終わっている可能性だって否定できない。

 そうでなくては自分を見失うほど錯乱するなど有り得ない。


“君のルールに則って名乗るなら、私の名前はエコー”


 呼吸は出来ても発言ができないことに気付く。

 思考は、まだ生きている。

 先程のような錯乱は、いまはない。

 目の前の鏡が気になる。

 おそらく鏡が武器。

 殺傷武装ではない、もっと深刻な手段だろう。

 それも蜜のように侵し込んでくるなにかだ。


“私は指導者によって君と向き合っている”


 だが、私は老人と向き合っているだけだ。

 新たに気づいたが、この鏡は物理を写さない。

 思考を映すのだ。

 私の気付きを悟ったエコーの鏡面に、うっすらと黒色の映像が流れ始める。

 それは私の願望だ。

 この世界を終わらせて次へ行き、そこにも終わりをもたらし、更に次へ、次々へと、止まることなく進み続ける。


“君は孤独になりたいのかね?”


 鏡面の黒色が映える。

 うっすらとしか映っていなかった色彩に塗りつぶされた私は完全に鏡から消えていた。

 願望が強まる。

 話さなくては。

 破壊しなくては。

 殺さなくては。

 終わらせなくては。

 止まってはいけない、止まりたくない。

 でも全然動けない。

 どうしてか分からない。


“答えが出る頃には戻ってこよう。もう一人の方も気になるからね”


 老人の声が遠ざかる。

 姿が見えるわけでもないのにわかる。

 はて、もう一人と来たか。

 シオンもはやり鏡に囲まれているのだろうか。



「うん」



 はい、私。

 当人です。

 久凪詩音ですが、鏡に囲まれて他に何も見当たりません。

 どういう状況なのか皆目見当がつきません。

 四方、そこかしこから響いてくるこの声は、間違いなくアルマゲストだ。

 これは、間違いないんだけど。


 私は、アルマゲストが言う通り迷っている。

 アルマゲストの声だけが聞こえるというのが逆に不安を煽る。

 どうやらヤバいのと遭遇したらしいアルマゲストを助けるためにも、私が狼狽してはいけないだろう。

 はたして、私如きが理解の追いつかない者たちの間に入っていけるのだろうか。

 見えない、大きな不安もあるが、今は何が何でもたどり着かなくてはいけない気がする。


(触れることができないと、アルマゲストに老人をどうにかすることはできない!)


 反響(エコー)とは何者だろう。

 考えずにはいられなかった。

 生命を全く感じさせない反射の世界で、唯一輪郭を想像させる声。

 だが、一切の感情を伴わない極端に事務的な口調。

 そこから連想させる人肌は、限りなく冷たかった。


(アルマゲストの視界に何か細工をされた?

 そうでなきゃ、これだけの異常の中で相手と自分を見失うなんて有り得ない!)


 アルマゲストを閉じ込めているのは、反響という老人――と、他の誰か。

 アルマゲストは老人を“かみ”と呼んでいた。

 それを殺そうともしていた。

 老人を前に、初めて躓くアルマゲストを感じ取った――戦慄した。

 老人の底知れなさが、アルマゲストの狂暴を私に再認識させてくれた。

 なにが起こっているんだ。

 私の世界が死んだ理由がわからない――ここに居る理由も。

 私の本能がアルマゲストを求める理由もわからない。


「私はここに居るよ!」


 反響する声に、鏡面が震える。


 そう言えば老人はもう一人が気になるとアルマゲストに告げていたが、それは私のことだろうか。

 だとしたら、老人が私に辿り着く前に鏡の囲いから逃げなくては。


「え?」


 私は降りかかっている異変に、今更ながらその本物に気付いた。

 私はここに、確かに居る。

 私が、しかし鏡面には、虚空しか映っていない。


 なんだこの鏡は。

 なにを映している鏡なのか。

 なんの為の鏡なのだろうか。


 あまりにも不可思議で、不自然で、なにより不気味だった。

 鏡の前に立っている実感を失う。

 私の輪郭が否定されている気さえする。


「でも行かないと」


 試しに殴ってみる。

 だが、鏡は私が想像していたよりも遥かに硬質で、ただでさえ非力な私には天地がひっくり返りでもしない限り破壊はおろか、傷つけることすら不可能であろうことが殴った感触で伝わってきた。


“やめなさい”


 老人の声が響く。エコーと名乗った、アルマゲストを止めている者の声が。

 私がここでエコーの言葉を聞く理由はない。

 本能は依然としてアルマゲストを求めている。

 進むべき未来を握るは彼女だ、ここは留まる場所ではない。今は、敵わぬ場所である、とも。


 鏡面に全体重をかけてみるが変化はない。

 実に厄介な壁である。

 押しても殴っても蹴っても傷一つ浮かばない。

 まるで私の相手をしてくれない鏡に、それでも抵抗を続ける。

 衝撃が駄目ならと、手のひらを鏡面に密着させて温める。当然の如く意味はなかった。


“彼女は、『星の書:アルマゲスト』――純粋な世界に終末をもたらす巡り”


 指でなぞる。

 滑らかな面には指紋一つ残らない。

 やはり徹底して私の存在を映そうとしない鏡らしい。

 忌々しい鏡面に指で『砕』の字をなぞりつつ、アルマゲストを助ける方法を考える。

 心なしか、先ほどからエコーの声が近づいている。

 面と向かい合ってどんなことが起こるか想像できない。

 アルマゲストでさえ何もできずにうずくまっているのだ、私など一蹴のうちに終わりを迎えるのではないだろうか。

 人間が塵芥を意に介さずに踏み飛ばすように、私も鏡面に認められることなく消えるのだろうか。


 それでは何のために恐ろしい結末を飲み込んで乗り越えて野放して、それでも(すが)りながらここまで来たのだろうか。


 『アルマゲストの答え』を見たいからじゃないのか。


 繰り返される終わりの果てに、私の世界が終わる必要性があったのかと問い詰めるために、生きてアルマゲストを証明して決着を臨むために。

 だからこそ、ここまで来たのではないか。


 天上に手をついて隙間を探す。

 諦める理由を覆い隠すだけの意地が、私にはある。

 助けないと。

 今更気付いた私の動機なんて、些細だ。

 肝心なのは、アルマゲストの救出と鏡の境からの脱出だ。


“君は、幽霊か何かか?”


 妙な質問だった。

 確かに私の世界は死んだ。

 だが、私には死んだという実感が抜けていた。

 はて、この質問は攻撃だろうか。

 言われてみれば、私は自分に死の実感がない。

 裏を返せば、死んでいることに実は気付いていないだけという可能性の示唆でもある。

 鏡面に映らない自分に対し、そういう感想を抱けなかったのは確かだ。


“おかしな輪郭だ。鼓動を知っている、回転を知っている、知的で未来を創れる、なのに落ち着かない”


 声がかなり近づいている。


 汗が浮かび上がる。

 暑いわけでない。

 死ぬと確定したわけでもない。

 ショッキングな映像を見せつけられたわけでもないのに。

 それでも目に見えぬエコーの存在感が、接近してくる未知が、暗闇と同等かそれ以上に怖かった。

 依然として一歩を踏み出せない私は天上天下、前後左右を塞ぐ鏡面のありとあらゆる場所に手を伸ばし、足蹴を飛ばし、指を這わせ、耳を充て、目を凝らし、腰を落として頭を抱え、やはり見つからない突破口に、ついつい叫んだ。


「アルマゲスト」


 と。

 長く、大きく、広く。

 立ち上がり。

 届け、届けよと、祈りながら。


“ほぅ、しまったと言うべきか”


 エコーが何か呟いていた。

 背後に老人の気配を感じる。

 枯れ細った老人エコーの白髪は、紳士風の衣装をまといつつも隠棲を思わす寂しげな佇まいを弱々しくみせようと助けていた。


 全身の力を以て叫んだ私は、深呼吸をしながら前方の鏡に頭から突っ込んだ。

 するとどうしたことか、鏡がたわんで僅かな反発が私を押し返そうとするが、如何せん反発が弱い。


 私は走り出した。

 正確には心が、だ。

 アルマゲストへの道が開かれた気がした。

 目の前のたわんだ鏡なら突破できるという予感が脳裏をかすめた。

 助かる、助けられる。

 まだ、生ける。


「見つけた」


 私は、三度目の体当たりをやめた。

 鏡に隔てられない、確かな声が私に届いたのだ。

 アルマゲストの、私を求める声が聴こえた。


 私がアルマゲストを探していたように、アルマゲストもこちらを探していたらしい。

 お互いの声が響き合い、そこからは電光石火とも言えた。


 二人を遮る鏡面が全て砕け散り、悲鳴をまき散らしながら世界を乱反射する。

 距離にしてみれば10メートルもなかっただろう。

 エコーの姿は依然として見えない。

 だが、姿を容易に連想できるという恐怖が消えたわけではない。

 アルマゲストはこの世界でエコーに負けたのだろうか。

 四つん這いで暗中模索、声だけを頼りに私を目指しているらしい。

 外傷は見当たらないが、沈鬱に見える表情から何がしか揺らいでいるのだろうと分かる。

 私はすぐにアルマゲストの傍らに寄り添い、肩を貸して立たせた。


“行くか、では覚えておくがいい”


 エコーは追ってこない。

 それは勝者としての余裕か。

 或いは、それ以外の追撃ができない理由を持ち合わせているのだろうか。

 私には分からないけど、アルマゲストにならわかるのかもしれない。

 だから、いまは逃げるしかない。

 生きていればもう一度挑めるだろう。

 今すぐの勝利に価値観を見いだせないなら、先に伸ばしてもいいじゃない。

 実質、私ひとりでは何もできないのだ。

 ここに留まる理由なんて、エコーが欲さない限り有り得ないだろう。


“これは『我々の創意』である”


 項垂れるアルマゲストに囁く。

 一度別の世界へ行こう、強くなってからもう一度挑戦しよう、いまは飛ぼう、と。

 少しずつ視界を取り戻しているらしいアルマゲストが、自分の手を見つめながら頷く。

 前触れもなしに私たちの視界は薄い白闇に染まっていく。

 慣れないジャンプである。違う世界へ飛ぶ、飛び込み。


“我らは創造を識る者”


 エコーの声が薄れゆく。

 私は初めて、アルマゲストが何と戦っているのか、気に留めたのだった。


“意味を与えない破壊者よ……必ず君を止めよう”




 


 2人が鏡の前から消えた時、エコーはアルマゲストの評価を上げた。

 付き添いの一般人らしき女性も、そうとう危険な匂いがした。

 しかし、やはり危険度で人物を測るなら、アルマゲストはこれまでの個々に比べて神懸っているとさえ言える破壊力を有した生命体だ。


“手懐けることは『不可能』だな”



 

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