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幼馴染のいたずら

 最終的に勝ちヒロインが少なすぎるのアニメをきっちり四話まで視聴させたうえで感想会まで行った海理が帰宅し玄関の中に入ると、そこにはこの家に暮らす自分と母親どちらのものでもないサンダルが一足綺麗に向きを揃えて置かれていた。


「おかえり。聖ちゃん、来てるわよ」


 この家に暮らす人間の者ではないが見慣れたサンダルを見ていた海理へ声をかけたのは彼の母親である紫芝葵(ししばあおい)で、海理は顔を上げると気だるげに片手を上げてそれに応えた。


「ん、わかった」


 葵におざなりな返事をしてから洗面台で手を洗い、海理が自室のある二階へ続く階段を上がっていく。

 心なしか重くなった足を動かして階段を上り切り自室の扉を開けば、そこには海理が予想した通り艶やかな黒髪を無造作に体の下敷きにしてベッドの上に寝転がり漫画を読んでいる見知った少女の姿がある。


「遅い」


 漫画を読んでいた少女、千凪聖は海理の存在に気づくと開口一番に不満をたっぷり滲ませた声で彼を糾弾してから、黒のショートパンツから伸びる足を上に向けて揃えそのまま跳ねるようにして勢いよく起き上がった。


「遅いも何も、お前と約束してた覚えなんてないんだが」

「帰ってくるのが遅いと言ってるの。海理のことだから、どうせ皆咲さんをしつこく口説いていたんでしょう? まったく、これだから見境のない男は嫌ね」

「人のことを軟派なチャラ男みたいに言うな。言っとくが、そういうのは俺の対義語みたいなもんだからな」


 互いに遠慮のないやり取りからわかる通り、海理と聖は単なるクラスメイトというだけではなくもっと親しい間柄だ。

 ではその関係性の名前がなんなのかというと、一言で表すなら幼馴染ということになるだろう。


 海理と聖が初めて顔を合わせたのはそれこそお互いに物心つく前の話で、たまたま近所に住んでいた母親同士がたまたま散歩中の公園で知り合いベビーカーに乗ったまま初の邂逅を果たしたのだと聞いている。

 それからもママ友として母親同士の交流は続きなんだかんだで子供同士も仲良くなっていったのだけど、そんな二人の関係に転機が訪れたのは彼らが小学生のときだ。


 自分の夢を書く。

 授業の中で出された課題を前にして何を書けばいいかわからず悩んでいた聖に、海理はそれが至極当然のことであるかのように女優になればいいとアドバイスした。


 今にして思えばそれは海理にとって初めての余計なお世話であり、自分の眼で視た才能をそのまま口に出すことが必ずしも相手のためになるわけではないと知らなかった頃の無邪気な善意の発露だったのだけど。

 何はともあれ聖は友達から才能があると言われた職業に憧れ、助言通りに夢は女優だと書きそれを担任に提出した。


 普通なら、話はそれで終わりだ。

 夢が女優だと書いたところで、それで書いた人間がすぐさま女優になれるわけではない。

 仮に将来的に夢を叶えるのだとしても、それが現実になるまでには多くの時を要するだろう。


 だが、幸か不幸か聖に助言した海理の眼は普通じゃなくて、今は彼の母親と離婚し親権を手放した海理の父親もまた普通とは言い難い人物だった。


 芸能事務所、獅子宮プロダクションを立ち上げた張本人であり、会社が大きくなってからも自身の手で積極的に新しい人材の発掘に取り組んでいる敏腕社長。

 それが海理の父親の獅子宮東吾(ししみやとうご)という人物であり、彼は海理の眼がどういうものかを或いは当時の幼い海理以上に理解していた。


 だから、友達には女優の才能があるから彼女の夢を獅子宮プロで叶えて欲しい。

 自分の息子からそんな頼み事をされた東吾は二つ返事でそれを了承し、直々に聖の両親の説得に向かい聖が子役としてデビューするための許可を得てきた。


 聖が役者になってからの紆余曲折は海理にとって直接見たわけではなく、あくまでも彼女や獅子宮プロの人間に聞いた間接的な情報がほとんどだけど。

 一つの事実として、今の聖は幼い海理が言った通りに女優として活躍している。


「それにしても、皆咲さんもよくあなたに付き合う気になったわね。君は才能があるからラノベ作家になれ、なんて普通なら即座にお断りして二度と話す気にもならないと思うのだけど。まさしく慈愛溢れる聖人君子といったところかしら」

「聖人君子かはともかく、付き合いいいのは確かだよな。それに、今日見た勝ちヒロインが少なすぎるもなんだかんだ面白いと思えたみたいだし、ひとまずは俺の目標に向かって一歩前進って感じだ」

「目標、ね」


 何やら含みを持った聖の言い回しに、海理が怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「何か気になることでもあるのか?」

「そうね。これは純粋に疑問なのだけど。自分の理想の物語を他の誰かに書いて欲しいなんて、海理は本気でそんなことを望んでいるの?」

「当たり前だろ。お前には何回も話したけど、俺の作家としての潜在能力は五十三。学校の作文レベルならともかく理想の物語を書くとなると論外だし、俺よりも遥かに才能で勝る人間を頼るのが合理的な判断だ」

「……そう」


 短い言葉で応える聖の様子にはやっぱり何か含むところがあるような気がして、海理は再び詳細を尋ねるために口を開きかけたけれど。

 彼が意味のある言葉を発するより早く聖はベッドの上に落ちていた読みかけの本を拾い上げた。


「海理。今日帰るときに、これの続きを借りていっても構わないかしら」

「え、ああ。別にいいぞ」


 聖が海理の本棚から漫画を借りていくのは珍しいことではない。

 なので、特に問題はないのだけれど。

 海理が微かに感じた違和感は漫画の話に上書きされそのまま彼の意識から消えていった。


「そういえば、詳細は後でメールで送られてくると思うけど。社長が海理に仕事を頼みたいと言ってたわよ。なんでも新しく三人組のアイドルユニットを作ろうとしてるみたいで、メンバーの選抜を海理に手伝って欲しいみたい」


 世間話のように何気ない調子で聖の口から語られた話を聞いて、海理の表情が露骨に歪む。

 

「相変わらず、社長の名前が出るだけで随分と嫌そうな顔をするのね。あなただって獅子宮プロの一員みたいなものなのだし、いい加減に親子喧嘩を終わらせて仲直りすればいいのに」

「俺があいつと仲悪いのは喧嘩とかそういうんじゃないって言っただろ。それに、獅子宮プロの仕事を手伝ってるのはこれより割のいいバイトがないからだ。あいつの会社かどうかなんて、俺にはどうでもいいんだよ」


 海理が直接会うことは滅多にない父親の顔を思い浮かべながら苦い顔をしていると、聖はTシャツとショートパンツを組み合わせたラフな格好には不釣り合いな蠱惑的な笑みを浮かべてから床に座っている海理の背後に陣取りそのまましなだれかかった。


 海理の背には確かな重みと柔らかな感触が伝わり、鼻には控え目な甘い匂いが香ってくる。


「なら、獅子宮プロじゃなく私のために手伝って。あなたが私だけのことを想ってくれるなら、私はずっと海理の傍にいる。どう? 悪い話じゃないでしょう?」


 耳元で囁くように台詞を紡ぐ聖の声は海理への親愛を感じさせる甘い声音で、頬を撫でる黒髪の感触はこそばゆくて落ち着かない。


 幼馴染というよりもはや恋人みたいな距離感だけれど。

 海理は照れて顔を赤くするわけでも甘い言葉を囁き返すわけでもなく、ただ感心した様子で背後の幼馴染を振り返った。


「こういう役、お前の年齢だとあんまなさそうなのにいつの間にか上手くなったよな」

「それはもう、最初のころは海理が赤い顔になって面白かったから、こちらもどこまでいけるのか試してみたくなって練習したもの。まあ、慣れてきたせいか最近は反応が薄くて面白味に欠けるけれど」


 いつの間にか密着していた体を離しベッドに戻っていた聖は先ほどまでの雰囲気が嘘のようにあっけらかんとした口調で思い出を語ってから、少しだけ真面目そうな表情を作った。


「けれど、アイドルの選考を手伝って欲しいというのは本当よ。少なくとも、今回の案件は社長もわざわざ私を通して事前に交渉をしておこうと思うくらいには力を入れているみたいだし」


 海理の眼を知っている東吾はタレントの選考に関して彼に仕事を依頼することがあるのだけれど。

 その依頼が毎度快諾されるかというとそういうわけでもなく、稀に断られることもある。


 なので、本当に重要な案件に関しては海理の態度が軟化しやすい幼馴染の聖から事前に話を通しておくのが通例となっており、そうした場合の成功率は今のところ百パーセントを記録している。


「わかった。ちゃんと手伝うから、あいつにも言っといてくれ」

「ええ。ありがとう」


 礼の言葉を聞いた海理はこれで用事も済んだろうと言いたげな態度で全て終わった感を出していて、それを見た聖はいたずらめいた笑みを浮かべてから今度は正面から海理に近づいていく。


「ちなみに、海理には何かと頼み事を聞いてもらってるから、望むなら今度は私が海理のお願いを聞いてあげてもいいわよ。例えば、そう。恋人同士がするようなこととかね」

 

 最後の台詞を喋るときだけ耳元に顔を近づけていた聖が距離を取って海理の顔を確認すると、全部終わったと思って油断していた彼の顔には僅かに朱が差していて、それを見た聖は嬉しそうに口の端を歪めた。


 

 


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