-03-
オアシスの世界(前話)
↓
森の丘の世界(カット、むしろスキップ)
↓
破滅の世界(今回)
-03:勇気-
見上げたら流転の星空。
目の前に少女の後ろ姿。
足元には目を背けたくなるような血塗れの地獄が広がっていた。
いま、この世界は怪物によって蹂躙されていた。
ソイツはとても大きく、なのに俊敏で素早く、怪力無比で狡猾、何より正確だった。
私はソイツが世界を破壊していく様を見て、同じことが自分の世界で起こらなくてよかったと胸を撫で下ろしていた。
この世界の人々は気の毒という他ない。
踏み潰され、凪飛ばされ、噛み砕かれ、あらゆる神話を一斉に奪われ、抗えない終わりを決定づけられていた。
前の世界の終わりとはまた打って変わった光景である。
軍隊に囲まれた前の世界と違い、この世界の人たちには私たちの姿は認識できないらしい。
怪物が生み出されて放たれる前に話しかけたり、こちらから触れてみたりと、あらゆる方法で接触を試みたが、この世界の住人と私たちは直接の干渉が不可能だった。
私はつい、これならアルマゲストも破壊を行えないのではないか、と好奇心を抱いたものだ。
しかし、彼女は、アルマゲストは、逡巡もなくこの世界に終焉をもたらした。
「アルマゲストは何がしたいの?」
私は破壊者に問う。
出会ってからずっと同行してきて気付いたアルマゲストには、世界の終焉という光景がつきまとっている。厳密には、アルマゲストが終焉をもたらしている。
私が知る限りでも3つの世界が死んでいる。
砂漠の世界のオアシス、緑の世界の森から突き出した丘の上、そして、ここ赤銅色の蹂躙されている世界である。
「私を知りたい」
答えるアルマゲストは視線を怪物に向けたまま、つぶやくようにそう答えた。
果たしてこの世界の終わりと、彼女の自己分析がどのように結びつくのか、私は及ばぬ理解に腕組して首をかしげた。
終わりがもたらすモノは何だろう。
例えば、「家族の死」なら悲しみだろう。
例えば、「卒業」なら寂寥だろう。
例えば、「始まり」なら期待感だろう。
しかし、「破壊」や「終末」がもたらすモノには明確さがない。
例えば、「環境の破壊」なら、危機感を抱くのが一般だが、「ベルリンの壁」のように取り壊されて喜ばれるものだって確かに存在する。
終末だって、命なら悲しむし空しくもなるだろうし、動揺せずにはいられない。だが、仕事や責任からの解放には誰だって興奮するし、達成感から感動することすらある。
私が観察するアルマゲストが、それらの感情のうちのひとつでも感じていれば、少しは彼女に対する理解も深まるだろうが、なにぶんこれだけの大破壊を見せ付けておきながらアルマゲストは完全なる無表情なのだ。
まだ人形の方が活力を感じさせるのではないかと思わせるほどの、子供向け特撮ヒーローものに出てくる怪物の着ぐるみの造形のように固定された表情を崩さない。
「自分を知ることでアルマゲストはどうなるの?」
少しだけでも彼女を知りたい。
その欲求だけが、生きていた世界を破壊され、命以外の全てを失った私に残された動力である。
答えを期待はしていない。
アルマゲストは無口だ。
時に気まぐれで多くを語ってはくれるが、質問に素直に答えてくれるほどのやさしさを持っていない。
ふと、下の怪物とアルマゲスト、どちらが本当に怪物なのか気になったが、この調子ではこの世界が死んだ後に、あの怪物も何らかの理不尽に潰され、やがて完全なる世界の終焉がやってくるのだろう。誰一人、何モノも残らないゴミ箱の世界の出来上がりだ。
「あれは“勇気”」
怪物は四本の足で地上の文明を踏み躙り、高層ビルを握り潰す巨大な手であらゆるものを叩き潰し、地面を深く掘り返す長く鋭い尾で全てを断ち、全身の白い“外装/鎧層”が文明の反撃一切を跳ね返し、受け止め、絶望を嫌味のように振り撒く。
そんな、どうしようもない怪物。
だが、アルマゲストはそれを勇気と呼んだ。
私にはこれも分からなかった。
あれは勇気だろうか。
ただ壊すことが勇敢なのだろうか。
いや、待て。
確かに、モノを壊す時は勇気がいる。
アルマゲストが勇気と呼んだのは、そういう意味からだろうか。
人が人を殺すには、覚悟を要する。
絶対とは言えないだろうが、人生のどこかで、これから起こすであろう行動のために莫大な勇気を要する場面は絶対にある。
「勇気なの?」
愛する者への誓い。
怨敵への乾坤一擲までの道のり。
無関係な者を巻き込んでまで己の道を貫き通すことも、勇気とは言えるだろう。
だが、その勇気を誰が認めるか、その勇気が掴むモノはなにか、勇気を見せ付けられた者達の意思はどうだろうか。それらを含めて、あの怪物をはたして勇気を呼べるだろうか。
私は気付く。
緩やかに、しかし確実に、私たち二人の高度が落ちている。
私は半信半疑になった。
この世界に来た時、私とアルマゲストは干渉ができなかった。
私はそこにある種の安心を覚えた。
この世界の人は私たちを認識できず、私たちもこの世界の人に触れることが出来ず、まるで幽霊のようにすり抜けるばかりだ。
しかし。
私の中には大きな不安が、すでに生まれていた。
触れることのできない、世界は、アルマゲストに勇気を生み出させた。私たちが触れられないならと言わんばかりに、まるで代行者のように放たれた破壊者は、この世界の人々に絶対的な破壊をもたらした。
つまり、私たち二人の組から放った怪物は、本来接触不可能なこの世界の住人に触れることができる。
怪物が生まれる瞬間に、アルマゲストは明確にその白い身体に触れていた。
逆を言えば、怪物も私たちに干渉できるということだ。
その怪物の近くまで、私たちの高度は落ちていた。
あるいは“降りた”のかもしれない。
アルマゲストはやはり無表情のまま、怪物の背中を見つめている。
私が固唾を呑んで不安を押し殺そうと胸に手を当てると、まるでそれに反応でもするかのように怪物は蹂躙をやめて視線を合わせてきた。
「ねぇ、見ているよね、勇気が私たちを」
「終わりに向かっていった勇気、あなたはどう思う?」
少女の質問に私は困惑せざるを得なかった。
もし、怪物が襲ってきたら、次に発するであろう言葉が遺言ともなることだってありうるのだから。
私は素直に怖いと思う。
確かに、何かに挑む時に勇敢に立ち向かう人間には感動を覚えることだってある。
だが、それが間違った勇気ならば恐怖を感じざるを得ない。
喧嘩なんて分かりやすいだろう。
本当にそれは勇気を出してまで挑むものなのだろうか。
私には理解できない。
大事な者のために命を賭すことはできても、矜持や感情に任せたままの勇気には、憧れることなんてない。むしろ唾棄すべきだと思う。あくまで、私は。
それが他人を巻き込みながらも意思をまったく汲まない勇気であるのなら、それは発狂とどう違うのか教えてほしい。
少なくとも私はそこに感動や共感を見出すことはないだろう。家族の命が懸かっているという条件がつけば少しは変わったかもしれないが、何も残っていないいまでは想像の範疇を出てくれない、結局とつぶやける程度の虚像だ。
話を戻そう。
それでは、この怪物はこの世界を終わらすことで勇気を示したとでも言うのだろうか。
白い皮膚の目元に幾筋も走る血涙は、混乱の末に恐怖を克服した発狂者のものとは果たして違いがあるのだろうか。
「勇気は“選択”の隣人かもしれない。
変化に伴う境界線を跨ぐ一瞬。
変化の前と後。
変わる前の自分に別れを告げ、変わり果てた自分を受け入れるしかない。
その痛みに耐えることを“勇気”と呼ぶなら、耐えられなかった者を、あなたならなんと呼ぶ?
変わり果てるであろう自分の姿が想像できない、変わるということ自体理解できない、それでも本能が描いた境界線を感じている。
突然の不快感は常に境界線を伴い、それを解消するために勇気を以って変化を選択する」
わかる、気がした。
つまり自分を認めることができるかどうか。
今まで通りの自分を選ぶか、新たな自分を選ぶか。
過去を磨くか、未来を探すか。
新旧の問題だ。
勇気の咆哮が赤銅の空を震わす。
死に絶えた世界に気付き、思わず辺りを見渡す。
何度見回しても転がる物は瓦礫と死骸と残骸と炎と煙、これだけだ。
この世界にいまある生命は私たちだけだ。
「シオン、次に行くよ」
怪物が、私たちをその大口で包み込んだ。
人のような、動物のような、防壁を連想させる巨大な歯で囲まれた、次の瞬間だった。
暗闇が一瞬だけ広がり、また赤銅色の空が除き、それを血の雨が遮ったのだ。
私は拍子抜けな結果に、頬をひくつかせて凍りつくしかなかった。
突然私の手を握ったアルマゲスト。
彼女が勇気に五指を広げた右掌をかざしただけで、勇気は音もなく爆散し、破片同士の衝突音と血の雨だけが空しくも怪物の終焉を証明してくれた。
「私たちの選択は常にたくさん」
アルマゲストの左手から熱が伝わってくる。
やはり彼女は生きている。
不思議に生きている。
私の温度は、彼女に伝わっているだろうか。
「わからないけど、いっぱいの勇気が必要なのね」
そして私たちは閃光となって死に絶えた赤銅の世界に別れを告げるのであった。
Q.アルマゲストはどうやって怪物を生み出したんですか?
A.こちらをご覧ください。
「この世界の人には触れれないみたいだけど、どうするの?」
「……こうする」
そう言って、この世界の時間できっかり半年も歩き続けたアルマゲストは、口元を手で隠して静かに吐息を燻らせた。
すると、アルマゲストの手には白くつやつやした小さなトカゲのような何かが出来上がっていた。
それが何かと、私は怖くて聞けなかった。
また、それをどうするつもりなのかとも聞けなかった。
だが、私が質問する勇気を見出す前に、アルマゲストは動いていた。
おもむろに、人通りの中の一人を、いかにもという中年疲れが見受けられるビジネスマンの口元めがけて、吐息から生まれた謎の小さな生物(?)を投擲。
その投擲に気付かなかったビジネスマンは、大きく口を開いてわざとらしい溜息をついていたのが最後、得体の知れない小さな何かをつるんと飲み込んでしまったのだ。
「これで、終わる」
それから男は人外となった。
そして、破壊と殺戮を繰り返すたびに巨大な怪物へと姿を変えていった。
「あれって見た目さ、白玉みたいな食感だったのかしら?」
「……?」
それからというもの、この世界の人たちに触れることの出来ない私たちは、怪物の破壊劇をただ見守ることにしたのだった。