彼についての短文
ラノベを書くなら、まずは実際にラノベやそれに関係するコンテンツに触れて空気感を掴んでおく。
それはとても大切なことで、そのための勉強という建前で自分の好きな作品を布教していく活動は当然に継続するつもりだけれど。
そろそろ、真剣に文章を書くことにも取り組んだ方がいいかもしれない。
聖からあまりにも鋭すぎる突っ込みを入れられた海理はそんなことを考え穂乃花にもそれとなく執筆を打診してみたのだけど、アニメを見たりラノベを読むだけならそれほど抵抗のない穂乃花も実際に自分が何か書くとなると反応は芳しくない。
端的に言えば、最初に声をかけたときと同じく断られている状態だ。
海理の目標を達成しついでに聖の呆れた視線を見返すためには、何か打開策を考えないといけないのだけれど。
「どうしたもんかな」
ゴールデンウィーク前最後のホームルームが終わり放課後を迎えた生徒たちが続々と教室を出ていく中、頬杖をついていた海理が気だるそうに自身の心情を表した独り言を漏らす。
「部活、行かないの?」
海理が一人黄昏ていると、いつもなら頼まなくても勝手にやってきて部活へ連れていく彼が嫌におとなしいことに違和感を抱いたらしい穂乃花が意外そうに声をかけてきた。
「もちろん行くぞ。今はちょっと考え事をしてただけだ」
これ以上ぼうっとしていても仕方ないので海理が穂乃花と共に歩き出し、ついでに聖の席へ視線を向けてみると、既に黒髪の少女の姿はそこからいなくなっている。
どうやら、今日に限って言えば書類上は部長ということになっている海理が一番部活へ向け動き出すのが遅かったらしい。
◇
海理と聖が並んで座りながら文庫本を読み、長机を挟んだ向かい側では穂乃花がタブレットに視線を落としている。
第二文芸部の部室で繰り広げられている景色はいつも通りと言えばいつも通りなのだけれど。
流石にそろそろ何か違うことをする必要があると考えていた海理はタブレットからの音声が途切れたタイミングで鞄の中に秘めていた秘密兵器、もといタブレットと同じくこれまた私物のノートパソコンを取り出した。
「わ。紫芝、今日はパソコンまで持ってきたの」
「中にはスマホで書けるっていう猛者もいるらしいし、タブレットでもキーボードさえ買ってくればやれなくはないけど。やっぱ、執筆するならパソコンが無難だからな」
「ふーん、そうなんだ……じゃなくて。私、ラノベ書けとか言われても困るって言ったよね?」
「わかってる。だから、とりあえずは長い物語とかじゃなくてちょっとした短編を書いてもらおうと思ってな」
海理の提案を聞いても相変わらず穂乃花の顔には微妙な表情が浮かんでいて、あまり乗り気でないのが見て取れる。
正直にいえば、短編を書こうという提案はほんのちょっと前に考えたばかりの思い付きだ。
今日の海理にはとりあえず何か書くなら必要だろうと持ってきていたパソコンがあったのでツールには困らないし、何かハードルの低い目標はないだろうかと考えたときこれしか策が浮かばなかったに過ぎない。
とはいえ、それを馬鹿正直に口に出しても穂乃花の信頼を得られるとは思えないので、ここはもっともらしい顔をして後付けの理由を説明する。
「当然だけど、物語が長ければ長いほど最後まで書くためのハードルって高いだろ。例えば、いきなり文庫本一冊に相当する物語を書けって言われたらそりゃ俺でも無理だろって思うし。でも、短編……文字数五千字から一万字程度の話なら早けりゃ数時間で書き上がるだろうしそんなめちゃくちゃな目標でもないと思わないか?」
「えー。でも、四百字の原稿用紙だって全部埋めようと思ったら結構大変だよ。単純計算でその二十倍の労力がいるって考えたら、全然簡単じゃなくない?」
「誰も簡単とは言ってないだろ。あくまで、相対的に普通の長編より現実的だって話だ」
「そう言われてもなあ」
やはり乗り気にはなれない様子の穂乃花に対し次はどんな言葉で説得するべきかと海理が頭を捻っていると、おもむろに聖がそれまで読んでいた文庫本を閉じ海理の手からパソコンをもぎ取った。
「では、こうしましょう。私たち三人で、それぞれ第二文芸部の様子を描写する。例えば、今私は海理が持っていたパソコンを強引に取り上げた……といった具合にね。そうして全員の書いたものを見比べたうえで最も優れた描写をした人間には海理から賞品を渡す。どうかしら? 特に文字数の制限も設けずに行えば難しいことはないでしょうし、ちょっとしたゲームとして我ながらいい案だと思うのだけど」
それまで海理と穂乃花のやり取りに特段興味があるわけでもなさそうだった聖の口から二人の意見の折衷案が語られたことに、少しだけ面食らったようではあるけれど。
穂乃花は僅かな逡巡の後に、小さく首を縦に振った。
「まあ、それくらいなら」
「決まりね。海理も、それで構わないでしょう?」
「え、いや、でも将来性ならともかく現時点の能力だと俺がトップなのは視えてるし勝負にならないぞ。そもそも、賞品だって何も用意してないし」
「ただのお遊びなんだから、そこまで細かく考える必要はないわよ。賞品も、もしもあなた以外が勝ったならそのとき考えればいいでしょう」
聖の提案そのものというよりも、彼女が積極的に活動していることそれ自体が海理にとっては意外なことで、自分のように物語を作ることに興味があるわけでもなさそうな彼女がなぜという疑問は確かにある。
だが、聖の援護によって穂乃花が首を縦に振ったのも事実なわけで、本人の言う通りこれがただのお遊びなのだとすれば無駄にあれこれ考えるよりは彼女の提案に乗じて穂乃花が文章を書く機会を設けた方が建設的だろう。
「そういうことなら、とりあえずやってみるか」
海理が控え目に同意したのを確認すると、聖はパソコンの電源をつけてから海理に断りを入れることなく彼の手を掴み指紋認証でパスワード入力画面を突破した。
「一番手は最初に言い出した私がやるわね」
特に反論が出ないのを確かめると聖が文章作成ソフトを立ち上げ、海理の顔を横目に手慣れた様子で文字を打ち込んでいく。
「なんというか、思ったより慣れてる?」
「聖は家で事前にインタビュー用の回答集とか作っとくタイプだし、パソコンで文章作るのは普通に慣れてるぞ」
「そうなんだ。なんていうか、女優ってやっぱ大変なんだね」
「みたいだな。正直、俺も人から聞いた話でしか知らないからあんま詳しいことはわからないけど」
集中しているからなのか聖が二人の会話に反応を示すことはなく、しばらくの間彼女は無言でキーボードを叩き続けた。
「できたわ」
海理と穂乃花がタイピングを眺めるのにも飽き始め手持ぶさたになったころ、聖が僅かに達成感の滲む声で作業の完了を宣言する。
「できたの? じゃあ、さっそく見せてもらっていい?」
「ええ、もちろん」
本人の了承も得て、穂乃花と海理の二人は聖の背後へ回り込み同時にパソコンの画面を覗き込んだ。
「え、これって……あー、私が読んでも大丈夫なやつ?」
「当たり前でしょう。そもそもこれは皆咲さんと海理の二人へ見せるために書いたのだから」
「うん、まあ、元々そういう話ではあるけど。ちょっと……紫芝! これ、どういう反応すればいいの?」
「どうって、俺もちょっと予想外なんだが。まあ、出来はいいんじゃないか?」
「いや、それはそうだけどさ」
いまいち煮え切らない態度の穂乃花と海理が見つめる先、パソコンの画面に表示されている文章は第二文芸部の様子を描写するというお題に沿っているしお遊びで作ったにしては完成度も低くないのだけれど。
その三千字程度ある文字数はほぼ一人の人物について語るために費やされていた。
金色の瞳は本人の純粋さを映しているかの如く澄んでいて、それを縁取る二重の瞼は退屈し始めた彼の内心を表すかのようにその特別な目を少しだけ覆っている。
例として抜き出してみたこの一文が示すように、聖の書いた文章が描写しているのは彼女の幼馴染である海理ただ一人だけだ。




