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投稿遅くなりました。
スキルアップに問題発覚。
ばく進を開始します。
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拍子抜けである。
どんな罠が待ち構えているものかと警戒してみれば頭上には晴天、周囲には濃緑の山々、静かに聞こえる生命の摩擦。
大いなる自然の孤立。その中で混沌とし合う人々。
場違い甚だしい私の姿に、消滅し合う空間の誰もが横目を降ることもせず、無限を思わす光景を延々繰り返す。
「戦争?」
甲冑、草鞋、刀、血。
それが今、シオンの眼下に広がる異変。
和風と言える戦争――イクサの光景である。
そんな光景が広がるこの世階は、本当にマイクラフトのものなのだろうかと疑ってしまう。
この戦争が今までの世界同様のものなら、アルマゲストに会うためのヒントが隠されているかもしれない。
意を決して血戦の野原へ足を向けると、近場に居た兵士たちが次々と霧散を始める。
私がその真ん中にたどり着くと、赤黒く寂れた戦場痕だけが残り、無音のせせらぎに焦りと不気味を覚えた。
これは攻撃なのだろうか。
豊かと言える自然、緑の木々やその隙間に感じる生命力、流れるざわめき、それまで人がいた痕跡たる血痕に、無残塗りたくられた川原の大小様々な石や転がる人工物。それらの全てがまるきり虚しい。
川沿いに進むと、上流の緑の鮮やかさに危機を忘れそうになる。先ほどまでの虚しさはなんだったのか、これまでの危地はなんだったのか。
ここは恐ろしく長閑な世界だ。なだらかに続く斜面に開いた道と、その途中で無記に立つ木の標識を越し、歩を川沿いから山の奥へ変え、一人寂しく進む。
この世界に決着をつける為にはどうすればいいのかと考え続けながら、アルマゲストのことを考え続けた。
私にとって、アルマゲストはなんなのだろう。以前、庭園で問われたことだが、改めて考えてみると明確な答えが出てこない。流されて私はここにいるのだろうか。意思はあっても、それは直感に起因するから、答えにはなっていないのだろう。
わからない。
そんな危機はいまが初めてじゃない。
アルマゲストが私を、“私の世界”を破壊した時から、奇妙な違和感があった。
「そっち?」
ひとりごちて進む。
アルマゲストがくれた違和感に似たものが私の中で脈動していた。未知の山奥を迷いなく進み、その終着点を予感して確信して接近の果てに一軒、時代がかった家――というよりは、草庵というべきか――を見つけた。先ほどの古戦場といい、この世界はどうやら果てしなく古い体を象ったものらしい。
「時代劇?」
真っ先に思い浮かべたそれを口にした時、わずかな風が散る針葉を頬に運ぶ。
わずかに雲行きに暗色が混じり始めたことを視界の隅に、一軒家の引き戸を押しのけて暗がりの中へと進む。石と木だけでできた外装と内装と、それら景観に違わぬ和服の男性が、大きな囲炉裏の傍らで胡座を組んでいた。
夢想するかのように佇み、切り揃えられた前髪にかかる囲炉裏の煙に動じることなく、待ち人に構えているかのような静かな姿勢を保っている。
私は、最初悩んだが草案の中に上履きを脱いで上がることにした。
この世界がこれまでと違う理由がない。
ならば、彼を攻略することがアルマゲストとの再会の鍵となる。
まるで侍という印象を受ける。私と同じ日本人造りの外見に加えて、髪型から着ているもの、雰囲気から挙って古めかしくてタイムスリップを錯覚させる。今時有り得るはずもないという意味でもそうだし、草庵の壁に大事に立てかけられている日本刀が真っ先にサムライという言葉を連想させた一番の要因かもしれない。
(こういう時って、どこに座ればいいんだろう?)
生憎と囲炉裏についての作法など知らないから、対峙のような形なるが真正面に座して、開け放たれていた引き戸を挨拶なしに潜ったことを思い出す。
誘導された感触はあるが、それでも礼を蔑ろにしたくない。
警告や障壁のように待ち受け、待ち構えているのなら軽い挨拶で済ませようが気後れを感じることはないが――もしや、とは思うが、この侍は寝ている可能性がある――少し土足が過ぎた自分に気付いた以上、しっかり謝罪は済ませておきたい。
「そう思って、座らせて頂いております」
それから実に半日ほどして、この世界の主は目を開けた。
細くて切れ長の目は、侍というよりも舞台上の歌舞伎役者のようで、その落ち着いた表情と物腰には何らかの覚悟のようなものが据えられている匂いがした。この時代錯誤な空間がそうさせているのかもしれない。
「君か」
その男の最初の言葉である。
勝手に上がり、男の覚醒を待っている間に考えていたのだが、かのモノは何となく敵意を覚えづらい。
理由は分からないが、その不思議を不気味とは思えない。
既視感なのかもしれない。どこかで接触した敵なのかもしれない。あるいは敵じゃなかったのかもしれないが。
「今回のこの騒動、皆から聞いているよ、ここまで来るのも大変だったろう」
囲炉裏のゆらめきに照らされ、男は名乗る。私が記憶を失っているということを何故か知った上で。
「私は“亜生”の【避来心】と申し上げます」
それから、久しぶりだねと、男は優しく付け足した。
-10:Plasma'SLeeper-
初見とも思えなかった理由を言葉にされて戸惑いを、隠しはしない。
火に新たな薪をくべる避来心は当然だという面持ちで私の身に起きたことを説明し始めた。
「君は以前私たちと同じ、君が“あるまげすと”と呼んでいる彼女のような世界の一部だった」
警告はされた。
アルマゲストは元は別の名前だった。今でこそアルマゲストだが、彼女にもルーツはある。
「君の始まりは“個”という純生だった」
そよ風が草庵をかすめゆく音を背景に囲炉裏が揺れる。
ほのかに渦まく温もりに、まばたきも忘れ避来心の話に全てを注ぐ。
「力を見つけていった君は、やがて純生という枠を抜け出して亜生――私と同じ分類へとやってきた」
純生と亜生。
その二つの大きな違いが分からない私は、避来心から差し出された緑茶を頂きながら問う。
「単純に、一つの事象を極めるか、一つの事象から他の複数へ開花・覚醒を果たすかどうかという違いです」
純生の例として、避雷針は愚者の名を上げた。
あの世界は砂漠とオアシスのみで構成されている。
仮にあの砂漠に迷い込む者があったとしても、選択肢はオアシスしかない。
だが、そのオアシスに何があったか。
私は、心の癒えることがないであろうと予感させる、アルマゲストが打ち砕いたオアシスを覚えている。
「亜生とは、そうだなここに居るということは、多核世階を見てきただろ。
彼も元々は“分離(division)”という純生だった。今でも、亜生の中で最も純生に近い世界と言える」
亜生になった理由ももちろんある。
分離した世界を自在に展開できるというのだ。その分離作用は自由自在で、敵だろうと味方だろうと隔離する。これによって、特定の世界を接近させたり、対決するように仕向けたりすることが可能となる。
その力を見込まれ、分離という世界は多核世階へと変貌を遂げたという。
「なら、(誰がこの世界を繋げている)あなたは?」
問い続ける私に、避来心は瞼を伏して感嘆を抑えんと湯呑に手を伸ばしたが、口に含む前に低い声で質問を繰り出した。
「本当に、全てを忘れてしまったのですね?」
肯定する以外にない。
私にはあらゆる事実を受け止めなくてはいけない責任がある。自分が記憶喪失だと教わり、先へ進むと決心した以上、知れる事実があるなら拒む理由はないし、少しでも心に安心感が芽生えるならむしろ歓迎である。
「私がかつての師だったということも、思い出せないでしょうか?」
これまた頷くと、今度こそ熱い緑茶を飲み込み、避来心は改めて名乗る。
“元純生が『恐怖』、ここに在りては『避来心』たりて土の味を噛み締めん”
(やっぱり思い出せない。それに元師匠って、どういうこと?)
心が傷んだ気がした。
違和感を覚えることが限界で、それ以上に避来心を思い出すことができない。
最初の挨拶を忘れたこともそうだが、この世界に来てからの私はどうかしている。
危機感が抜け落ちる、とまではいかないものの、足りているとは思えないし――なにより、いま私は多核世階の攻撃の中にあるのだ。
逃げ出さなくては、アルマゲストと合流しなくてはいけないのに。
「ひとつ、誤解を崩しておきたい。私は、かすかな希望を抱いて多核世階に加わった」
かすかな希望。
果たしてそれは、私を説得することだろうか。
アルマゲストを止めることだろうか。
いずれにしても不可能だろう。
私は――
「私は、君が忘却を跳ね返していることを望んでいた。だが、まだ忘れている」
つまり全てを思い出していればよかったというわけか。
ふと、全身に痺れのようなものが走った。
体中が叫び声を上げているが、まだ聞こえない。
続ける避来心の言葉に反芻は大きく、なのに見えないばかりに恐怖している自分がいる。脅迫の言葉とは思えないのに、自分を見失っているだけなのに。それなのに、今は彼と話していることが恐ろしくてたまらない。
「君の本当の目的は何だ?」
囲炉裏の中で熱されていた白湯が先に悲鳴を上げ、私に変わろうとしている異変に風までもがざわつきだして草庵に吹き付ける。
熱湯を注いで一口に飲み干してしまう避来心は、私の答えを待ったまま静かに立ち上がり、壁に掛けてあった干物をちぎって口に運ぶ。表情が変化しないから怒っているのか、それとも悲しんでいるのか判断がつかない。
「アルマゲストと、一緒にいなくちゃ……」
それだけが私を支配していた。
「“あるまげすとが君と一緒にいなくてはいけない”のではなくてか?」
避来心は声の底を上げて熱を巻く。
支配されていたのは私じゃない、アルマゲストだ、と。
そもそも支配ではなく、利用であったとも。
(分からない)
だが、そう言えば私は自分が終わってしまいそうな予感に出会い、再び考えるが、目先には暗闇しか見えなかった。
「アルマゲスト……元純生:記録を私の前に連れてきたことも、
彼女が所有していた記録に触れたことも、
君が創意に敵意を突きつけたことも、
差し向けられた忘却に抑えられたことも……君は、何一つ覚えていないのか?」
思い出せない――それは久凪詩音という名前が証明しているかと、彼は呟いた――思い出したくないのだろうか、私は。
警告が立ち上がる。
「そうか……」
いつからなのか。草庵の片隅、暗闇に紛れてフードをかぶった純生は呟いていた。
そして避来心は壁まで歩み寄り、掛けてあった刀を鞘から抜き放つ。
「警告。古き壮絶の絶対よ、警告」
私は咄嗟に立ち上がることができなかった。
いや、そもそも私の前に生まれた一線、それは避来心の刀が薙いだ時に延長線に生まれた線ではあるのだが、そこを境界に床が押し上げられたのだ。
立つことができないほどの勢いだった。
前方から持ち上げられ、床が壁になるよりも少しだけ早く、私は後方に背中から転げ落ち、壁に激突する。
しかし、次の瞬間には壁までもが斬り飛ばされていたのだと気付く。
予想していたよりも衝撃が軽かったし、偶然にも私の上に落ちてきた木材が異様に綺麗な断面を有していたからこそ、それが斬撃によるものだと事態を結ばざるをえなかった。
とにかく外まで転がり出た私に、激しい風が呼んだ雨が打ち付けた。
「ならば、その身に刻まれたものを叩き起こしてやろう」
草庵が、まるでハリケーンにでも遭ったかのような、あるいは炎を伴わない爆発に見舞われたかのような、そんな突然すぎる解体に合う中で、避来心はそれまでほとんど開くことのなかった両目で鋭く、まるで仇敵を見つけた復讐者のような冷たさで見開き、こちらのみを見据えていた。強風と少し強く思える雨に怯むこともなく。
濡れた草の上からぬかるみ始めた地面の感触を素足に、今にも飛びかかってきそうな避来心に備えて重心を整える。
足の裏が捉えた地面、耳は風で、暗闇に怯えた目は雨に潰れかけて痛かった。
避来心は草庵の敷居の中からまだ出ていない。
いきなりすぎる攻撃に、今更ながら自分で対抗できるのだろうか。
「私もあなたたちと同じだったのなら、どうして誰もそれを教えてくれないの?」
声を遮らない強風雨の中で囁く。
彼は日本刀を上段に構えて振り下ろす。
その斬撃は、まるで蛇だった。明らかに刃渡り以上の切創を土の上に刻み、しかもそれを横跳びに移動して躱した私を追うように、まるで鞭をしならせるかのようにし、一度走った斬撃を横に反らしたのだ。
少し背の高い雑草が切り分けられて強風に攫われる。
脇腹に熱を感じるのと、風向きが先ほどとは真逆の私の真正面――避来心の背中側――から吹き付けてくるようになったのは同時だった。
「創意が決めた、君は危険なことをしようとしている」
だから皆に追われることになったと。
もはや形骸の草庵を飛び出し、避来心が遠めから刀を振る。
私の左側すぐの所で土が跳ねた。
見えないが、柔らかさを以た斬撃が間近に来ている。
「だから、多くが君を止めようとした。そして“忘却”がそれに成功した」
踏み込み、斬撃をしならせ、雨粒さえ切り裂いて空気を割って、鋭利が私の右肩を撫ぜる。
痛みは身体よりも、感情の激流に因った。
かつて私は、避来心の話が本当なら出る杭であり、そして見事に打たれたらしい。しかも、その後には私がかつて保っていた世界の中に戻され、そこで時間を重ねていたという。
「君は何もかもを本当に忘れて自分の世界で、理想とするものに囲まれていた」
「そう、確かに囲まれていた。でも、アルマゲストは私を迎えに来た」
だとすると分からないことがひとつ増える。
記憶を失くす前の私がアルマゲストを知っているなら、なぜ再会した時のアルマゲストはまるで初見の如く、赤の他人みたいに振舞っていたのか。
思い出せない私に非があるのかもしれない。
「私は、何をしようとしていたんですか?」
尻餅ついた勢いのまま茂みに後頭部から倒れこみ、雨と緑が視界を遮る。声だけが遮られないのは救いだが、完全に避来心を見失っているこの瞬間が恐ろしい。すぐに追撃が来ないという点が特に怖い。
彼が歩み寄り、傍らで私が立ち上がるのを待っている避来心が、ぼやけてはいるが確かに見える。
「“絶生”の先にある世界だ」
告げると同時に、刀が上段で構えられる。
「それは、本当に世界なんですか?」
雷光に象られる避来心のシルエットに、私にもアルマゲストのような攻撃ができればと、一瞬思ってしまった。頭上に構えられた刀は恐ろしいが、よくみれば足元や脇腹は隙だらけだ。
だが、それも力があってこその仮定。
しかし、前提は私の意を、すでに遥か遠くへ置き去りに進んでいる。
ここに至って、アルマゲストに頼りきりだった私は、この状況を打開する力を欲し、願ったままに避来心が動くのを待ってしまった。
分からないのはそこからだった。
(心が逸れる!?)
次の落雷で、避来心の顔が強ばっているのが見えた。
斬撃のもと切り捨てられたという考えが浮かぶほど、私には不思議な余裕があった。視界は嵐の夜空と、私めがけて振りかぶられた鋭利に怯え、濡れた四肢は罪に震え、首から背中には悪寒だろうか、或いは諦観なのかもしれないが痺れがあった。それほど私の中の多くが異常を呼びかけているのに、どうして余裕があったのか分からない。
「そうだった、君は“個”」
ただ、私の足元に突き刺さろうとして濡れた刀身の鈍い煌きが、私の足に泥と小石を飛ばしてくれたおかげで行動を思い出すことができた。
一目散に走り出して、森の中に隠れる。
何が起きたか、分からない。
でも、何かが起きたから生きている。
いまはそれで十分な気がした。
私はひたすら、避来心が追ってこないことを願いながら夜の森を突き進んだ。
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