アニメ鑑賞会
放課後の到来を告げるチャイムの音が鳴り、生徒たちが部活や自宅へ向かい各々歩き出した二年三組の教室にて。
海理は周囲の流れに乗って教室を出ようとしていた穂乃花の前に立ち、実に楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「皆咲、お勧めのラノベ原作アニメを選んできたから今日はアニメ鑑賞会をするぞ」
「もうそろそろ紫芝がそういうこと言い出すのにも驚かなくなってきたけど。一応聞いとくね。なんでアニメなの? 紫芝が私に書かせたいのってラノベでしょ」
「ああ。けど、皆咲はラノベに限らずこういうオタク文化そのものにいまいち馴染みがないだろ?」
「それはまあ、呪滅の剣とかサンピースくらいなら私も見たことあるけど。たぶん、紫芝が言ってるのってそういうんじゃないよね?」
「いや、そういう少年漫画の超ビッグタイトルもそれはそれでアリなんだが。俺の趣味的にはもうちょいニッチなラブコメとかの方が好みというか」
「うーんと、要は紫芝が書きたい作品の雰囲気に私を慣れさせたいから、そういう系統のアニメを見ようって話?」
「まあ、そんなとこだ」
ほんの数秒、穂乃花は宙に視線を這わせ何事かを考えこんでいたけれど。
すぐに結論が出たらしく海理の方へ向き直って軽い調子で頷いた。
「わかった。今日は特に予定もないし別にいいよ」
「よし。それじゃ、場所は確保してあるからさっそく行くぞ」
穂乃花は具体的な行き先すら告げずに歩き出した海理の背中へ物言いたげな視線を送っていたものの、やがて馬鹿らしくなったのか仕方なさそうに息を吐き出してから彼の横に並んで歩き出した。
◇
海理と穂乃花がたどり着いたのは二年三組の教室がある東棟から渡り廊下を通って移動した先にある西棟の一角、なんの記述もない真っ白なネームプレートが下げられた空き教室だった。
「えっと、ここは?」
部屋の後方に長い間使用された形跡のない机と椅子がまとめて敷き詰められ、前方には木製の長机と二脚の椅子だけがぽつんと置かれている部屋の中を見回してから穂乃花が横にいる海理に向けて疑問の言葉を口にする。
海理はそんな疑問の言葉にすぐに応じることはせず、先に椅子に座ってから穂乃花にも自分の対面の席に座るよう促した。
「一応、名目としては第二文芸部の部室ということになってるな」
「第二文芸部?」
勧められるがまま椅子に座った穂乃花がオウム返しに聞き返すと、海理は鷹揚に頷いてからわざとらしいくらいに生真面目な表情を作ってみせた。
「文学に限らず創作について総合的に研究するために既存の文芸部とは分けて創部した、という建前の下で昨日俺が創ったばかりの部活だ。皆咲の勧誘が成功しても学校の中に活動拠点がなきゃ何かと不便だからな。うちの学校は創部の申請に必要な条件がかなり緩いし部室も余ってるみたいだったから、活動費さえ期待しないなら部を認めてもらうのはそんなに難しくなかったぞ」
「それはまた、無駄に行動力があるというか。まだ私がオーケーするかもわからない状態でよくそこまでしたね」
「まあ、皆咲が頷くまで続ければ勧誘の成功率は実質百パーセントだし。そこら辺はあんまり心配してなかったな」
海理の発言に思うところがあったのか穂乃花は暫し何か言いたそうにしていたけれど、やがて言っても無駄だと諦めたのか疲れた様子で息を吐き出した。
「ほんと、その根拠のない自信と他人を顧みないポジティブシンキングだけは一生かかっても真似できそうにないや」
「できない方がいいと思うぞ。自分で言うのもなんだけど、そっちの方が人間としてはだいぶまっとうだと思うし」
「自覚があってその態度ってのも、余計に人間的な評価を押し下げる要因になると思わない?」
台詞の割に大して怒っているわけではないらしく、言葉の切れ味の割に穂乃花が海理へ向ける視線は鋭さを感じない。
「それで、アニメを見るって言ってたけど具体的にどうするの? 見た感じ部室の中にテレビがあるわけじゃなさそうだけど」
「それに関しては俺が持参してきた私物のタブレットを使ってくれ」
台詞の通り鞄の中からタブレット端末を取り出した海理は手慣れた様子でロックを解除すると動画配信サービスのアプリを立ち上げ、目当てのアニメを再生できるようにしてから穂乃花へと手渡した。
「勝ちヒロインが少なすぎる、か。これが紫芝の言うお勧めのラノベ原作アニメなの?」
「ああ。基本はコメディ要素メインの作品だから気軽に見れるし、作画もいい。それに何より面白いからな。オタク向けのネタも若干あるからその辺はわかりづらいかもしれないけど、皆咲でも楽しめると思うぞ」
「ふーん。まあ、そこまで言うなら見てみるけど。これ、ちゃんと紫芝も見れる? タブレットだと二人で見るには若干画面小さくない?」
「そこら辺は気にするな。俺は既に何回も見てるし、視聴中に気が散る実況をする気もないからまずは皆咲だけで見てくれ」
「そう? じゃあ、私一人で見ちゃうね」
穂乃花がタブレットの画面に触れ、部室の中にはアニメの音声が流れだす。
それは海理にとってはよく知っているもので、音だけでも大体どの辺りを再生しているのかわかってしまうけれど。
タブレットの画面に視線を注ぎ時折くすりと笑う穂乃花の顔を見つめる彼の様子は妙にそわそわしていて、まるで小さな子供のように落ち着きがない。
海理がどれだけ自信満々に言ったところで、穂乃花が海理の好きな作品を面白いと思ってくれるかなんて実際に作品に触れた後でなければわからない。
それはすごく当たり前のことで、人の胸の内までは視ることのできない海理がこうして穂乃花の表情を目で追ってみても、得られる情報は楽しんでいるように見える程度のふわふわしたものだけだ。
それでもなお穂乃花から目が離せないのは準備している段階では気にしてなかったのにいざその時になると穂乃花がどんな反応を見せるのか心配になってきたからとか、いろいろと人間的というか小市民的な理由があったりするのだけれど。
これまで散々格好つけておいて今さらそんなことを言うのは単純に気恥ずかしいので、もちろん口に出したりはしない。
◇
それまで室内に響いていたアニメのエンディング曲が鳴りやみ、第二文芸部の部室に静寂が訪れる。
穂乃花はタブレット端末に落としていた視線を上げ目の前に座る海理の方へ顔を向けると、そこそこ機嫌のよさそうな表情で口を開いた。
「確かに結構面白いね、これ。なんていうか、主要キャラがいい意味で変人っていうか。ただ会話してるだけのシーンでもキャラが立ってて面白いし、それでいて真面目なシーンでは私でもちょっと共感するような独白があったりするから思ってたより物語としてよくできてるよ」
穂乃花の感想を聞いた海理の表情がぱっと明るくなり、上半身は心なしか前に乗り出した。
「ああ。そこがラノベのいいところだ。勝ちヒロインが少なすぎるの場合は失恋だが、そういう等身大の題材を面白おかしく誇張しつつも、要所要所で本人なりの切実さまで表現できる。キャラ同士のかけ合いに多く文字数を割けるラノベの特徴とギャグの中にも失恋に向き合う真摯さが混じった原作の魅力を上手いことアニメに落とし込んだいい作品だったろ」
心なしか早口になった海理の勢いに少しだけ驚いたようで、穂乃花は目を瞬かせいつになく饒舌な海理を見つめていたけれど。
やがて何かに納得した様子で小さく頷いた。
「なんていうか、紫芝ってちゃんと物語が好きなんだね」
「は? そんなの昨日から言ってるだろ」
「や、それはそうだけどさ。今はいつになくいきいきしてるから」
「そうか?」
本人はあまりぴんときていない様子だけれど。
確かに、今の海理の声はいつもより少しばかり高くなっていて、顔に浮かぶ笑みも格好つけるようなわざとらしさが消えている。
「まあ、何でもいいけど下校時刻まであと一時間強はあるし、とりあえずこの調子で四話までは視聴するぞ」
「……やっぱり紫芝はちょっと生気がないくらいがちょうどいいのかも」
一話を見終えた時点で感想を言い合ったら帰るつもりだったのか、穂乃花は勝手に二話を再生し始めた海理を見てぼそりと独り言を零しているけれど。
アニメを見るの自体は苦という訳でもないらしく、すぐに呆れた空気を霧散させ再びタブレットへ視線を落とした。




